嘘をついていること

 自己紹介の時に小さい嘘をつくことがあります。正確には嘘でも本当でもないちょっと本当の嘘です。たまに純度100%の嘘もつきますが、「ハワイ出身で5歳の時に日本に来た」というやつで、今まで一回もウケたことはないし、なんならすんなり受け止められるから即「ごめんなさい嘘です冗談です」と言わなければならないから、無駄でしかない。

 ライブで初めて共演する方や曲間のMCなどで「2019年の5月に初めてライブに出た」と話すのですが、これはちょっと本当の嘘です。正確には「初めてアコギ1本の弾き語りでライブハウスに出演したのは2019年5月です。」となる。ライブというものにはその前から少し出させてもらっていました。僕の本当の生まれて初めてのソロライブは2017年8月20日「フェスボルタ 宮益坂上」での事でした。
 高校生の時に、名古屋に住んでいる同い年の青年とネット越しに一緒に曲を作ったりしていた僕は、上京したらもっとしっかり音楽活動できるものだと思っていました。その彼とは割と早い段階で喧嘩をして、音楽活動を共にすることは叶わなかったわけですが、当時の僕はその喧嘩の原因が自分にあるにも関わらず「こうなるならもう音楽はやらないと思う」などとほざいていました。そんなある日、高校の時に存在を知りこっそり応援していたアイドル(当時)の里咲りささんが、電話一本で出られるフェスに出るという情報を得た僕は「電話一本で里咲りっちゃんと同じ舞台に立てる」と解釈し、速攻主催者に電話をかけて出演に漕ぎつけました。これが僕のライブデビューとなりました。電話を切ってから、そのフェスについて調べると、テレビブロスに自分の電話番号を公開している方がやっているフェスということを知って、サブカル好きだった僕は謎の運命を感じていました。しかも、ちょうどその頃に別ルートから、大好きな米米CLUBについての取材をテレビブロスで受けており、「俺本当に東京に来たんだ......」とはしゃいでいました。(ちなみに僕が取材を受けた記事が載っている号の表紙は、米米と同じぐらい敬愛している星野源さんでした。本当に奇跡と運命。)
 フェスボルタ出演が決まってからとりあえず使うかはわからないけど、急いでアコギを実家から送ってもらいました。しかし、当時の僕は3つぐらいしかコードを弾くことができませんでした(今は5つぐらい)。なので、喧嘩別れしたお友達が昔送ってくれていたギターの音源が2曲だけあったので、ギターを横においた状態でその音を流すことにしました。もちろん無断で。今謝ります。ごめんなさい。本当に人としてもミュージシャンとしても良くないことをしました。さすがに罪悪感があったので、ドラムとベースを打ち込んで、当時よく聞いていた、浜田省吾「イメージの詩」もやることにしました。自分が弾けるコードだけで構成されていた曲だったからです。準備は整いました。
 「フェスボルタ 宮益坂上」は渋谷宮益坂上にある4つの会場で開催されたサーキット型のフェスです。僕が出演したのは渋谷yinegaというアフリカ料理屋さんでした。出演会場と同時にタイムテーブルも発表となりました。同じ会場はあり得ないけど、里咲りっちゃんのライブは見たい!そう思いながらタイムテーブルを確認すると、なんと、僕と里咲さんの時間がかぶっていたのです!!!!!フザケンナ!!!なにが運命と奇跡じゃ!!!!!いやある意味逆に運命と奇跡だけど!!!!!!!!!!ということで当日は「里咲りっちゃん...見たかった!!!!」という叫びとともにライブを始めました。そのライブの様子は記念にと録音していたので多分どこかに残ってるはずですが、どこにあるかわからなくなりました。ちなみにライブを見ることももちろん挨拶することも叶いませんでしたが、3回ぐらい里咲さんとすれ違いました。
 そのフェスボルタではいろんな方と出会いました。自分と同じく米米好きの方や、岡村ちゃんのモノマネをする方、サブカルチャー大好きなお兄さんや詩人、イラストレーターなどなど。憧れの東京ライフを僕にくれたのはフェスボルタでした。
 その後もフェスボルタには何度かお世話になりました。2018年1月21日「フェスボルタ ランド」では、夏に意気投合した方と米米CLUBのモノマネをしました。個人的には結構まとまった「正しい米米モノマネ」ができたと自負しています。またやりたい。2018年7月15日「フェスボルタ シー」ではアコギ1本弾き語りでライブをしました。(つまり本当の僕の弾き語りデビューはこの日になります。ライブハウスではなかったけど。)中島みゆき「悪女」(電話をかけて出るフェスだから)、大森靖子「新宿」(地下アイドルがいっぱい出てたから)、そして生まれて初めて自分で作詞作曲した「うみのそこ」という曲をやりました。ちなみにこの回のフェスボルタにて、僕が里咲さんを知るきっかけとなったライターの南波一海さんと里咲さんの対談があったのですが、その時間に「喋っている南波さんと写真が撮れる」という流れになり、里咲さんに僕のスマホを渡して南波さんと「N-pallet」のポーズで写真を撮ってもらったりもしました。エモい。
 現在最後のフェスボルタとなっている2019年1月6日「フェスボルタ USA」では、出演者に地下アイドルが多すぎたことへの一種のアンチテーゼ(のつもりだった、当時の僕的には)として、「清純派アイドルの山内てっぺい」という設定で何曲かカラオケをしました。実際そんなにいっぱい地下アイドルさんがいたわけでは無かったのですが、初めてフェスボルタに出たときの「なんじゃこりゃ!感」「ワクワク感」が自分に無いことへの危機感だったり不安感だったりがあったんだと思います。その時の自分のライブが本当に酷すぎて、その後のことはあんまり覚えてなかったりするのですが、そこでの不完全燃焼が、その後の自分に火をつけたのかなとも思います。

  以上のような期間を経て、「もっといっぱいライブしてみなよ!見てみたい!」というバイト先の先輩からのすゝめを受けて、喧嘩別れしたお友達のライブを見に行ったことがある御茶ノ水のライブハウスに「出してください!」とメールしたのが2019年5月の話です。ライブで初めて共演する方やMCでこの長い話をするのは難しいので、最初に書いたような嘘でも本当でもないちょっと本当の嘘をつくことに落ち着いたのです。

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