幸せと絶望 カッコいいおばさん
私の会社では、有線を聴きながら仕事ができる。
好きな音楽を聴きながら、楽しい作業をできるってしあわせだ〜と思った。
もちろん面白い同僚もいて、楽しい。
自宅勤務だったら自由度はあがるけど、職場にいくといろんな人がいて、誰かと一緒に働く環境に置かれる。
誰かと一緒に働くのっていいな、と思った。
みんなそれぞれ頑張っている。責務を全うしようと頑張っている。それぞれ目的は違っても、なぜか同じ職場にいて一緒に仕事をすることの不思議さ。
いまやってることは、管理職なんだけど、たまに、仕事って感じがしないときがある。
もちろんつらいときもあるし、思い通りにいかないときもあるけど、思い通りになかなか進まないのは、仕事に限ったことじゃないし。
ってなると、
思ったよりいまの仕事とか働き方嫌いじゃないし、むしろ楽しいなぁ、っていうか楽しすぎて幸せかも。
っていうところまで、先日思えてきた。
いまの仕事は、
「これをやりたいから頑張る」、「ここにいたいからここにいる。」って感じだ。
ここにいたいから、ここにいて、たまたまこの仕事をしてる、って感じ。
いろんな仕事をしてみたい気持ちもあるし、いろんなところに行ってみたいけど、結局のところ、ここに戻れてラッキーって思う。
そしてなかなか仕事に対して、幸せだなぁ、と感じるレベルまで至らないことが多いと思うので、そういう意味でもラッキーなんだと思う。
有線は、週間billboard 全米チャート。
仕事中聴いた有線の中で、気に入った曲も見つけて、Apple Musicで聴いた。
切ない歌声と、ピアノと、シンプルな構成。
たまに幸せすぎて、失なうのが怖すぎて絶望感を感じるときがある
なんでこの記事のタイトルが「幸せと絶望」っていうかっていうと、
絶望は、必ずしも悲劇の中で生まれるものじゃなく、幸せの中でも生まれるものだってことを伝えたくて、
今日楽しかったのは、永遠じゃない、いつか奪われる、崩れ去ると考えただけで、絶望感。
いつか形や場所を変えて、また楽しい日々が来るのはわかってはいるんだけど、それでも今この瞬間のこの楽しさは、今しか得られない、と思ったら、その幸せって絶望的だな、と思った。
言い換えれば、それも青春なのかな、と。若さとか時間は取り戻せない、というところが、絶望感に近いのかなと思った。
そうなると、やっぱり何かをやるときは、しっかり打ち込みたい。後で後悔はしたくない。
間違ってもいいんだけど、やりたい言いたいことはその場で言おう。
恥ずかしくても。
それが生き様なのかと言われれば、わからないけど、後で後悔するような生き方はしたくない。
自分がおばさんになることは怖くて想像もしたくないんだけど、できるだけ、カッコいいおばさんになろう、と思ってる。
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