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結局は選択の蓄積

最近、こんな記事を見つけて残念な気持ちになったが、家人のひとことで目から鱗が落ちた。


物凄く内容を端折ると、家族を大切にしなかったお金のある男性が詐欺紛いの目にあったり、親戚にお金を毟られていて、それを知った実の娘が憤慨している話。

この記事を書いた娘さんの立場からいえば、〝家族を大切にしなかったうえに騙されたりしてなんて恥ずかしい父親だ〟と言いたいところなのかな、と思って読んだ。

私もこの娘さんの立場だったら同じ事を思っただろう。

ただ、この話を家人にすると違った。
「そのお父さんは自分のお金を自分で使ってその娘さんに迷惑をかけたわけではないのだから好きにさせたら良い。」
目から鱗だった。これが「娘の名前を勝手に使って借金でもした話」なら別だが、この記事に出てくる男性は違う。

家族を大切にしないという選択をしたのも男性だし、お金を使って赤の他人の関心を引くという手段を取る選択をしたのはこの男性。

娘の立場のこの女性が現実として大変だったのは、実質、介護認定を受ける過程と男性の家の後始末だけだ。

高齢化社会なので、この記事のような高齢者はこれからたくさん出てくるんだろうけど、最後の最後で家族にどう思われるか、どう扱われるかは、それまでのその人の選択の結果だよな、と思った話。

ではまた、Até logo!

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