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「宇宙の摂理」は「芸術」を表現することにも繋がります

「宇宙の摂理」を基礎編、初級、初中級と学び実践し、そして中級でひたすら自分を変化成長させるためのエクササイズを重ねるトレーニングをしてきた生徒さんがいる。

何のために、「宇宙の摂理」を学ぶのか?という問いのほぼ全員一致の回答は、”自分自身の成長”に他ならない。
しかし、その先の問い、「では、成長したらどうしたいのですか?」「何の為に成長した自分でいたいのですか?」というのは、人それぞれの回答があるはずだ。

前述の生徒さんの回答は、「芸術表現する自分のため」だ。
摂理を使って、自分自身を変化成長させた自分で、どんな表現をしていきたいのか?
その答えも摂理を実践していくとふってきた。・・・芸術表現をしたい。それも、「琵琶と語り」「狂言」だった。
まさにポトンと落ちてきた瞬間に幸運なことに私は立ち会っていた。
(摂理を学び実践してきたことは、”魂のシナリオ”が動き出すため、自分に必要なものが落ちてきやすくなっている)

そして、中級のエクササイズでトレーニングした様々な摂理を使いながら、「表現」を高めていった。
私自身がそれら芸術の専門家ではないが、私の超感覚というのを使って、専門家の方の感覚がわかるので、それを伝えることは以前からもしていたが、
摂理を使って、その感覚をどう表現に結び付けたらよいか?
どのように実際、演劇や演奏や、狂言という型に展開していくのか?
を、レクチャーを通して彼女に指導していた。

そして、ついにこの夏、狂言発表会で大役をいただいたらしい。
型がある型芝居は、型をやっていれば良いわけではない。そこに、その演者がやっている価値がなければならない。(それによって、○○さんが演じると上手い、つまらない、といった評価がされるのだ)
型の上に、どう演じたいか?といった役の解釈がのっかってくる。その解釈をどう摂理を使って表現に結びつけるか?
最後は、実際に稽古場を借りてのレクチャーとなった。
私が教えたのは”型”ではなく、あくまでも摂理を表現に結びつけることだけだ。
結果、本番を終えて師匠からは「100点」という評価をいただき、先輩弟子たちからは「2年目とは思えない」という高評価とともに、周囲をざわつかせたらしい。

これを聞いて私もとても嬉しい。
彼女自身も、これまでの学びと実践による自分自身のコアの部分の成長は感じていたものの、初めて、芸術表現への実践だったので、色々と手探りであったろうが、この結果はとても自信になったようだ。
「自信をもって本番に挑めました。表現もちゃんとやりたいことが出来たと思います。」と力強くいっていた。

「宇宙の摂理」は、ホンモノのスピリチュアルを学ぶことで、見えない世界の仕組みを知りたい!という知識欲を満たすだけで終える人も多いが、実は、自分自身が生まれてきた時にもってきた”魂のシナリオ”を生きることができるようになる自分になる事に直結している。
それだけでなく、もっと下位の部分では、自分の日常に直結しているのだ。
毎日、この地球上は摂理が展開しているのだが、その摂理を使って生きることをしていない現代人たち。
摂理を学び、初中級まで進み実践のしかた、摂理が日常にどう入り込んでいるのか?を知ると、日常の見え方、過ごし方がかわる。
これだけでも、生きることがラクになるし、楽しくなるはずだ。

さらに、彼女のように「自己表現」に摂理を使うことだって可能だ。
彼女は摂理を実践するというレクチャーで、まるで演劇学校、芸術学校のような体験をした。
先天的に出来ている人はそれをサラっとできてしまうが、そうでない人は摂理を使って芸術表現だって出来るのだ。
(摂理を使うことは誰にでもお教えできますが、上手に表現として完成度が高く出来るか?はその芸術の先天的才能は必要です)

魂のシナリオが動きだし、それに活き活きと取り組む姿は美しい。
彼女の人生がようやく始まった。と感じている。