農業をやってると見えてくる日本人の宗教観
宗教、と聞くとどんなイメージをもつでしょうか。
キリスト教の教会での礼拝や聖書の言葉。
仏教での坐禅やお経。
イスラム教の戒律を思い浮かべる人もいるかもしれませんね。
でも、それぞれの宗教について知識として知っていても、「信仰の本質」を気にする人はあまりいないかも?
神に救済を求める人々。
キリスト教などの一神教を信仰する人々は、神に”許し”や”救済”を求めます。
神を信じ、決まりごとを守ることで人々が救われるというのが一神教のざっくりとした考え。
例えば「安息日」。
神様が世界を7日間かけて創造した神話では、7日目に神様はお休みしています。
それになぞらえて、安息日には基本的に労働をしてはならないことになっています。(宗教によって厳格さは異なります)
神様でさえ休日を設けたのだから、人々も週に1回は休んで良い。
神から休息を”許された”というわけですね。
日本人の場合はちょっと違います。
安泰や保証を求める日本人。
製造業やサービス業が盛んな現代の日本の働き方は、ある意味「外国的」。
だから現代人は、一神教と同様、神様に休息を許されたいと思ってる人の方が多いですね。
でも、かつてはそうじゃなかったはず。
ほとんどの日本人が農耕や漁業、狩猟などを生業にして暮らしていた頃。
彼らにとってもっとも恐ろしいことは「自然災害」でした。
台風、洪水、干ばつ…
それらは作物や獲物の量に絶大な影響を及ぼします。
完全な自給自足の時代、災害が起きればたちまち飢えてしまう。
自然災害を科学的に説明できなかった頃、彼らは災害を神などの霊的な存在の「祟り」と考えてきました。
だからこそ神を正しく祀り、災いを避けるように努めました。
日本に残る多くのお祭りはそういった目的が起源です。
つまり、
神を祀ることで災いを避け、暮らしの安泰を求める。
そして農耕や狩猟を無事に行えるように保証してもらう。
これこそが日本人の信仰心の根幹にあるものではないでしょうか。
農業を始めて、日本人の宗教観が見えてきた
僕自身、田舎で農業を始めて実感しました。
天候、気温の変化には敏感になります。
大雨、台風なんてきたら気が気じゃありません。
昔のように自給自足してるわけじゃありませんが、それでも農作業ができなくなるような災害はとても恐ろしい。
だから地域のお祭りを大切にします。
年初めの祈祷、夏の例祭、秋の実りの感謝。
天気予報や雨雲レーダーを見て対策ができる時代になってもなお、根底では神様を怒らせないように、という意識は消えません。
土が無事で、水が無事で、体が無事で。
毎日元気に働けることを、神様に感謝して生きてます。
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