愛と距離
♪ 帰ろう / 藤井風
---
ご覧いただきありがとうございます。
10回目の投稿、はまちです。
さて8月になりました。
お天道様も暦で動くの?と思ってしまうほど☼
心も晴れ晴れします。
ところでみなさん、太陽は好きですか?
今の私はもちろんイエスです。
だってもう、昨日今日なんて洗濯物のオンパレードです。
梅雨の時期は浴室乾燥に大変お世話になりましたが、
それでも気の進まない、シーツやカーペット、バスマット、クッション、カーテンなど目に付く大物たちを、ここぞとばかりに尽くばしゃばしゃ!からの天日干し。
あゝありがたや、太陽。
そう感じているのは私だけではないみたいで。
ベランダのバジルと大葉も、直射日光はあまりよくないのですが一瞬だけきらきら太陽を浴びせたら
もうそれはそれはイキイキ!キラキラ!✻
日陰に戻したその後も、太陽のおかげでカラッとした気候にご満悦の様子でした。
でも私、ずーっとおうちにこもってるんですよね…(唐突)
だから何?って感じなのですが
だからこそいつでも好きなときに好きなように
太陽と「距離をとれる」身なんです。
私は、小学校は外遊びやソフトテニスで真っ黒け、高校はハンドボールで真っ黒け、それはそれはもう太陽ガンガン浴びて育ってきました。
当時の私はというと、太陽なんて大嫌い。晴れると、こんにゃろ!といつもいつも、曇れ~と嘆いていた記憶が…
そんな私がはたまた梅雨を経験して、太陽の全くない数か月を過ごしたら
太陽様様:-)!なんてコロッと手のひら返し。何と気ままなお嬢さん。
でも人間、そういうことの繰り返しで生きてるよなあって。
親に干渉されるのが嫌で一人暮らしをしては実家のありがたさを感じたり。
長く付き合っている恋人に刺激を感じられなくなって距離を置いたらその人のいる生活が幸せすぎたことに気づいたり。
近すぎても、遠すぎても、嫌。
「太陽」「親」「恋人」、それ自体への愛って「距離」で簡単に見えなくさせられる。
でも「距離」の適性を見つけようとすることで、それ自体への愛って可視化させられる。
なんと、ちょっぴり残酷な矛盾。
でも、だからこそ、
「距離」の特性を認知しておくだけで「見えなくなるもの」って減らしていけると思うのです。
というのも、
太陽が好き!と今の私が胸を張って言えるようになったのは、
自分で適切な「距離」を取れるようになったから。
近すぎた経験も、遠すぎた経験も、全てが糧になって
ちょうどいい「距離」を見つけられたからこそ今の「愛」が出来上がっている、そう思います。
わたしには「愛」があって、でもときどき見えなくなるし悩むなら投げ捨てちゃいたい!
そういう、誰もが抱く感情に出会ったときに
そこに「距離」が「愛」をジャマしに来てないかな。おいおいやってくれるじゃないか。
と、つぶやけたら、見えてくるものがあるのではないでしょうか。
そんなことを、太陽との久しぶりの再会から考えた日曜日でした。
最後までお読みいただきありがとうございます。
嬉しいです。今ここでの出会いに感謝します。
ぜひスキでお知らせください。
---
今日のおんがくは藤井風の帰ろうでした。
サビでくる重低音の生み出す重厚感と、それまでの細かいリズムがなくなり生み出される開放感がたまらなく好きな曲です。
(゜))<<
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?