見出し画像

継承されるべきもの

恵那山麓に広がる栗の木(恵那栗)の歴史は江戸以前から続いているようですが、栗の木と我々の生活は縄文時代に遡ります。
三内丸山遺跡の周辺には栗林があったこともわかっていて、その頃には野生の栗の木があったそう。また食材としてのみならず建築資材、道具の材料、また燃料としても重宝されていたそうです。
非常に重要なものだったことが窺えます。

今回は“恵那川上屋”の栗金飩を。

恵那川上屋の栗金飩
栗金飩

口いっぱいに広がる秋、そして鼻に抜ける芳醇。
まさに上品そのものです。

あまりちゃんと調べたこともなかったのだけど、この“栗金飩”は“緑屋老舗”の三代目・白木鍵次郎が大正時代に考案したもの。それを“すや”に伝えたという説がひとつ。江戸時代中期の中山道・中津川宿を訪れる旅人に提供されていたものだというのがもうひとつ。さて、どちらが歴史の正解かはもっと当時の文献を漁らないとわかりませんが・・

ちなみに同じ“くりきんとん”でも“栗金団”とは金運上昇の意味合いを持つ、縁起物の方で、これは江戸時代の頃に出来たようです。(正月の御節によくお目見えするアレです。ただ室町時代の文献に“栗金団”の表記があるそうだが、これは今の栗金飩に近いものなのだそう。少しややこしい・・この漢字を当てがったのは何故かその歴史はちょっと知りたくなった)


何れにせよ・・栗金飩をつくるためには良質な栗の木が育ち実らなければならないが、それ以前に生育環境が必要で、それを見守る人も大切です。
そんな連携の先に、美味なる栗金飩があるわけです。
秋の味覚であり、自然からの贈り物・・

ある栗農家が言う。
“栗が採れるのは土のお陰。我々は自然の力を借りて、栗を拾わせてもらっているだけ”
だと。本当にそうです。
それを引き継いだ“緑屋老舗”が言う・・
“時に販売店舗を増やす話も舞い込みますが、緑屋老舗はあえてその挑戦を選びません。納得のゆく材料で手間と時間をかけて手づくりするのは、家族でまかなっていくサイズ感がちょうど良いと判断しているからです。効率よりも美味しさを重視した父子相伝の味わいを守っていきたいのです。”
と。

こういう連鎖を大切にしたいものです。

今日は玄米茶と栗金飩を。

玄米茶と栗金飩

至福のひと時です。
皆さんも、是非味わってみてください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?