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君は、見たいようにしか世界を見ていない-「中平卓馬 火-氾濫」を鑑賞して

竹橋での打ち合わせが思いのほか早く終わり、時間の余裕ができたので国立近代美術館に足を運び、開催中の「中平卓馬 火-氾濫」を鑑賞した。

中平は「日本の戦後写真における転換期となった1960 年代末から70 年代半ばにかけて、実作と理論の両面において大きな足跡を記した写真家」(展覧会ステートメントより)。
失礼ながら、私はこの人の存在を知らなかった。知らないからこそ、新鮮な目でその作品群に接することが出来たのも、ある意味で幸運だったかもしれない。

中平は、雑誌の編集部に勤務する中で写真に興味を持ち、1965年に独立して写真家・批評家として活動を始め、翌年には写真家の森山大道と共同事務所を開設した。展示は5つの章(Chapter)で構成されている。

Chapter1(来るべき言葉のために)では、作家の代名詞となった「アレ・ブレ・ボケ」に至る60年代の道筋が紹介されている。

アサヒグラフでは、寺山修司とタッグを組んでピクチャー・エッセイ「街に戦場あり」という連載を手掛けていた。そのひとつ「歩兵の思想」では満員電車の中ですし詰めにされるサラリーマンの写真が寺山の言葉と共に掲載されている。

≪「街に戦場あり」≫(アサヒグラフ1966年号)

サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだあと、サラリーマンではない植木等氏が唄う。
すると、満員電車のサラリーマンたちは身をゆさぶって幸福そうに笑う。
だが一体「気楽」とは何なのか?それはサラリーマンにとって喜ぶべきことなのかどうか?

≪「青い空をかえせ!-大気をむしばむ“白いスモッグ”」≫(アサヒグラフ1967年号)

Chapter2(風景・都市・サーキュレーション)では、70年代に入って風景や都市をテーマとした中平の作品群、特に71年の「第7回パリ青年ビエンナーレ」に展示された代表作のひとつ「サーキュレーション-日付、場所、行為」が紹介されている。「アレ・ブレ・ボケ」
の本領発揮である。

≪サーキュレーション-日付、場所、行為(1971年)≫

この時代までの中平の写真は、すべてモノクローム。決して美しくないが時代の断片を切り取っている。均質化してしまった醜さを、そのままに捉えようとしている。そして、それらが集合体となった時、なんとも言えない疾走感とエネルギーが迫ってくる。対象に迫り、断片を切り取り、脱構築したメッセージを発する。正に編集者でありジャーナリストの視点だ。

Chapter4(島々・街路)では、73年に訪れた沖縄での経験から列島としての日本や海外に視野が拡大し、それが作風にも表れる変遷が紹介されている。色彩面でもカラーへの挑戦が始まる。

≪吐噶喇(1976年)≫

1977年、中平は急性アルコール中毒で倒れ、数か月の入院の中で倒れる前数年分の記憶を喪失する。しかし、その劇的な経験を経て、運命の地・沖縄での活動で写真家として再起を果たす。その時代の作品群がChapter5(写真原点)で紹介されている。

≪無題(2000-2010年代)≫

展覧会の出口そばのモニターでは、おそらく晩年であろう中平が撮影を行っている映像が映されていた。背中を丸めて素早く動き廻りながらシャッターを押すその姿は、まるで獲物を追う動物のようだ。

中平を敬愛していた作家の辺見庸は自著の中で、このように綴っている。

氏(中平)はかつて、みずからの「眼の怠惰」をつよく戒めたことがある。
「眼はすでに制度化された意味を引きずったまま、意味の確認しか世界に求めようとしない」

人は、その脳の構造によって「見たいものしか、見てない」と言われる。中平の焦点を絞ることを拒む、心にさざ波を起こすような作品群は、私たちが世界や時代そのものを見たいようにしか見ていないことへの警告を、今なお発しているようだ。

#中平卓馬   #中平卓馬 火-氾濫 #東京国立近代美術館 #写真

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