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すべての男の子の青春映画を観て、格差について考える

春分の日の今日、皆さんいかがお過ごしでしょうか。普通なら、3連休の初日なので出掛けたくなりますが、新型コロナの影響で巣籠りされている方も多いのではないでしょうか。

そんなときは、家で映画でも観ましょう。ではないですが、本日は2回目の映画の所感です。

「スタンド・バイ・ミー」(ロブ・ライナー監督)

米国の全く見たことがない街なのに、なぜか「トトロ」を始めとした日本の懐かしい風景を観たときに感じる心の原風景。
「12歳の頃のような友達は二度とできることはない」と最後に主人公が述懐しますが、映画を観ながら自分もその頃を思い出していたなぁと、シンクロさせるところは見事です。

大人から見れば、なんとも下らない子ども同士の意地の張り合い。
知らずしらずに傷つけてしまう態度。社会的なヒエラルキーや損得なしで付き合える友情。
損得・ヒエラルキーのない付き合いは、魯迅の故郷を思い出させますね。

まあ、故郷については、階級社会への批判と次代への期待がもろにテーマですが。。。

とはいえ、米国もアメリカンドリームといいながら、結局は「成功者と落伍者」という階級を作り出してしまい、格差は広がる一方。
米国内の格差の酷さというのは、マイケル・ムーアに代表される”社会派”映画監督に描かれています。ああいう映画を観ると、やはり日本とは考え方が違うんだなと思ってしまうこともしばしば。

ただ、近年では日本でもその様な格差が世の中に見え隠れしてきました。
単純に統計上どう(※ちなみに、格差を示す相対的貧困率では、日本はG7で米国についで2番目に格差が大きい国となってます)というだけでなく、「勝ち組・負け組」や「上級国民」といった言葉が流行ったりしたのは、精神的にも格差を容認しているような感じがして恐ろしいです。

もちろん、「機会の平等」は与えているのだから、「結果の平等」まで求めるのは間違っている。格差を無くすことを目標にした、社会主義・共産主義は倒れたではないかという主張はよく分かります。

ただ、新型コロナ騒動で、マスクの買い占め・転売や、薬局・ドラッグストアの店員さんへの暴言など、なんとも最近の「自分さえ良ければいい」という風潮がちょっと恐ろしいなぁと思って、「スタンドバイミー」から感じた格差と合わせて書かせていただきました。

一方で、企業や個人が備蓄していたマスクを寄付するなど、まだまだお互い様で助け合える文化を、我々は忘れていないと思います。
自分勝手にやるのでなく、相手を思いやる姿。子どものように「それが格好いい」と言い続けられるように、自分自身気を付けていきたいです。

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