趣味のポテトサラダ

「わたし、あなたが好きよ」
やさしく、時に激しく手を動かしながら、そんなことを呟く。しかし、目の前の愛すべき存在はなにも答えてはくれない。
何のことはない、目線の先にあるのはふかし芋である。わたしは少し茹で加減が足りないじゃがいもを潰してポテトサラダを作っていた。もう少し長めに茹でればよかった。

わたしは料理が嫌いだ。食材ですぐ一杯になってしまう狭い台所は、ただでさえ嫌いな作業の難易度を跳ね上げて完璧なオペレーション設計を求めてくるし、「切って焼くだけ」の炒め物は、コンロや床にはねた油を浄化するという追加作業を求めてくる(油除けのシートなど、狭いガスコンロではすぐに焦げ付くのが関の山だ)。それらはすべて、わたしのなかでは「余計な仕事」になってしまう。もちろん、怠惰なだけである。

そんなわたしがほとんど唯一、作るときに喜びを感じられる料理がポテトサラダである。

蒸かすだけのじゃがいもと、カットし、塩もみ乃至は水にさらすだけのキュウリと玉ねぎは複雑なオペレーションを生まない。油分は仕上げに足すマヨネーズのみだから台所も汚れない。買った食材を全部使い切れば作り置きになり、微妙に余った食材を持て余すこともない。わたしに取って非常にシンプル・クリーンな料理である。

食事という観点でもポテトサラダは素晴らしい。炭水化物を摂取しながらきちんと"野菜を食べている感"を与えてくれるし、彩り豊かなので食卓に花が咲く。なにより、ほくほく、もちもちしていてかわいい。非常に愛らしい。食べてしまいたいくらいである。

もはやわたしのポテトサラダづくりは料理ではなく、逢瀬である。しかもわたしの料理スキルは絶妙に低いので、毎回ポテトサラダはいろいろな顔を見せてくれる。水気の多い品種と知らずに"いつもの感じ"でお酢を入れてしまった日は、泣き濡れてじっとりとした目で見つめてくるポテトサラダの姿を前に私も泣きたくなった。ごめんね、と謝りつつ、涙をふくようにレタスで巻いて食べたらそれは美味しかった。
実家を出てから料理のレパートリーは一向に増えず、ポテトサラダばかりが上手くなる。

ここで、ふと母の言葉を思い出す。「お父さんの料理は、趣味の料理だから」。
たまの休みに、父は思いついたかのようにコロッケを作ってくれることがあった。料理から後片付けまで一通りこなし、家族に食べさせてくれたものだが、私が美味しい美味しいと箸を進める横で母は一言そう言ったのだ。母はフルタイムで仕事をしながら、来る日も来る日も三食料理を作ってくれていた。

お母さん、毎日の料理ありがとう。娘の意識はまだ趣味程度ですが、いつかお母さんのために作った料理を振舞わせてください。

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