見出し画像

山根明季子《リボン集積》🎀バッハのゴスロリ化ってどういうコト!?考えてみました❣️

CRAZY GAL ORCHESTRAのまょぴです❣️ LIVEまであとわずか、チケットはもうゲットしてくれたかな?

さて、セトリ紹介もこれがラスト! MOPPIがLIVEの最初に演奏する山根明季子《リボン集積》を紹介するよ🎀🎀🎀

作曲家の山根さんについてはインタビュー記事もあるので、まだの人はこっちもいっしょに読んでね🧚👇️


バッハをゴスロリにする……!?

《リボン集積》は、「バッハをゴシック・アンド・ロリータ(ゴスロリ)にする」というコンセプトのもと作られた楽曲シリーズの中のひとつ! 作曲家の山根明季子、梅本佑利、ヴァイオリニストの成田達輝からなるユニット「mumyo」のアルバムの中に収められている作品だよ。

アルバム「ゴシック・アンド・ロリータ」 StreamingCD Album

ちょっとだけ聴いてみて🎧️ たしかにバッハっぽい、だけどバッハじゃない……🤯

でも、バッハをゴスロリにするってどういうことなの……? って思うよね。2023年4月2日に開催されたmumyoの立ち上げ公演「ゴシック・アンド・ロリータ」のページに、こんな説明があったよ📝

ゴシック・アンド・ロリータ(ゴスロリ)は、ヨーロッパの伝統を下地に日本のストリートで再構築された服飾文化、サブカルチャーであり、タナトスを想起させるゴシックと、少女の典型であるロリータが独自に結び付いた表現です。このコンサートでは、ヨーロッパの伝統音楽、ヴァイオリンの独奏曲のフォーマットを用いて、ゴスロリと芸術音楽を接続します。

https://buoy.or.jp/program/mumyo/

また、mumyoメンバーであるヴァイオリニスト成田達輝さんはこんなふうに語っています。

バロック音楽を代表するヨハン・セバスチャン・バッハの音楽をストリート的に再解釈するという意味合いを楽曲そのものに落とし込んでいます。簡単に言うと「あのバッハが渋谷と表参道を散歩している」みたいな感じ。笑

https://mumyo.org/2023/03/03/iv01.html

バッハが渋谷と表参道を……? なんか楽しそう………!(今回は心斎橋を散歩してもらいます)

少女の「価値」のオモテウラ🎀

さて、そんなバッハゴスロリ化シリーズの中でも《リボン集積》は、作曲家の山根さんによると、こんな音楽だそうです👇️

ヨーロッパ伝統の機能和声を下地とし、その主従と秩序、規律、逸脱を紡いだ音楽。リボンという少女的アイコンを、音という目に見えないものに抽象化し延々と描くことで作られている。リボンは西洋の音の伝統と重ねられ、その崇高さの奥底、内側にある暴力やグロテスクといった様々なものを反芻していく。

https://akikoyamane.com/post/724876056404836352/ribbon-accumulation

「少女的アイコン」としてのリボンって聞くと、つい「かわいい〜!」って言っちゃいそうだけど、最後まで読むとかわいいだけじゃなく、暴力的なもの、グロいもの(が見え隠れする様子?)が表現されてるんだ……って思うよね🎀🧨🎀🧨🎀

これに関連して、山根さんが自身の寄稿記事で、少女の「価値」について語っていたので、ちょっと長いけど引用しちゃいます。

私が少女時代を過ごした環境は援助交際という言葉が生まれた90年代バブル崩壊後の日本で、女子高生というだけで着用した衣服が高額に換金される世界だった。2023年4月に主催した公演のアフタートークで、2020年代の少女世代であったイラストレーターNABEchanは「日本では少女性がすごく価値があるという風に、企業とか広告とか、社会全体が少女像っていうものを漠然と決めている」と語った。価値という言葉自体はポジティブであるものの、例えば「若い女」というラベルによってその他の可能性の翼がことごとくへし折られたり、がくっと膝に力が入らなくなるような、鳩尾が痺れて吐きたくなるような、視界が黒くなるような、潜在的な脱力感が何年もかけて緩やかに積み重なっていく感覚と、少女の「価値」というものは切っても切り離せない。両義的なのだ。

https://styleandidea.com/2024/01/11/akiko-yamane-si/

つまり、「少女」であることの価値がめっちゃ高くて、でもその価値の高さの根底に何かめっちゃイヤなものがある。そういう大きな構造がわかりやすく可視化されたのが90年代で、でも今もたぶん、この構造はなくなってないよね!? むしろより複雑になってるっていうか、「潜在的な脱力感」の積み重なり方も、より重層的になってるような気もする🤔

「崇高」大好き! 西洋音楽 vs.「カワイイ」という価値観

じゃあ、そんな「少女性」がリボン🎀として、バッハの音楽に、つまり西洋クラシック音楽の伝統に重ねられていく意味ってなんだろう?

これを考える上で、山根さんの《カワイイ^_-☆》っていう曲のプログラムノートに書かれてることが、ちょっとヒントになるかも👇️

カワイイは、日本由来の単語で成熟を拒否したような特徴もあり、特に完成された立派さや崇高さに価値を見出してきた西洋クラシック音楽では充分な市民権を得ていない価値観です。それについて、主張し相手を説き伏せるのではないやり方で、聴き手に投げかけることで問いかけ、対話しようと考えました。しばしば弱く、攻撃性の対極にあるカワイイ。カワイイから何を受け取り、何を見出すでしょうか。

https://styleandidea.com/2024/03/03/akiko-yamane-pn/

「カワイイ」って少女的価値の一部に含まれてると思うんだけど……その「カワイイ」は「西洋クラシック音楽の伝統」とはなかなか相容れない…ってコト!?(でもたしかに、「愛らしいクラシック曲」ならありそうだけど「かわちいクラシック曲」って思いつかない)

画像出典:https://buoy.or.jp/program/mumyo/(アートワーク:NABEchan)

で、結局《リボン集積》って、どんな曲なの? っていうのを、ここまでの話をもとに考えると……

「少女性」と「西洋クラシック音楽の伝統」、相性悪そうなものどうしを重ねてみたら、「かわいさ」と「崇高さ」のあいだで摩擦・ノイズがうまれて、両者の奥底にある暴力性、グロテスクなものの手ざわりや、それらと両者の「価値」の切り離せなさが浮かび上がってくる。

そんな解釈でいいのかな? ぜひこのなんともいえない異質な手ざわりを生で味わいにきてほしいな〜!! そしてみんなの解釈を教えてほしいな〜〜〜!!! ってクレイジーギャルズは思ってます💓💓

ライブのチケットは👇👇👇から予約できます。 《リボン集積》は最初にやるから、遅れずに来てね⏰️❣️


よろしければ投げ銭お願いします💸💸💸LIVEやMAGAZINEの制作資金にします🥺