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映画『ミラベルと魔法だらけの家』を心理セラピストの目から考察してみた【#2】

映画『ミラベルと魔法だらけの家』が描くのは、ミラベルを通して描かれる心の成長〜カオスを経て変容に向かう〜物語。

アメリカ・カリフォルニア在住の心理セラピスト・やすのさんが、
「移民家族の世代間トラウマと家族の再生の物語として、この映画の紹介をしてくださいました。ここではリレーブログという形で、同じ映画の違う側面に焦点を当てて「ミラベルと魔法だらけの家」の楽しみ方を、バトンを受け取った私が、引き続きブログで紹介します♪

注意:ネタバレありです。作品をご覧になってから読み進めてください。

ミラベルとお家(カシータ)を軸にした成長の物語

この作品を見ていたときに、私の中に飛び込んできたのは、主人公ミラベルとお家(以下「カシータ」と呼びます)、その二者のリズミカルな関係性でした。主人公一家が住んでいるお家、「カシータ」は、まるで生きているかのうようで、ミラベルと、とても近い存在として描かれています。ミラベルが声をかければカシータが動いて、お家の木の床がカタカタと跳ねたり、階段を作ったりと活き活きしています。まるでミラベルとカシータは一心同体のような印象がありました。このカシータとミラベルの一心同体なところからヒントを得て、カシータの成長(もしくは成熟)物語としても捉えることができることを発見!そんな視点で解説してゆきます。

魔法をもつそれぞれのキャラクターは、カシータの心の一部

マドリガル家(公式ディズニーHPより)をみてみましょう。
お家のドアの前にたつミラベル、キャンドルをもつおばあさん。その周りを囲むようにしてルイーズやイザベラほか兄弟や従兄弟たちがいます。

やすのさんのミラベル【#1】の記事では、”家族は統合を保とうと機能する”ということが書かれています。この家族のホメオスタシスを保つような機能、実は私たち個人の中にも存在するのです。

家族療法の母と呼ばれているバージニア・サティアによれば、人の心の中には、いくつものパーツがあると言っています。その見方をこのカシータに当てはめてみてみると、カシータに住んでいる、ミラベル含めたそれぞれのキャラクターは、カシータの一部のパーツであると言えるではないでしょうか。そして、それぞれのパーツがカシータを支える存在で、一家の・・いや、カシータのバランスを保っています。

サティアによると、それぞれのパーツというのは、ポジティブなエネルギー源として活用することのできる可能性を秘めていると言います。このポジティブさは、それぞれのキャラクターに表現された魔法なのかもしれません。ではミラベルは?この映画では、ミラベルは唯一魔法が与えられていないキャラクターとして描かれています。カシータと一心同体なミラベル。彼女はカシータの何を表現しているのでしょうか。

カシータの成長と変容には欠かせない存在としてのミラベル

カシータと一番近い存在として表されているミラベル。それを見ると、ミラベルは、このカシータの本質の自己、それをサティア風に言えば、 Self (I AM) 、存在そのもの(Being)である、と言えるのではないでしょうか。この本質というのは、また別の言葉でいうと、真実の自己、コアセルフとも呼ばれています。この部分は、「全てわかっている存在」です(無意識にせよ)。

私たちは、時にこのセルフが発揮されない時もあります。その場合、このコアの自分との繋がりを取り戻す過程で癒され、それが人の変容・成長を促します。ミラベルはそんな大事な部分で、カシータが自分の真実に向かう、またそこに繋がろうとする原動力そのものと言えるかもしれません。

魔法のろうそくが与えた魔法とカシータの心の防衛

カシータの内側に存在する痛みは、やすのさんのミラベル#1】にも説明されていたように、おばあさんのトラウマ体験(カシータが抱えることになった痛み)から始まります。過去からの傷が家族に継承されることは、やすのさんのブログでも書かれています。家族=カシータにある傷を思い起こすのは、とても恐ろしいことです。人は時に、生き延びるために、自分が抱えきれないような痛みから自分を守る必要があります。

大きすぎる痛みを抱えたカシータが生き延びるためには、魔法のろうそくが必要でした。ろうそくから魔法を与えられたキャラクターたちは、その能力をポジティブな方向へ使うと同時に、いつしかカシータに深く刻まれていた傷を守る役目もしていたのではないかと思います。

痛みを見ないようにするから生きることができる

人は、ショック、深い悲しみなどの心の傷を負った時、時としてそれを感じないようにする心の動きがあります。それらは、真実の自分から離れる原因にもなるのですが、それがあるからこそ、その時を生き延びることができるといえます。

