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笛吹けども踊らず、祭り囃子はまだ鳴らず。

こんにちは、
おはよう、こんばんは

初めましての方は初めまして。

今僕は、都会の喧騒からは少し離れた町のビジネスホテルに滞在しています。
色々な都合が重なり、このような貴重な体験をできています。
ありがたいことに、大学の頃使っていたそこそこ速い自転車を持ってくることができたために、毎日自由気ままに若さの自転車操業を楽しんでいます。

今回のnoteは、いうなれば紀行文になるのかな?
できれば詩や奇譚集になれば、とは思えどもそこまで心が揺れることはまだ起きていないので、訪れた場所やその時の感情を文章に落とし込んでいけたらと思っています。

今日のBGMは米津玄師の『笛吹けども踊らず』。
タイトルの出典は新約聖書「マタイ伝」11章より。
言葉の意味は、手を尽くして働きかけても、人がそれに応じて動き出さないこと。だそうです。

歌詞のストーリーとしては、プロタゴニスト・主人公が、よくわからない人々にあらぬ疑いをかけられ監禁されるところから始まります。
おそらく田舎の集落とかが舞台なのかな?
主人公はなにかをしでかしてしまった若い男、曲中でそのなにかについては特に語られることはありません。

主人公は必死に弁明をしますが、流言飛語が飛び交う部屋の中ではそんなものはにぎやかしにしかなりません。
前日のことを思い出しますが、酒を飲んで踊っていたところまでしか覚えていません。
その後は…その後は
それは確かに覚えていない!
から始まるハミングの応酬、たまりません。
しかも酔っ払っている部分を、歌う声を二重にして少しずらすことで表現しています。
平沢進の『BIKE』のようですね。

ラストのサビは、
「ハレルヤ、ハレルヤ 誰も悪くないだろうなあ なあ 円満で終わろうや 手を繋いでさ
笛吹けども踊らず」
で終わります。
たまりません、打ち込みが多く、祭囃子とテクノポップを合わせたようなアップテンポな曲です、隠し味には疲労感と陰鬱さかな?

そんな素晴らしい曲を昨日見つけてず〜〜〜〜〜〜っと聞いています。
彼の音楽は本当になんど噛んでも味がする素晴らしいものです。
ご興味あればぜひ。

青い夜風、姦しい社

最近、よく自転車で駆ける。
片田舎のぬるくも澄んだ夕風が耳を撫でる感覚が、たまらなく好きだ。
大阪の街中を走るのも好きだが、あそこは無機質なビル風しか吹いていない。
田園風景を少し見下ろしながら、勾配のあるコンクリートの上で風と仲良くなるのは、本当に気持ちが良い。

京都なだけあって、神社仏閣が至る所にある。
文化財に指定されているようなところもちらほらあって、そういったところを目標に自転車を漕ぐことで、メリハリのあるサイクリングを体験できる。

その中のひとつに平安京より前に作られた神社がある。
神道は結構好きなので、この一週間で二度訪れた。
本殿の手前には、神楽用の舞台がある。
本殿の中はまだ覗けてしかいない。
時間帯もあってか、本殿の門が閉まっているからだ。

本殿から右手に上がると山道がある。
そこにも社がいくつかある、お稲荷さんもそのひとつ。
どこまでもかみさんの息がかかっているような雰囲気にあふれていた。
暗くてわからなかったが、大きめの獣もちらほらいたし。

山道を登っていくと、御神域に到達する。
注意書きがあった。
「この先ご神域、禁足地もあるため社務所で受付をすませタスキをうけとってください。」、と。
まだ19時以降にしか参拝できていないため、誰もいないんだわ社務所に。

それにしても、あの虫のさざめきと大きな蛙の多重奏は都会では絶対に聞けない本当に素晴らしいものだ、たまらねえ。
またご神域に入れそうな時間にしゃかしゃかペダルを踏んで行ってみよう。

吉田兼好大先生、のちの兼好法師も訪れたそうだから、徒然草を追っている身としては、ホーム参拝スポット(そんなものがあるのかは知らないが)にしたいとは考えている。

のどかさとしゃかりきさ。

最近、以前の五倍ほど社交的になったからか、さまざまな人と仲良くなることができるようになった。
飲みにいっても、どこにいっても、なにをしても。
おかげで一週間で数人と連絡先を交換するに至った。

一人でグラスを傾けるのも好きだが、誰かと飲むともっと気分が良い。

おかげで、夜もそこまで暇はしなさそうだ、こういう人間性を獲得したことを少しばかり嬉しく思う。
ある人には、憑き物が落ちたよう。
またある人には、毒気が抜けた。
自らは、自分との距離感を把握した、と表現しているが、なんにせよ以前の自分には戻りたいとは思えなくなってきた。
とはいえ、人間性ほど不可逆なものもそうそうないのだろうが。

最近、というか以前から自分のリズムを見定められていない部分が多かったのもあり、こののどかさにはかなり助けられている。
俺自身、必死になってがむしゃらになにかをすることも、可能なんだな〜と理解したあとだからこそ、田園風景に包まれ、癒される魂のようなものに、今までにない感慨を覚えている。

たまらないね。
都会のネズミを自称はすれど、田舎は田舎で本当に好きだ。
生活の拠点を田舎に置きたいとはあまり思えないが、こののどかさを浴び続け、すこしばかり俺の中にも留められるよう、満喫してから、この滞在を終えようと思う。

Le Mal du Pay

フランス語
田園風景が人の心に呼び起こす、理由のない悲しみ。

『田崎つくると彼の巡礼の年』でこの言葉を知ったが、初めてそれを実感するに至る、というか全力で体験してる。
る まるでゅ ぺい を!

あとがきのようなもの。

今回のは随筆・エッセイっぽかったかな〜、と書きながら思っています。
最近は友人に萩原朔太郎を勧めてもらい、『月に吠える』を少しずつ読み進めていたり。
村上さんの新作をぼちぼち読んでみたり。
変わらず米津を掘ったり、グランジと呼ばれるジャンルの知らない曲たちを新しく教えてもらったり。

目やら耳やらはとても忙しなく動かす日々を送っています。
とはいえ、目に入ってくる風景はどこまでものどかさに溢れている。
さながら精神サウナです。

今日もありがとう。
それじゃ、またね〜。

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