2024年5月

 なんか気づいたら一瞬で終わってたぞ5月。いろんな事がいっぱいドバっと過ぎていった気がするわね。


5月のライブ

  • 5月1日@代々木labo「想像と創造~メーデー編~」

  • 5月6日@代々木labo「tender song vol.100」

  • 5月24日@湘南bit.「さとうだいき2nd single"HALFWAY"Releas Event」

  • 5月31日@代々木labo「マロン記念日」

 今年は想像と創造があるおかげで曲を作っている感じです。こういうのがないとだらだらして気が向くまで作れないので助かります。今回は「メーデー」というタイトルで作りました。メーデーのイメージからユニコーンの「働く男」的な仕事への気持ちを歌いつつ、言葉にできない「助けて」を匂わせる方向で歌詞を書きました。アプローチとしては「蟹工船」に近いです。こんな感じなんですけどそろそろ助けてって言っちゃうぞ!?っていう気持ちの歌です。こういうイベントだと歌詞をじっくり書いちゃうと不利ですね。

 初めてlaboに出たのが22年の7月のtender song vol.14でした。

 それから時を経て、laboとの関係も深くなったところでtender songの100回目に呼ばれました。100回も続くってすごいことです。初めて出た日の衣装がどっかに行ってしまったので、似た服で(インナーは同じ)挑みました。初めて来たときに最初に歌った曲をやったり思いの詰まったライブをしました。

 盟友さとうだいきがレコ発をするということで、湘南までお祝いに行きました。いまやbit.に呼んでくれるのはだいきか成夢しかいないので久々のbit.楽しませてもらいました。だいきとは同い年ということもあって厳しいことを言ったり言われたりするわけですが、そんな仲間がいるということはほんとに心強いのでお互いこれからも頑張っていきたいですね。

 代々木の母こと栗橋さんを祝う日を店長が作ってくれたので便乗してお祝いしました。いつもありがとうございます。長年ライブハウスにいて、バースデーウィークでたくさんの人からお祝いをされていて、こんな風に長く愛される人間になりたいなぁと感じました。

5月に見たもの聞いたもの

 5月にBOØWYのコピバンをやる機会がありまして。ずっと聞いて覚える期間だったんですけど改めてBOØWYってかっこいいんだなぁとなりました。2曲ぐらいしか知らなかったんですけど新しい知識としていい刺激を受けました。難しかったけどね!!!!!

 SNSに疲れてきてるんだなと感じます。面白い話とか、特有の文化のようなことは好きで見ていたいのですが、それ以外のノイズがかなり大きくなってきてる感があり、ついていけません。夜中とかほんと見たくないよね。楽しい部分もあるからそこだけ見ていたいし、今まではそれが可能だったのに。AIが本当にいいものなのかって思っちゃいますよね。
 あとはくだらない噂とかね。あのニュースほんとにきつかったです。急に手のひら返して叩き始めてたのも怖かったし「私たちだけは信じてる!」的な信者も割と怖かった。人間みんな怖い。世界が怖くなりました。やめてほしいねもうああいうのは。

その他いろいろと

 しっかり書いていたのにライブ記録以下保存できておらず、一気に悲しくなってしまい書けずにいたら6月に入っていたので慌てて書いています。もう今から書くと6月の所感になってしまいそうなのですが5月の気持ちになって頑張って思い出しながらいろいろ書きます。

 料理を褒めてもらうことの喜びを25歳にして知りました。いうても冬は鍋しか作っていなかったし、基本はパスタしか作っていないので誰でも同じ味になるだろうという気持ちなのですが、自分一人だとコンビニ弁当かカップ麺ばかりなので、人間の食べ物を作らせてくれる状況にしてくれていることへの感謝のほうがでかいです。

 去年の今頃はコンビニ弁当を2個食べることをいろんな人にいじられて叩かれていた気がします。そして他人の衣食住について口出しする奴は下品な奴だと憤っていた気がします。生活の基本である衣食住に口を出す、特に否定し啓蒙しようとするのは、自分のように真っ当な生活ができていない人をこき下ろし優位に立ち悦に入ることができるもっとも簡単なことの一つです。気持ちもわかります。ありがたくお言葉頂戴します。ただ、その根本の解決についての助言はしないですよね。そんなに食べたら体に悪いことは知っていますし、経済的でないことも承知の上で、それでもあの頃は炊事キャンセル界隈におり、とても人間の食べるものと量ではないことを見ないふりして作業として胃を膨らまし現実から目を背けていました。ドカ食いでしか自分を守れなかったんですよね去年の今頃は。

 生活が下手すぎる故に、諍いが起こることもありますし、自分を嫌いになったりもします。ただ、それでも、生活をせにゃならんという。

 なんか歌うこととかも、もっと生活を歌えるようにならんといかんなと思います。「メーデー」を書いてよりそう思いました。もうこの歳になって惚れた腫れたかぶれたみたいな創作は合わなくなってきた感があります。そこの迷いから抜け出すためにも、生活が上手く、まずは生活を「する」ところから始めたいものです。

 来月はラジオのことを書きます。長くなります。では、また。

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