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【当事者意識の持ちかた】落ちているクギを拾う人の思考

突然ですが、
皆さんは、床にクギが落ちていたらどうしますか?
大きく分けると、「拾う人」、「拾わない人」がいると思います。
一見当たり前のことのように思いますが、「拾わない」という選択をした人の中には、色々なパターンがあります。

<クギを拾うまでのプロセス>
1. まずは、クギが落ちているということに①「気づく」か②「気づかないか」というところがスタートです。
クギを発見できなければ、拾うことはできません。
これは、日ごろの「視野の広さ」「周りを見ているか」という所につながります。

2.「クギが落ちている」ことに気づいた後は、その状況が
①危ないと思うか、②危ないと思わないか。という段階があります。
これは「危機意識」の問題です。
クギが落ちていることに気づいても、「危機意識」がなければ拾うことをしません。

3.そして、クギが落ちていると「危ない」とは思っても、①「自分に関係ある」と思うか、②「自分には関係ない」と思うかの段階があります。
クギが落ちていて、危ないと思った場合でも、自分に関係ないと思えば拾いません。
※家の中であれば拾う人が多いと思いますが、道端に落ちているクギを拾う人はあまりいません。
これは「当事者意識」の問題です。自分の事と思えるかどうかです。

4.当事者意識があり、自分事と思っても、①「自分でやる」又は②「他人に任せる」という段階があります。
クギが落ちていて危ないとは思うが、「誰かが拾うだろう」と思うか、自分が拾おうと思うかです。
これは、主体的か、受け身かによります。

5.最後に、自分で拾おうと思っても、①「今やる」か②「後でやる」という段階があります。
これは実行の優先順位の問題です。

◆このように、「落ちているクギを拾う」という行動において、
「その場で拾う」という人は、上記の中ですべて①を選択している人です。
ただ、「拾わない」という選択をしている人はどこかの段階で②を選んでいる人です。

皆さんは、クギを拾っていますでしょうか?それともどこかで②を選び、拾わないのでしょうか?
拾わない場合は、どの段階で②になっているのでしょうか?
これは、落ちているクギだけの話ではなく、日常生活、仕事のすべてに繋がります。

一緒に働いている人の服装が乱れていたら、そのことを教えてあげていますでしょうか?
日常生活でマナーを守らない人がいたら、注意してますでしょうか?
日常の出来事でのどれだけ視野を広く持てるかも大事ですが、
私は、「当事者意識」を持つことが、人生を豊かにするうえで大切だと考えます。

上記のような話も、自分の家族や親しい友人には注意できると思いますが、
それが他人となると、一気にハードルが上がります。

私自身もまだまだですが、
少しでも、同じ会社、同じ地域、同じ国の人たちのことを自分事のように考えることができれば、世の中はもっと良くなると思います。