自分で選んだらラクになった話
正確には、これは自分で選んだと自覚したら気持ちが楽になった、というお話です。
自分で選ぶ前の私
友「明日遊びに行こうよ!」
私「行きたいけど、家の手伝いをしないと…」
母「この高校はどう?」
私「えー、行きたいけど自分の頭じゃ合格しないよ…。本当はいやだけど、こっちにしようかな…」
父「将来は弁護士だな!」
私「弁護士にはなりたいけど、無理だよ…」
師「なぜこの進路に?」
私「父がそうしろと言って聞かなくて…」
私「〇〇したいけど…」「〇〇したくないけど…」「仕方ないから…」「だってあの人が言うから」「だって…だって…」……
自分で選ぶことになったきっかけ1
たしか高校を卒業して少し経ったころだったと思います。
「だって…」
「けど…」
「あの人が…」
「世間が…」
そういう自分、そういう状況、人のせいにする言葉、そういう考え方。それらすべてがほとほといやになりました。
見出しには「きっかけ」と書きましたが、この時点では何か具体的なイベントが引き金になったというよりも、何年もかけて自分に覆いかぶさるように積みあがったものの高さに気づき、ある日突然息苦しさを感じ、押しつぶされそうになった、というほうが正しいです。
自分で選ぶことになったきっかけ2
ふたつめは、会社員時代。ストレスまみれの毎日に出口の見えない閉塞感を感じていました。「独立しよう」と思い始めたころ、やるからには結果がどうなろうと自己責任だ、と何度も自分に言い聞かせるようになりました。そのくらい強い覚悟がなければ独立なんてできやしない、と。
今ふりかえってみるとムダにハードルを上げていたようにも感じます。
それはさておき、会社員時代に呪文のように繰り返した「すべてが自己責任だ」という自分への言い聞かせにより、学生時代の悶々とした気持ちが燃料となって、熱い鉄の塊を何度も何度も叩くようにして出来上がったのが、次に話す「自覚」です。
自覚後の変化
友「明日遊びに行こうよ!」
私(Before):「行きたいけど、家の手伝いをしないと…」
私(After):「行きたいなあ。でも家の手伝いがあるんだ。最近遊んでばかりだったし、今日は手伝いをするよ」
母「この高校はどう?」
私(Before):「えー、行きたいけど自分の頭じゃ合格しないよ…。本当はいやだけど、こっちにしようかな…」
私(After):「今の成績だと難しいと思う。だからこっちの高校を選びたいな」
父「将来は弁護士だな!」
私(Before):「弁護士にはなりたいけど、無理だよ…」
私(After):「これからまた何年も勉強するより、普通の会社員でもいいから早く社会に出たい」
師「なぜこの進路に?」
私(Before):「父がそうしろと言って聞かなくて…」
私(After):「父の意見が大きいです。父の言うことはこれまでもたいてい正しかったし、それに従ってみたいと思いました」
お気づきかも知れませんが、Before/Afterで結論はまったく変わっていません。相変わらず「一番したいこと」ではないほうを選んでいますし、そもそもセリフの違いが微妙でわかりづらいものもあるかもしれません。
でも、自分のこととして口に出してみるとわかるのですが、この差はとても大きいのです。
「弁護士にはなりたいけど、自分の頭では無理。だから会社員になった」
と言うよりも、
「弁護士にはなりたいけど、これからまた何年も勉強に費やすのは正直イヤだ。社会に出て世界を広げたり、もらったお給料で飲みに行ったりを楽しみたい。だから会社員を選んだ」
と言ってみるだけで、大げさではなく世界が変わります。実際、変わりました。何よりも、とても楽になったんです。
まとめ
人生は選択にあふれています。何を選んだらいいかわからない時や第一希望が叶わない時など、「仕方なくこっちにする」ではなく、「自分でこっちを選ぶ」と言ってみることで、
・人のせいにしなくなる
・ちゃんと自分ごとになる
・自己責任の爽快さを味わえる
・選択の理由がセットで記憶に残る
などのメリットがあるということをお伝えしたくて、この記事を書きました。
以上です。読んでいただきありがとうございました!
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