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教育現場で活用される「偏差値」と、研究が始まった「変差値」について

高校受験や大学受験の際など、学力偏差値は人々の優秀さを計測する目安として定着している指標の一つだ。受験生たちは自らの偏差値の向上に向けて一心不乱に勉強を行う。

日本において、偏差値が学力測定に用いられるようになったのは、1957年に、当時東京都の公立中学校教師だった桑田昭三氏が校内テストに導入したことが最初という。それ以来、現在に至るまで学力偏差値は教育現場において重要な指標となっている。

この学力偏差値だが、もともとは試験の難易度や教員の勘・心証などに左右されず、学生の実力を正しく把握するために生み出されたものだった。そのため、数値が個人間の優劣を示す指標になることを避けるため、当初は公開を避けていたという。だが、数値で学力を示すことができるというわかりやすさから、優秀さの指標として開発者の想定を超えて広がっていった。

学力偏差値を学生の能力のすべてを表すものとして盲信し、その向上だけに力を入れた教育を行ったり、学力偏差値の高さが大学や高校のブランド力に直結したり、就職活動において足きりラインになったり。こうした学力偏差値への偏重はしばしば批判されている。



そんな中、近年研究されている指標がある。それは「変差値」だ。

これは中央大学変人学部が2016年12月に開催された総会において、東京学芸大変人類学研究所が2017年2月に発表したプレスリリースにおいて提唱したアイデアである。たまたま、近しいタイミングで変差値を提唱した両団体だが、2018年以降、共同で研究会を複数回開催しており、筆者は両団体に所属していた縁でこの会の主要メンバーの一人となっている。今回はそんな研究開発段階にある、新しい概念について紹介したい。

変人学部と変人類学研究所が共同開催した研究会の様子



この「変差値」であるが、中央大学変人学部で提唱された当初は「変人気質の度合いを数値で示すことができたら変人教育の成果を示すわかりやすい指標となり、かつ社会的にもインパクトがありおもしろいのでは」という考えから生まれたものであった。また、東京学芸大変人類学研究所においては、上記に加えて変差値が、「偏差値偏重主義」を脱し、教育界において新しい評価軸となる可能性を見込んでいた。



では、変差値とはいったいどんなものなのか。

まず、大前提として、変人の定義からご説明する。

ある人が、変人であるかどうかを判断する際の基準となるのは、その判断する人の主観である。そして、その判断する人が想定しているある集団や社会において、ある人が中心からどの程度外れているのかの度合いが変人かどうかの判断に関わる。その度合いが、判断する人の「普通」の許容範囲を超えている時に、ある人を「変人」と判断する。(図1)

図1


そして、その想定する集団や社会、そして「普通」の許容範囲は、判断する人が誰なのかによって変動する。(図2)つまり、時と場合に応じて、すべての人が誰かにとっての変人になりうるのだ。

図2


そのため、すべての人は変人であるポテンシャルを持っていると考えている。

だが、すべての人がそのポテンシャルを発揮しているというわけではない。

アメリカの心理学者ソロモン・アッシュが行った実験は有名だ。グループの他のメンバーが誤答をした時、被験者はどのような反応をするかを調べた実験だ。この実験を通して同調圧力の存在が提示されたわけだが、集団の中で変人のポテンシャルを発揮することは誰もが簡単にできることではないだろう。



また、ある集団で変人である人も、常にそのポテンシャルを発揮できているわけでもない。つまり、ある集団で変人ポテンシャルを発揮していたとしても、別の集団に移ったとたんにそのポテンシャルを発揮できない事態になることは珍しくないのだ。

アメリカの心理学者ゴードン・オールポートらが唱えた、「人間の行動に時間と状況を超えた一貫性があり、その背景に性格があると考える」特性論は、ビッグファイブ診断など様々な性格診断などの根拠になっており、広く定着している考え方の一つだ。だが、実際には人々の性格と行動には相関性が低いことがアメリカの心理学者ウォルター・ミシェルら多くの研究によって示されている。この性格と行動の相関性は「人-状況論争」と呼ばれ、大いに議論されており今日でも決着は着いていないようだ。



そのため、変差値が示すものは、「このような性格の人は変人です」、というものではなく、「このような要素を持っている人は、変人であるポテンシャルを発揮しやすい傾向にある」、というものである。

つまり、変差値は、変人であるポテンシャルを発揮しやすい人が持っていると想定される要素を、その人がどの程度持っているのかを測るものだ。

この要素だが、現在12の要素に絞られており、その妥当性を議論しているところである。そして、それぞれの要素に関する質問を被験者に対して複数実施し、その回答を通して、どの要素をどの程度持っているかを測ろうとしている。この方法は、現在就職活動等で利用されている性格診断に近い。



ちなみに、ここで変人であるポテンシャルが発揮されて外部に表現されるものは、その人の個性だ。もちろんそれがその集団においてポジティブに働く場合もあるし、そうではない場合もある。だが、これまでの記事でも書いてきたとおり、変人は価値判断の枠外の存在である。そして、社会や集団・会社などに対して価値があるかどうかわからないものだからこそイノベーションが生まれる(つまり予め想定されているものは当然ながら革新ではなく計画である)ことを付け足しておく。また、個性を発揮できた人がその集団において必ず変人と認識されるかについては、それも前述の通り判断する者によってその判断結果が変動する。



なお、変差値の測定結果の提示方法は現在議論があるのだが、他人と安易に比較できる形を避けるという見解では一致しており、そのため数値で示すスタイルには慎重だ。

なぜなら、変差値を数値で示すことによって、偏差値と同様の弊害が生み出されてしまうのではないかとのおそれがあるからだ。つまり変差値の数値の上下がその個人の優劣に短絡的に結びつけられてしまう恐れがあるのではないかと考えられるからだ(図3)。

図3

このままでは単に新しい「偏差値」を生み出すだけになってしまう。そのため、円状にどの傾向が強いのかを示す形を想定している。(図4)

図4


変差値には、弊害が目立ってしまっている学力偏差値に対するアンチテーゼという意義があるだろう。つまり、偏差値偏重主義のように、大学のブランドや個人の学力など、本来多様な側面があるはずのものごとを一つの軸にのせて判断する風潮に対してのアンチテーゼである。

そして、変差値はすべての人々を、他人との比較から解放し、その人個人の傾向だけに向き合うように促すものになるのではないかと考えている。



また、この変差値が計測する変人であるポテンシャルを構成する要素だが、骨格や髪色などのような生まれつき具わっており変化しないものというわけではなく、教育を通して強化することができるスキル的側面があると考えている。そのため、変差値の測定を通して、現時点でのその人の状態を把握し、変人であるポテンシャルを発揮するためにどのようなアクションを取るべきなのかを知ることができるようになると考えている。現在はまだ研究開発段階であるが、すでにITベンチャー企業や大手メーカーなどから社内研修や社員活用ツールとして興味がある旨の問い合わせもいただいている。集団の中で、扱いにくいと判断されてしまったり、活躍できないと判断されてしまったりして、周縁においやられてしまっている方のポテンシャルを再発見するなど、これまでの価値観における判断を再考し、活躍のきっかけとなるツールになればとの想いで今日も変差値の開発に取り組んでいる。

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