カシータの内側にある、それぞれのパーツ(=キャラクターたち)は、それぞれに本来の可能性を秘めていますが、いつしか傷を守るために動き始め、それはどこかで負荷がかかって行きます。そんな負荷は、見えないところでは、ヒビとしてカシータの所々に刻まれていったのでした。それを裏で修復していた「ブルーノ」の存在に注目です。

ブルーノはカシータの抑圧されたシャドウである

この家族の中には、かつて問題とされた子どもがいました。それがブルーノです。ブルーノのギフトは予言。みんなが忌み嫌う予言をしてしまったことから一家の問題児となってしまいます。そして、この一家の抑圧していた傷の部分に関するものが、彼の予言を通して発信されていました。

私たちの心は本当はなんでも知っているのです。その心の奥の声は、この予言(もしくは予感、直感)を通じて、何かを伝えようとしています。しかし、傷が呼び起こされるようなことは、誰もそれを見たいとは思いません。そこを見る事は心の痛みを感じることでもあるから・・・だからこそ、問題児とされてしまい、その魔法によってもたらされた予言は「良くないこと」として抑圧されてゆきます。
「シャドー」とは、心のなかに抑圧された無意識(https://atsukuteyurui.com/shadowより)

ブルーノの予言の中でもさらにタブーな予言がありました。その予言というのが、ヒビの入った家(カシータ)のまえにミラベルがいるというものです。その予言を見たブルーノは、それを隠して、カシータの裏側の世界へと引きこもってしまい、また予言として描かれたガラス板は、カシータの内側にある深い深い洞窟の中へ葬られていきます。しっかりと重たいドアの奥へとしまわれています。まさしく見てはいけないものとして隠されてしまいます。表から消えてしまったブルーノ。それ以来、ブルーノのことを話す人もいません。ブルーノそのものがタブーとなります。

真実の探究 〜ヒーローズジャーニー〜

カシータの心の負荷、ひび割れは徐々に広がり、ミラベルが感じとりはじめ、そのヴィジョンを見始めます。もう無視はできない・・・カシータの本質の自己、セルフであるミラベルは、これ以上それを、もう見過ごすわけにはいきません。

ミラベルは真実を探究する過程で、それぞれキャラクターの隠されていたストレスや無理に光を当ててゆき、そこの崩壊も徐々に始まります(ルイーサやイザベラの葛藤)。そして、ブルーノが最後に残した予言を探しに闇へ降りてゆきます。いよいよ、ヒーローズジャーニーにも似ている、このカシータ(一家)の成長のプロセス、心の成熟へ向かう旅の真髄に入ってゆきます。(ヒーローズジャーニー https://www.extech.co.jp/?p=8186

ミラベルはカシータの成長を先導するリーダー

そんな成熟への旅を先導するのが、唯一、家族の中で魔法を与えられなかった異質な存在であるミラベルだったのです。カシータ(または家族)は、傷を守るために、本質とは離れていました。しかし、全てをわかっている本当の自分は、ここを乗り越えていかなければ、そこから先に進めないことが、どこかで分かっていたのではないでしょうか。乗り越えるための、「成熟するためのイニシエーション」ともいえる旅なのかもしれません。

ミラベルの真実への探求を通して、ルイーサやイザベラの本心が炙り出され(パーツそれぞれが真実を突きつけられてく)、またブルーノの存在や予言があったことなどが明るみに出てきます。ルイーサやイザベラは、もう無理する自分でいられなくなり、それぞれの崩壊も始まるのです。

このように一見ミラベルは、タブーを探究することで、今までカシータが保っていたバランスを「壊す存在」に見えます。しかしその崩壊は、それぞれのパーツを解放することで、本来あるべきところへ向かう道を切り開くために、リーダーとして先導していたと思います。やすのさんのブログにも、ミラベルはすでにギフトを持っていたのではないか?という視点がありました。もしかしたら、ミラベルそのものが魔法のギフトだったのかもしれません♪ それがやすのさんのいう「人間らしさ」。そこにセルフは存在するのだと思います。

『全ての答えは自分の内側にある』と心理療法ではよく言われるのですが、まさに、その知っている存在が、セルフであり、本質の自己であり、コアの自分で、誰もが自分のリーダーであり魔法のギフトを持っている存在なのです。

