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映画『ミラベルと魔法だらけの家』を心理セラピストの目から考察してみた【#1】

映画『ミラベルと魔法だらけの家』が描くのは、移民家族の世代間トラウマと家族の再生の物語

時代のニーズに合わせて様々な社会の抱える問題をメッセージに込めクリエイティブな作品を作ってきた昨今のディズニー映画。

新作の『ミラベルと魔法だらけの家』も、思わず「う~んっ!またしてもやってくれた!」と唸ってしまうぐらいの素晴らしい作品でした。

この作品は、主人公の人間的な成長に焦点を当てることの多かった今までのディズニー作品とは打って変わって、現実的にアメリカに住む多くの移民が経験している家族の姿・世代間トラウマとの葛藤というとても重いテーマが物語の土台にあります。

移民の多いアメリカで活動する心理セラピストの間では、この問題は、とても身近であり向き合うことの多いトピックの一つです。ただ、あまりこのトピックに馴染みが無い方からみると、少し分かりにくい作品かな?と思いました。

そこで、この記事では、世代間トラウマとは何なのか?その影響力について、映画の描くある家族の姿と映画が伝えたいメッセージと共に個人的に思ったことを書いてみたいと思います。

注意:ネタバレありなので、作品をご覧になってから読み進めてください。

世代間トラウマとは?

世代間トラウマとは、トラウマ的体験をした者の心の傷が、自身の子供など直近の家族に、そしてそれが、そのまた次の世代に、と何かしらの心的負担を与えながら引き継がれていく、苦しみの連鎖を指します。移民だけでなく、戦争や災害経験者、迫害を受けてきた社会的マイノリティのグループ、貧困層など、苦しみの記憶や心の傷が癒やされないまま続く場合、それが世代間トラウマになっていくことがあります。

アメリカに移住した者の中には、自国の紛争や情勢不安が原因で生死辛々国を追われた方も少なくはありません。そのようなつらい体験をされた方々はもちろんのこと、移住先に適応するまでの経験自体、例えば、慣れない土地や文化背景・言語環境の中で一から生活基盤を作っていなければならない試練には、とても大きな精神的ストレスが掛かります。

このような心の傷や大きな精神的負担を背負って生きている移民。それは、親(大人)だけではなく、親の葛藤をすぐ目の前で見ながら育つ子供達にも影響を与えていきます。

家族は統合を保とうと機能する

人間は、ホメオスタシス(恒常性)という、状態をある一定に保とうと機能する働きを内在しているようです。例えば、暑すぎると感じれば汗が出て身体を冷やし、寒ければ服を着て体温を調節する。そのような機能は、わたしたちの心の中にも存在しているようです。

そして、このホメオスタシスは、わたしたち個が共同体となって生活する家族全体にも存在し、それは例えば、家族の誰かが感じている負担を、別の誰かがフォローして負担を請け負ったり、ストレスの吐口先になったり。そのように、家族が一つの共同体として恒常性を保つように機能しています。

移民家族のように不安定な社会基盤を持つ家族は、様々な大きな外的ストレスを受けるものの、それを受け入れサポートする体制が社会にあまり整っていません。そのため家族内でそれらのストレスの処理をし恒常性を保とうとするようになります。それはつまり、家族が背負った心の傷を別のメンバーの誰かが何かしらの形でケアし補うような状態が生まれやすいことを意味します。

ギフトが与えられた登場人物たち

『ミラベルと魔法だらけの家』は、コロンビアを舞台に、紛争から逃げてきたおばあさんが、魔法を授かることから始まる物語です。

おばあさんの子供達は、ある年齢に達すると一人ずつ、ギフトと呼ばれる、特別な能力が与えら、その力を使って街の繁栄に大きく貢献します。そして、その子供達にも、同じようにギフトが与えられていきます。

このギフトが唯一授けられなかったのが、主人公ミラベル。その彼女が、この家族が抱えている闇に気づき、家族を助けようと奮闘するところからストーリーが大きく展開します。この記事では、物語のあらすじではなく、物語で描かれるトラウマの影響を強く感じる部分をピックアップしてみたいと思います。

