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ヘアアクセには他人の髪を

大学の卒業式を目前に控えた私は、ある強迫観念に支配されていた。

「絶対に、袴にはハーフアップでなければならない。絶対に。」

どこで身に付けた主義主張、偏見なのか定かではない。憧れ、という生易しいものでもない。お賽銭には5円玉、贈り物にはアワビの干したやつを模ったイラストをつける、そういう社会通念と宗教がごっちゃになったぐらいの、意味分からないけれど強固な力を持った観念があった。

この観念は今さっき浮かんだものではない。半年前から何となく思っており、ショートヘアだったのにも関わらず、着物の色と同じ色の大きなリボンを購入していた。伸ばせるところまで伸ばすつもりだった。そう、あの時までは。


順調に髪を伸ばしていた2か月前、中途半端に伸びた肩につくぐらいの私の髪は、驚くほど私に似合っていなかった。鏡を見るたびに、テンションが下がるぐらい似合っていなかった。しかし、私は卒論提出を間近に控え、外出することもなく鏡を見ることもなくただただパソコンの画面とにらめっこをしていたため、たいして気にしていなかった。

無事、卒論を提出でき、大学の広場でぼんやりしていると唐突にスマホにメッセージが届いた。「今夜、映画に行きませんか」

ちょっといいな、と思っていた人からの突然の、初めての、嬉しいお誘いだった。夜まであと3時間。肩についてあちこちにはねる髪。毛量が多くモハッとした頭頂部。目にかかる前髪。こんな見た目じゃロマンスは生まれない!ビビデバビデブ!!私の魔法使いはどこ?速攻で横浜の美容室に駆け込んだ。頭から「袴ハーフアップ」のことは吹き飛んでいた。

「とにかく、いい感じに切ってください!!!!」

美容師さんはいい感じに切ってくれた。映画はとても面白く、彼もやっぱり魅力的だった。私の振る舞いも悪くなかったと思う。次のデートの約束までした。

しかし。しかし、もう髪にリボンをつけられる余白はない。


それから数か月経ち、卒業式を目前にしても、髪はそこまで伸びなかった。

こうなったら。

エクステをつけよう。

初めての体験だった。金で何とかするという行為を自覚的に行ったのが。下調べを入念に行い、決意を固めた。

「プルエクステ」という1gほどの毛を小さな結び目で地毛につけることのできるものを選んだ。美容師は目にも止まらぬ速さで私の頭に結び目をつくっていく。

美容師は決め顔でこういった。

「スローモーションみたいでしょ!」

「いやそれはない」

私は考えるより早く、彼の作る結び目よりも早く、言い放ってしまった。だって、スローモーションではない。クイックだよ。激早いもん。明らかに彼の顔が曇った。ああ、「スローモーション」の逆のつもりで「スローモーション」といってしまったのか。そしてそれを彼は気づいていないから、私が彼の手さばきを「スローモーション」の逆の逆、つまり「スローモーション」だと評価したことになっているのか。私はあの時なんといえばよかったのか。「逆ですよ、スローじゃなくてクイックですよ。2倍速にしているみたい!」って言えたらきっとマブダチになっていたかもしれない。くそ、今度この場面に遭遇したらそうしよう…...。

と考えていたら、施術が終わった。私の毛は3倍に伸びていた。胸の下まで他人の髪の毛がついていた。100束つけて、2万円。しばしのロング人生を楽しもうか。


まじまじと毛を見ていて、あることに気が付いてしまった。

毛先に…...毛根がある…...。

衝撃だった。毛先に毛根があることで、私はこの髪に誰かの遺伝情報が含まれていることを猛烈に意識した。急に他人が、毛根引っこ抜かれて死んだ他人の毛が生々しい温度をもって私の肌に触れた。羅生門の老婆が脳裏に浮かんだ。

風呂上りが特に最悪だった。お湯を含み、重みとぬくもりをもった他人の毛が私の裸体に直に触れる。首にも背中にも胸にも腕にも、まとわりつく。

どうして、顔が見えないほど髪の長い貞子や、髪が夜な夜な伸びる日本人形が怖い話の十八番のこの国で、エクステを何の抵抗もなくつける人がまあまあいるのか不思議でならない。そう、エクステを一度つけた者に宿る特殊能力がある。エクステをつけている人が多少わかるのだ。街を歩いていると、割とエクステをつけている人がいる。不思議だ。

他人の毛と共同生活をはじめて、早卒業式。まさに理想的なハーフアップにしてもらった。ショートカットにあらゆる装飾品をつけるより、他人の毛をくるくる巻いてもらった方が美しい装飾になるのではないか、とすら思った。私は大変満足した。

そして、別れの時が来た。つけた当初は即刻外したかったため、卒業式が終わった2日後に外す予約を入れていた。わずか1週間の共同生活だった。他人の毛と別れる前夜、なんだか感慨深くなった。1週間を共にした温もりのある毛。私と離れた後はどこへ行くのだろうか。燃やされてしまうのだろうか。ありがとう、君たちのおかげで、良い卒業式を過ごせたよ。最高に可愛かったよ。

もうおそらく、社会人になったら、私がここまでロングヘアにすることは今後ないのではないか。そう思うと、自分の少女性との別れのような気すらしてきた。

最後に、とびきりメルヘンな甘い夜を過ごした。ありがとう、スローモーション美容師。ありがとう、他人の毛の本当の持ち主たち。そして、ありがとう、他人の毛。



翌日、晴れやかな顔で、バチバチのショートカットにしてもらった。やっぱ私、ショートカットが一番似合うな~~~~~~~~!身軽だっっっっっ。何か次に行事があったら、私は、また、ヘアアクセサリーに他人の毛をつけることだろう。とても素敵な髪飾り。

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