真実への道、闇に降りる

ミラベルはブルーノが消える前にした予言を探しに、カシータの内側へ(ブルーノタワー)。あのカシータの内部にこんな場所があったのか?!と言うくらい、奥の奥に・・しかも断崖絶壁まである・・その先に大きな扉があり、その開けた先の砂の中に、ブルーノがかつて予言したガラス板が割れて光っていました。

この部分は、世界に多く残る冥界下りの物語に似ています(例えば、シュメール女神、イナンナの冥界下り、日本神話にも黄泉の国に行く話などがあります)。それらの物語は、自分の闇と向かい合う、という意味合いもあると言われ、闇に向かう過程は、自分の本質へ戻る、真実と繋がるプロセスなのです。そしてそれは、人の成長を促すものでもあります。

闇の奥で見つけた予言されたガラス板の破片。それを見つけた途端に、その洞窟が崩れてきます。崩壊は徐々に徐々に迫ってきます。
ミラベルは急いでそれを拾い、元きた道を戻って、表に出てきます。
真実がいよいよ表の世界へ・・・

シャドウとの出会い

かつてブルーノによって残された予言がいよいよ家の表へ。ガラスの破片を繋ぎ合わせると、大きなヒビの入った家の前に、ミラベルの立っている姿がありました。それがブルーノの残した予言だったのです。これはどう言う意味なのか?そこから、家の内部に隠れていたブルーノに繋がってゆきます。

何年も姿を晦ましていたブルーノは、実はとっても近くにいました。家の裏側に住んでいて、みんなを裏から見守っていたのです。ブルーノのいる場所に続く道を見つけたミラベル。いよいよ二人は出会います。

陰陽統合の道

カシータの一部は、抑圧されタブーとなっていました。その状態で保っていたバランスはもう長くは続かない。その崩壊から再生への道を辿る途中で、私たちは自分のシャドウ、影を見つけることになり、シャドウがシャドウになってしまった真実を知ります。そう、ブルーノが姿を消した理由。そしてブルーノが家族のタブーとなった理由。

ブルーノが最後に見た予言のヴィジョンは、ヒビ割れた家の前にたつミラベルの姿でした。ただそのヴィジョンは、角度を変えれば、ヒビ割れが戻るのです。その予言が示唆しているのは、「未来はまだ決まってない」と言うことでした。しかし、家族はすでにブルーノは問題を起こす人だと見ていましいた(よくない予言をするから)。ブルーノは、『まだ決まっていない』と言う意味の未来をつたえたとしても、家族は、それを『悪い予言』だと解釈するだろうと思います。そしてこの予言の中にいるミラベルが家族を壊す人物だと思われることは避けたいと感じたのでした。それでこの予言を誰も見せぬまま、みんなの前から姿を消したのでした。ブルーノはミラベルのことも守ったのです。その結果、シャドウとなり、一家のタブーという存在を引き受けたのです。そのことを知ったミラベル(セルフ)。このように、自分の中にあるシャドウを見つけ、それを理解し受け入れてゆくことで、いよいよ本格的に変革が始まります。

破壊(カオス)は再生への始まり、それは成熟へのイニシエーション

ブルーノと出会ったミラベル。ブルーノに、この予言の続きをするように言います。そこで出たビジョンが、蝶々とキャンドルが明るくなり、誰かを抱きしめる・・・(受容)の姿・・じゃあ誰を抱きしめればいいの?と、そこで出たビジョンは、カシータの一部の「イザベラ」でした。その予言を得て、イザベラを抱きしめないと、、とミラベルはイザベラのところへ。。そこで・・二人は言い合いになりつつも・・イザベラの葛藤がどんどん炙り出されてゆきます。パーツたちの葛藤が炙り出されるたびに、今まで見ないことでなんとか保っていたバランスの崩壊は加速して行きます。

最後の最後・・本当に、本当に・・抑圧されていた・・もっとも奥の隠れた本心に到達する瞬間がやってきます。それは、やすのさんの考察にある、おばあさんのトラウマでした。やすのさんも書かれていますが、このおばあさんとの対峙が、カシータが決定的に崩れる最後の崩壊を呼び起こします。

表面的なことを見ると、とても悪いことが起きているかのような状況です。しかし無理をしてできたバランスで保たれている場合、本来の姿に戻るには、やはりカオスを通らなければいけないのです。それが成熟へのイニシエーションなのかもしれません。人は破壊と再生を繰り返し新たな人生のステージへと移行するのです。このカシータのように。

