データ化できないデータの価値-宮崎駿氏の飛行機は脳の中-
テクノロジー系のニュースを目にするたびに、本当に人間が必要なくなるのではないかという気持ちになることが多くなりました。
人の動きに近いロボットや軍事用に作り出された犬型ロボットは蹴られても倒れなかったり階段を器用にのぼるなど、システムと機械やデバイスが融合し始め、世界が大きく変わろうとしていることは、子どもでも想像できる時代になってきました。
テクノロジーは人間をどこに連れていくのでしょうか。
宮崎駿氏の飛行機と効果音
ある動画サイトでジブリ映画製作をドキュメンタリーで追った番組があり、宮崎駿氏の飛行機の飛び方についてプロデューサーの鈴木敏夫氏が語る一場面がありました。
飛行機はこうやって飛ぶ、ということを宮崎さんは書きたいのではない。宮崎さんがこう飛んで欲しいと思う飛び方を描こうとする。だから他の人では描けない
という趣旨のお話をされる鈴木氏。宮崎駿氏が描く世界は、一見自然や人、時には機械を忠実に描いていると思っていたので、とても驚きました。
さらにこの『風立ちぬ』という映画の効果音、実は声で音入れがされています。飛行機のプロペラ音や地震が迫る音など、今までは道具や機械が使われてきたのですが、極端な"音のアナログ"に挑戦したように感じました。
子どもの頃、おもちゃを使って独り言をして遊んだ記憶、まさにアナログが映画の中で採用されていたのです。
データ化できない、という価値
現在、クレイジータンクでは企業と協業でビックデータの収集や活用について事業展開し、データサイエンスの分野にも精通するようになりました。メンバーの中には今から15年ほど前からビックデータを収集・活用した建築作品を発表するなどしてきた実績もあります。
そんな情報社会の中でデータを収集し、活用する中で、一つの価値を発見しています。それは『データ化できないデータ』です。
例えば、実際の飛行機はこう飛ぶ、というのはデータ化が可能です。別のジブリドキュメンタリー動画にも"風をデータ化する"というシーンがあります。毛虫のボロに風を当てるのですが、風がどのように吹き、どれが毛虫にどのような影響を与えるかは、もうすでにデータ化が可能で、CGでの表現もできます。
言い換えれば誰でもそれを表現することができるのです。
しかし、宮崎駿氏がこう飛んで欲しいと思う飛行機の飛び方、はデータ化することができません。それは宮崎氏の頭の中にしかないデータだからです。そして声によって作られた効果音もそうです。飛行機のプロペラはこういう音です、ということではなく、子どもの頃に遊んだ、正しさよりもそれらしさを重要視した表現だからこそ、データ化できないデータとしての価値を生むのです。
風立ちぬが伝えてきたこと
ジブリ映画は常に何かを訴えてくる、まさに映画で何を表現したいのかが重要視されている素晴らしいアニメーション映画です。宮崎駿氏が戦争体験者であり、空襲体験者でもあることから、平和の尊さや戦争の恐ろしさ、そして自然災害である関東大震災も映画の中で表現されており、人にはどうしようもないことが起こった時に何を大切に生きていくのか、が描かれています。しかしそれは映画の内容についてです。
私たちクレイジータンクには、その製作過程において、宮崎氏が何を残したかったのかが伝わってきたように感じました。
それは『人間の可能性』です。
いくらテクノロジーが進化しても、人間にしか表現することができない何かがまだある、探しなさい、と言われているような気にすらなりました。
手前味噌ですが、クレイジータンクはデジタル領域で仕事をしつつも、人間の手で何かを生み出すこともとても大切にしています。
自分たちにしかできない何か、人間にしかできない何か、そのことを忘れずに、これからもデジタル時代を生きていきたいと考えています。
クレイジータンク一同
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