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コントラスト⑨

 休憩を終えた誠がキッチン内に戻り、ラストオーダーをこなして締め作業を終えたのは深夜2時過ぎだった。仕事終わりはいつも身体に油の匂いが染み付いてしまって一刻も早くシャワーを浴びたい気分になる。

 洗剤や水にさらされた手がガサガサに乾燥して荒れている。リュックから保湿クリームを取り出して両手に塗りこんだ。更衣室で服を着替えるとリュックを背負って裏口から退店して鍵を閉めた。汗と油が混じってベト付いた身体に夏の湿気がまとわりつく。

 ポケットから携帯を取り出して画面を開くと咲喜からのメッセージの通知が届いていた。後で確認することにして携帯をしまい、駐輪場まで歩いてから近くの自販機で水を買って一気に半分くらいまで飲み干した。自転車にまたがって店を離れると街灯に照らされた深夜の街を走り進んでいった。

 都会から離れたこの街は音もなく寝静まっていて、車の通りもほとんどなくなっていた。この時間は自分が世界にただ一人になったみたいで何だかとても自由で開放的な気分だった。街が寝ている間はちゃんとすることも求められない。そんな特別な時間でもあった。役割を失った信号機は赤に変わっていたけれどエンジン音一つ聞こえない空間ではそれも意味を持たなくなっていた。

 誠は赤く変わった信号を素通りしようとして横断歩道に差し掛かったところで自転車を止めた。何度も通った道なのに道路のど真ん中から見る景色は新鮮だった。道路の先は途中で下り坂になっていて向こう側は見えなくなっていた。

 ペダルに足をかけると家に向かって再び自転車を漕ぎ出した。家に着くと誠はまずシャワーを浴びてまとわりついた不快感を洗い流した。そして寝る準備を整えてると布団に入り、届いていた咲喜からのメッセージを開く。外に朝の気配が近づいていた。

 「バイトお疲れ。これ私になりに選んでみたから参考にしてみて」

 その後ろにはウェブサイトのリンクが貼り付けれている。飛び立つ準備を粛々と進めている咲喜に接することは誠にとって自分の惨めさを浮き彫りする行為に等しくなっていた。だから今の誠にとって咲喜に面倒を見られるということは、憐れみを向けれているようにしか思えなかった。疲れていたせいもあったかもしれない。結局貼り付けられたそのリンクを開いたりはしなかった。みんなしっかりしててほんと立派なもんだよな、そんなことを考えていると何故か佐野の言葉が頭の中で蘇った。それが暗い感情と混ざって胸の中に黒いシミを広げていく。

 携帯を放り投げて眠りにつこうとしたが、眠気の代わりに体に溜まったモヤが渦巻いて身体は疲れているはずなのに頭が勝手に余計なことを考え続けているせいで、意識が遠のくまでただひたすら瞼の裏の暗闇を眺める羽目になってしまった。目を閉じながら誠は、もしスタートラインの前で立ち尽くしその合図に耳を塞ぐ人がいたらどうやって声をかけるだろうかそんなことをふと考えていた。瞼に明るさが段々と滲んでいく。

 咲喜への連絡は翌日になっても返事を返さずそのままになっていた。憂鬱な話題にわざわざ触れてなんとなく予想がつく結果を掘り起こす気にはならなかった。

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