可哀そうと思われたがる人々
この小咲ももさんの投稿を読んでうっかり私の母親の事かとおもってしまった。この一連のツイートを読んでから下の記事を読んでください。
支配したい人と可哀そうがられたい人
この小咲さんの一連のツイートを読んでみるとわかるけど、私の実母は小咲さんのモラハラのお父さんのように甘やかされたわけではないけど、私の実母は伯父さん、つまり母の兄にべったりだった。子供の頃はなぜこんなに頻繁に親戚の家に行くのかな?と理解できなかったけど。伯父さんはどちらかというと強引で私は嫌いだった。
とにかく上から他人に命令したがる。不愉快でした。
実母は実家が昔は貧乏だったらしい。人から相手にされなくなると、今度はいかに自分が可哀そうだったかの話をすごくするし、父の悪口がひどかった。今思えば人の気をひくため。私は父に対して母のいう悪口の内容の様な事を一度も思ったことがないので「そんなことないでしょ」と反論すると、それがガソリンになり、もっと酷くなりました。
実母は支配され慣れいた人だったのかもしれない。この小咲さんの一連のツイートで気が付いた。実母は物事に対して大騒ぎする割には主体性がなく自分の事を決められない人で、人に決めてもらいたがり、そしてうまく行かないことは人のせいにいたので、私は常に内心イライラしていた。
物事が決められないのに他人の生活の決定権を欲しがった。例えば私と夫との生活にとにかくクチを出したがった。クチを出すなら責任も取ってくれるのか?というと「そんなのあなた達の問題だから私は責任のせいじゃない、だけど私の言う通りにするべきだ」とくる。
ご近所の、他人の家の事にもクチを出したがったし、執着心も病的だった。だけど最後は「私は責任のせいじゃない」と言ったりするので、そりゃご近所から嫌われるわけです。
そういえばこの記事に出てくるゲーマー主婦もそうだった。子供の世話を放置でゲームにのめりこんで、そして話すことは実家の文句と夫の文句といかに自分が可哀そうであるか、ばかりだったなと思う。
たまたまこんな記事を見つけたのだけど、これに出てくるAさん、私の記事のゲーマー主婦に性格すごく似ていると思いました。執着心がすごくて私にもしばらく電話が鬼のようにかかってきて、着信拒否したりして大変だったことを思い出しました。
いかに自分が可哀そうかを訴える人は「寂しい」も連呼する
これが例えば、病気で何か月も入院してしかも重病で他人に会えなくて寂しい、ならまだわかる。一人でいることを物理的に強制されている状況なら、まだ。
通常の生活をしているのに可哀そうがられたがる人って「寂しい」と言って同情をひこうとする。寂しくて可哀そうな人なら哀れだから他人に何をやっても何を言っても良いと思っている節があるように思う。
私の実母も、上の記事のゲーマー主婦も「寂しい」という言葉をよく使った。グーグル先生に寂しいについて教えてもらう。
心が満たされず、物足りない気持ち、人の気配がなくひっそりしている
結局、寂しい人は「暇で退屈」なわけです。暇で退屈について調べてみたツイートがこれなんですけど、やることがあるのに暇で退屈なのは「単調なので刺激が欲しい」と思っていてその刺激を他人になんとかして与えてもらいたいと思っている状態です。クレクレ状態。
要注意したほうがいいのは
寂しいという言葉をたくさん使う人
可哀そうという言葉をたくさん使う人
こういう人は間違いなく関わると生活に支障をきたすし、自分自身のメンタルにも良くない。周囲に「寂しい」というワードをやたらと使う人、「可哀そう」をやたらと使う人には用心したほうが良いですよというお話でした。
ではまた、Até logo!
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