頑張りすぎの姉たち

主人公ミラベルのいつも憧れて羨んでいたギフトを持つ二人の姉は、実はとても大きな精神的葛藤を抱えていました。

力持ちのルイーザは、自分の肩には大きな期待がのしかかっている、それは山のようなとてつもない重さで、自分に何かあったら皆んなが苦しむ、そんな重圧を感じてプレッシャーと日々戦っているという。

美人で全てが完璧なイザベルは、おばあさんを喜ばせるために本当は結婚したくない相手と結婚しようとしている。いつも完璧で綺麗でないといけないプレッシャー、自分のらしさを一切見せてはいけない、そんな仮面を被って自分を偽って過ごしているという。

彼女らの葛藤は、全ておばあさんが求める「完璧な家族像」を実現するための大きな犠牲。おばあさんをガッカリさせてはいけない、家族や街を機能させなければ!と、どんどん自身に負荷を掛け、家族の負担を担い、誰にも気付かれないように努力と苦労をしてきた姉たちの姿は、移民の子供達やアダルトチルドレンにも共通する、大変重たい足枷のような使命だと思います。

誰も話してはいけない…!ブルーノの存在

未来を予知できるギフトを持つブルーノは、ある予知を見た後、家族を守るために自ら家を去った人物です。

おばあさんの息子であり、家族の中核にいる人物でありながらも、家族が「誰も彼のことを話してはいけない」と触れてはいけない大きな秘密として、彼のことを扱っています。

実はこれも、トラウマを抱える家族の中ではよく出てくるテーマ。家族の中に大きく陣取る秘密は、家族が気持ちをオープンに話し合えていない証拠。でも、この秘密自体が、トラウマの傷跡の一部であり、これが放置された状態であり続ける限り、傷が癒やされることはありません。また、家族がこうして大きな秘密を守り続けること自体が、また一つ、家族に新たな傷を増やしている場合もあるでしょう。

おばあさんの意識が、「家族のため…」というよりも、自分の求める「家族」の理想を優先しガチガチに凝り固まった様子。おばあさんの視野はかなり狭く、盲目になっていることがよくわかります。これも、トラウマの影響であると言えると思います。

おばあさんのトラウマ

悪者に命を狙われ、夫が目の前で殺され、もう絶対絶命!!…そんな時に授かった奇跡の魔法。

おばあさんは、この魔法が山を封鎖し、自分達を守り、家を与えてくれたことを深く感謝しています。そして、この魔法を大切にし、生かされた使命を家族と街の人々のためにまっとうすることを強く誓うのでした。

おばあさんのこのトラウマ的体験は癒されておらず、過去のものではありません。おばあさんにとって、自分の経験した恐怖体験は過去のものではなく、すぐ思い出せる目の前にある存在。だからこそ『家を守るには魔法が必要』『魔法を使って家を守らねば』との考えが補強され、その危機感が魔法のギフトと共に子供達に引き継がれている。それが、子供達が、自分を犠牲にしてでもこの家を守ろうと無理をしてきた様子にも現れているのだと思います。

唯一、ギフトを与えられなかったミラベルは、家族のメンバーが抱える負担と苦痛を知り、ブルーノを表に引きずり出し、おばあさんに対峙していくこととなります。

ミラベルはすでにギフトを持っていたのではないか?

おばあさんとの対決の末、家を崩壊させ家族の魔法を消してしまったミラベルは、そこでおばあさんの過去のトラウマと、なぜおばあさんがそこまでして魔法と家を守ろうとしてきたのか、その理由を知ったのでした。

ミラベルがおばあさんの苦しみを理解し、おばあさんも自身の過ちや家族と本当に話し合わなければならない事(ブルーノはその象徴のような存在)に向き合うことが出来た。それが大きな力となって、家族は癒されていきます。

ミラベルは、一人だけ魔法のギフトを与えられませんでした。しかし、家族が求めていた一番のギフトをミラベルはすでに持っていた。それは、授けられたギフトという仮面を被り精一杯に他人のために生きている家族のメンバー一人一人の内面にある痛みに共感し、彼らのありのままの姿を受け入れ、本音でぶつかっていく人間らしさだったのではないか。それがあったからこそ、最終的に、家族が弱さを見せ、街の人達に頼ること(助けを求めること)を受け入れることが出来、家族が前に進むきっかけを与えたのだと思います。

