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卑下とは最大の傲慢である。

自分を卑下する。
どういうイメージをもつだろう?
もしくは、どういった時に、自分を卑下してしまうだろう?
自己価値が低い。と関係するだろうか?

辞書によると、
卑下:自分をあえて低い位置に引き下げてへりくだること
らしい。

ということは、自分の意思をもってあえて"低い位置にへりくだる”のだから、「自己価値が低い」とは同義語にはならない。
「自己価値が低い」人というのは、無意識に”低い位置に自分を設定している”のだ。

”あえて低い位置”におくというのは、どういう時か?
・低い位置にへりくだることで自分が優位に立てる時
・       〃       に都合が良い時
・自信がない時(上記、都合が良いとも絡む)

大きくは、この3つの時ではないか?
ということは、どれも、純粋な気持ちから始まっていない。

卑下しておいたほうが、自分に利益があるからそうしているにすぎない。
それは、おそらく「逃げたい」という行動心理からきていないだろうか?

卑下した結果、
卑屈になる、自己評価を低くみつもる、といった心理が働き、益々ネガティブな気持ちになりはしないか?

それよりも、まだ「自己価値が低い」方がよろしい。
自己価値を自分で認識すれば、やめられるからだ。

卑下の何がよくないって、それが心癖になるからだ。
卑下という行動は先のように、その場では自分に利益をもたらす。
だから癖になるのだ。
何か困った状況になったら、卑下しておけば、その場から逃げられる。
ということばかりしてしまう。癖になるのだ。
その場その場はのりきれても、他者からの評価はかんばしくないだろうし、自分自身もどんどん卑屈になっていってしまう。

卑下と似ているが違うのが、「謙虚・謙遜する」だ。
謙虚・謙遜は、へりくだっているがそれは、”あえて”ではなく、本当に”自分の立場が下”だからだ。
何かの分野においてあなたより未熟だから、という態度だ。

この謙虚・謙遜と卑下を比べるとよくわかる。
卑下は、”あえて下の立場にへりくだる”ことができるということは、傲慢さの表れだ。
傲慢だからこそ、”あえて”といった態度ができるのだ。

態度とは、心の形である。
傲慢な心からは、傲慢な形=卑下 となり
謙虚な心からは、謙虚な形=謙遜 という態度になる。

卑下も謙遜も態度に出るから、他者には無言のメッセージが送られる。
卑下は、傲慢さが伝わるし
謙遜は、謙虚さや尊敬が伝わる。

ならば、常に謙遜していたらよいのか?というのもNOだ。
常に謙遜し続けていたら、もしかしたら厭味になるかもしれない。
「常に」でも、ずっと上下関係がある(例えば師弟関係とか)ならば、継続するばよいのだが、戦略として「あえて謙遜」していたら、それはやはり、無言のメッセージとして傲慢さや利他的なものが伝わるだろう。いずれにせよ言えることは、本人が無意識であれ「あえて○○する」
ということは、よろしくないのだ。

卑下している自分がいたならば、どんなメリットを期待していたのか?を内省しみつけよう。
そして、傲慢さを反省し、等身大の自分を心がけよう!