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丸太と岩と椰子、樹脂でできた楽園

振り返ると漠然と建築が好きな子どもだった。そのきっかけは父母が1980年代のバブル時代に、週末ごとに関西各所の売出し中のマンションに連れ回したからかもしれない。実家は酒屋と立ち呑み屋を営んでいたが、それとは別に安定した収入のために、マンションの賃貸業も細々とやっていた。元になる資産が潤沢にあるわけではないので、毎週末物件を巡っては、ここはひどいな、とか、エントランスの雰囲気はいいけど、タイルの色が全然あかんわ、などとたいていお眼鏡にかなわず、その行程を夫婦で趣味として楽しんでいたふしがある。何年も巡っていたが、子ども時代に「これは!」というマンションに出会って購入に至ったのは、六甲山の見晴らしのよい山中にある1軒だけだったと記憶している。

そのマンションがある坂の入り口には、安藤忠雄建築の石造りのOLD NEWというカフェがあり、自分の記憶のなかでは、マンションと一体化して、ポストモダンな美しさの城になっている。マンションのエントランスにはパルテノン神殿の柱が途中で崩れたような、あの時代特有の飾り柱と、熱帯的な植物、黒と白の大理石とガラスがふんだんに使われていて、リゾート至上主義といったイメージが生み出されていた。遠くに海が見えるマンションのテラスからは、脳内では神戸のヨットハーバーがはっきり見えるようで、実際には、神戸の街並みの向こうにポートピアのコンテナ船用のクレーンが立ち並んでいた。他人に貸すために購入したマンションで、実際には一度もそこで暮らすことはなかったのだが、とはいえオーナー視点というものか、父母はすごく豊かな気持ちになっていたように見えた。

関西には安藤忠雄建築が多く、その空間には無意識のままずっと影響を受けていたと思うが、意識的に建築にやられた!という記憶は、中学生のときに学校の勉強合宿で訪れたマイカル三田ポロロッカという建物だ。それはガラス張りの巨大なピラミッドで、半分地中に埋まっている。そして、そのガラス張りの光が降り注ぐ建物内部に、滝があり川が流れ、植物が茂ったビオトープが続く。その擬似自然空間を越えて、建物内建物に入っていくと、自分たちが宿泊する個室が並ぶホテルのような場所に着き、部屋はベッドも机もすべて壁に収納された不思議な作りで、でもウッド系の温かみを感じられる居心地のよい場所だった。全員が食事を摂る大きな講堂のようなスペースへは、赤や黄色の一面が鮮やかな壁に仕切られた空間を抜け、大理石の床には、枯山水のように巨大な天然石が配置されていた。共同のトイレはゴールト×ブラック×イエローの大胆な空間で、そわそわして用を足しづらかったのを覚えている。ずっと記憶のどこかに引っかかっていたこの大胆な建築を作ったのが、エミリオ・アンバースという人だと知ったのはそれから何年も経ったあとのこと。日本では同じく背面が緑に包まれたアクロス福岡でも知られている建築家だ。マイカル三田ポロロッカは、バブル期だからこそ実現できた建物で、維持費がものすごかったのか、2000年代前半に壊されて、今はもう存在しない。

建物内に水が流れるということに、なぜか、並々ならず惹かれるところがある。エミリオ・アンバース建築もそうだが、大阪江坂にあったカーニバルプラザという古い紡績工場をリノベーションして、食のアミューズメントパークのようにしたレストランも、自分にとっては理想郷のような記憶がある。岡本太郎がその顔のあるロゴをデザインしていて、レンガ造りの倉庫に入ると、ディズニーランドのカリブの海賊のような木製の跳ね上げ橋があり、その下に水が流れる池がある。その水面でラジコンの船を操縦できたり、橋を渡った先のマーケットで外国製のお菓子やおもちゃを物色したり、また天井には雷鳴や雨、雲などが映し出されて、ディズニーランドに行く機会のなかった大阪の小学生にとっては、夢の国だった。こちらもバブルの遺産的存在となってしまって、今はもう存在しない。岡本太郎が描いた顔のモニュメントが、江坂の緑地に記念碑的に横たわっているだけだ。

水の流れについて、一番最初の記憶は、エキスポランドの急流すべりだと思う。目が光って鼻から煙を吹き出すドラゴンのヘッドが怖くて、泣き叫びまくって、それを見て苦笑する父親という光景。その下にあった、小さな急流すべりは大好きだった。プラスチックやビニール製の岩、水底のスチール製のレールといったチープな素材でできた南国楽園。樹脂製の丸太の船がカーブにゴンゴン当たっていく。洞窟に入っていくとオウムやモグラがカクカク動いて光って喋って、洞窟を抜けるとちょっとした段差のスプラッシュ。もうすぐに出発地点に帰っていく地獄めぐり、輪廻転生、循環。円環。

こんな記憶を引っ張り出しながら、仕事の影響もあって住宅や建物が好きになった自分は、建築の本を集め始めた。専門的に勉強したことがなく(大学は社会学科だったが、学生時代から雑誌の編集バイトに明け暮れていて、そのまま今につながる)、どこに行き着くかもわからないけれど、つきない興味を振りまきながら、また自分にとって新しい視点を身に着けていけるといいなと思っている。その道程をちょっとだけ、記述できたら嬉しいと思っている。


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