これは、心理カウンセリングの父、カール・ロジャーズの説明する癒しが生まれるための必要3要素:共感力・無条件の愛・本音で向き合うこと、に共通するのではないかと感じました。ただ一人のありのままの人間として自分を見てくれる人に出会えて初めて、人は本当の意味で、自身の痛みに向き合え、癒しのきっかけを得るのではないか、と彼は説いています。

ディズニーがこの作品を作った意義

アメリカでは、多くの移民家族が他言語圏の国からやってきます。親の言葉の不自由さや慣習への不慣れを補うために、現地の言葉の習得が比較的早い子供たちが、小さいうちから親の通訳をしたり、親に代わって本当は大人が担うべき役割を果たしていることがよくあるのです。

また、家族の心的・経済負担を間近でみて、勉学に励み、下の子の子守をかって出たり我慢したり、親を心配させないように年不相応に成長しなければならなかった子達もとても多いのです。

アメリカの成功者と呼ばれる人たちの中には、ルイーザやイザベルのように、家族の期待を一心に背負って、とてつもない努力をして現在の地位を築いている方もたくさんいます。また、ミラベルのように、家族の機能不全の部分を内在化しスケープゴートになっている人も。「頑張っても頑張っても十分になれない…」ミラベルがおばあさんに発したこの発言とまさに同じことを感じながら生きている人は少なくはありません。

そのため、親の移民背景や境遇から、この映画の登場人物に自分の気持ちを重ねた人・子もとても多かったのではないかと思います。

元大統領のトランプによる、度重なる移民差別発言で、アメリカ社会の移民への風当たりの強さが明らかに目に見えるような状態で晒されたここ数年。そのような社会情勢の中で、多くの移民家族の抱える葛藤をテーマにした作品が生まれたことはとても意義があることのように思いました。残念ながら、現実では映画のように素敵なエンディングが待っているとは限りません。しかしながら、自分の人生のナラティブに重なる物語が描かれることは、多くの人にとってはとても心温かい経験になったのではないでしょうか。

余談ですが、実はディズニー社はルイーザのキャラクター設定を当初、筋肉ムキムキの大柄女性ではなく、ディズニープリンセスのようないつもの形にしようという案があったそうなのですが、製作陣がこのキャラ設定で突き通した、というエピソードがあるそうです。

主人公をメガネキャラにするなど、従来のとは違うキャラクター設定で魅力的な登場人物を描いていったことにも、今までの社会風潮に変化を作りたかったという製作陣の強い意志も感じます(そして、今、ルイーザは子供達に大人気なキャラクターになっているそうですよ!)

おわりに

この作品、本当に深かった…と感じました。見終わった後、いろんな気持ちがかなり出てくる方もいたかもしれません。

この世代間トラウマとその葛藤というのは、移民背景を持つ者以外にも、家族の誰かの心の負担を背負って生きてきた者にも大きく共通するテーマであり、そこに共感したり、気持ちを重ね合わせながら見ていた方もとても多いかと思いました。

わたしは、最後あたりの歌のシーンで、ルイーザが、「たまに泣きたい気分の時もある」と歌った後に、「私たちも!(同じ気分の時ある)」とミラベルとイザベルが応えハグしていたシーンでとてもジーンとしてしまいました。

この映画は、一人で抱え込まなくていい、つらい時は誰かに頼って!をメッセージに強く込めた作品に思います。

音楽も映像もとても素敵なのですが、とにかく深かった…!!そして、かなり心にズーンときてしまいます…。ディズニー作品の中でも、モアナと並んでかなりお気に入りの1作になりそうです(モアナの制作チームの作品だそうですのでモアナ好きには堪らないのが納得です。)

バトンタッチ

皆さんはこの映画から、どのような気づきがあったでしょうか?

…ということで、この映画の物語を更に深掘りするべく、カナダで活躍される心理セラピストのゆうきさんに、彼女の視点から見たこの映画の注目ポイントを教えてもらうべく、ブログリレーのバトンタッチをしてみたいと思います!!

筆者:吉澤やすの


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