真の受容と変革へ

カシータのトラウマ(おばあさんから始まった一家のトラウマ)は、破壊が起こることで、こそに光が灯されました。今までのカシータが完全に崩壊したことで、ようやくトラウマが悲しみとともに語られます。トラウマからくる様々な気持ちをこのように語るには、崩壊してしまうくらい、怖いこと。そしてそれは勇気のあることだと表しているかのようです。

人はもう見過ごせない、、ここには何かある・・という予感から破壊と再生への一歩が始まります。そしてその予感は、乗り越えることができる、という一つのサイン。見ることができない時は、私たちの心は崩壊しないように、むしろものすごく守り、予感すらも無視できます。

ミラベルは、お婆さんの物語とそこに伴う気持ちを、しっかりと受け止めます。そしておばあさんも、ミラベルの存在をあらためて、そのままの彼女を受容するのです。二人は抱き合うと・・多くの蝶々が舞い上がり、カシータの再生へと向かったのです。

蝶々とミラベル

この映画を見ながら、蝶々が目につきました。ミラベルの洋服にも、ピンクの蝶々の刺繍や模様が至ところに見ることができます。蝶々というのは、世界中でシンボルとしてよく出てくるモチーフです。そのシンボルは、変化、復活、喜び、生まれ変わりだと言われています(https://engimono.net/luckycharm/zq7hd/)。

ブルーノが見たヴィジョンにも、蝶がで出てきました。そして最後、おばあさんとミラベルが抱き合ったとき、多くの蝶々が再生を知らせている、そのような描写でした。ミラベルの洋服に多数の蝶々が描かれていたことから、最初からすでに、家族の再生に導く存在だったと決まっていたのかなと思います。こうしてカシータは、新たなスタートをするのです。

もうトラウマと言う傷を抱えたままの、過去に生きるカシータではありません。辛い人生体験を乗り越えるとうイニシエーションを通り、成熟したカシータの姿は、以前よりも豊かな喜びに満ちています。

最後に・・

「ミラベルと魔法だらけの家」という物語を通して、私たち一人一人にも当てはまる、個人の心の成長物語という視点で書きました。恐れがさらなる恐れを呼び起こし、それを守るためにした行動は、その時は良くても私たちに負荷を与えるものにもなる可能性が大きいです。けれど私たちの内側には、必ず答えはあり、その答えは、私たち一人一人の中にいるミラベル(セルフ・真実の私という存在)が導いてくれるのだだと思いました。
この個のプロセスですが、やすのさんの視点のように、内側が反映されるように、家族という全体でも起こります(やすのさんのディズニーがこの作品を作った意義をぜひ読んでみてください)

トラウマという悲しく辛い出来事を乗り越えた先に、トラウマ後の成長があると言われているのは、私たちのミラベル(つまり真実の自己)がそこにいるから。この映画にも描かれていたように、もしかしたら、私たちは、時には誰にも認めてもらえないかもしれません。けれど、まずは私たちが自分の真実の声を聴くこと、ミラベルの「一度でもいいから、家族にとって誇りだと思ってもらいたい(認められたい)」という、自分の中にある心から望んでいることを見つけ、そこに繋がり・起こす行動が、現実を動かすキッカケになり、変革への道へとつながるのかもしれません。

あなたの真実の声は何を伝えようとしていますか? 
この映画を見た後、あなたのうちなるミラベル(真実の自分)と繋がってみてみてはいかがでしょうか。

バトンタッチ

映画「ミラベルと魔法だけらの家」を軸に、やすのさんから受けとたバトンを繋いでゆきました。この家族の物語を見てゆく中で、このマドリガル家は、どちらかというと女系家族?と気がつきました。

またやすのさんのブログにもありましたが、例えばルイーサのキャラクターや、ミラベルのキャラクター作りには、よくメディアで使われがちの「女の子」というイメージを起用しませんでした。そしてイザベラは、「女性らしさ」を期待されていたのでしょうか?でも彼女は、薔薇よりもサボテンといった植物も好きだし、こんな事したり、あんなことしたい!と「女性」という枠を飛び出して「自分」になってゆきました。

女の子たちにとってはエンパワーとなる物語ですね!実はメディア含めて、世の中の構造や仕組みには、まだまだジェンダーに関する課題は山積みです。それは西洋諸国だけではなく、日本も同じなのです。

というわけで、次はジェンダーという視点を入れた、私たちの心、メンタルヘルスに焦点を当ててゆけたら良いなぁっと思っているのですが、やすのさんどうでしょうか?ブログリレーのバトンをお渡しします♪

筆者:加藤夕貴


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