私の自己紹介(指導者編)

皆様、こんにちは。

前回の選手編では選手時代のご紹介をさせて頂きました。

今回は首題の通り指導者編です。
私が指導者を志すきっかけは

TVゲーム

なのです。ちょうどブラジルから日本に帰ってきた頃(中学3年)に

『プロサッカークラブをつくろう』

をやり、選手以外の視点が面白くドはまりしてしまいました。まぁゲームなので当たり前ですが続ければ徐々にチームも強くなるわけで(笑)
ですがお金の収支だったりクラブの練習メニューや調子を見たりと本物の指導者のほんの数ミリに触れたことによって当時の藤井少年は面白みを感じたわけです。そこから指導者と言うもの少し視野に入れ始めたころです。
そこで私は大学1年時にサッカーのC級ライセンスを取得しにいきました。特に指導する場はなかったのですが将来何かしら指導現場に関わる事ができたらと思っていたので中学時代在籍していたチームのコーチに相談したら協力していただき、講習を受けれる事になりました。
その時、一緒に受けていた中でもちろん私が1番若く最初は怪訝な目で見られましたが(笑)

その後、私はフットサルに出会い、エンジョイ大会などに出ていた最中、よく行っていたエスパルスドリームフィールド駿東で私は翌年に縁あって大学に在学しながらエスパルス駿東のアシスタントコーチになることができました。

当時はアシスタントコーチなので基本的にはメニューは組みません。メインコーチが組んだメニューの用具の準備など練習がスムーズに、且つ子供が集中できるように促す。事が主な仕事でした。正直、指導というよりお手伝いのような感じでした。
(清水エスパルスの滝選手が当時小4で在籍していました。)

担当は小学校高学年と大人のスクールでした。
ただ他のコーチの話を聞き、自分の肥やしにするには私にとっては掛け替えのない時間だったと今では思います。

エスパルスで1年お世話になり、その後アスルクラロ沼津に指導の場を移しました。代表と一緒に仕事をさせてもらい、現場は低学年でしたが、クラブ運営としても今のJ3に昇るまでの過程の一部分を見て、体感して、経験できたことはすごく良い経験だったと思います。

その経験を得ていた最中で私は選手としてフットサルの競技の世界に身を投じます。その時19歳でした。
もちろんサッカーはやらず指導現場からも距離を置き、選手に全力を注いでいました。もがき苦しみ、ようやくフットサル選手として道筋が見えてきた時に今のクラブの当時の代表に出会いました。

熟考した結果、選手と両立できることとFリーガーと一緒にフットサルに関われる。とのことで指導現場に戻ることになりました。

私はフットサルが全くわからず(今もまだまだわかりませんが)見て、聞いて、やってみてのサイクルを常に実行し自分自身が選手であったが故に自分が実体験になって修正して練習の考案。という流れでやってきました。
まぁ勉強しながらってスタイルですかね。

指導者は知識がなくたって始められるんです。自分自身でいくらでも成長できるし本質をとらえることができれば必ず子供は夢中になります。

重要なのは知識じゃない

私はそう思っています。事実として私は知識0からやってきました。
知識0の指導者が技術委員長、選抜輩出率No1、Fリーグ選手輩出、フットサル日本代表、全国大会出場などの”子供達にとって"の嬉しい結果を子供たち自身で勝ち得ています。

私の考え方の1つとして指導と言うより伝導を基本としています。
言葉の意味としては様々な解釈があると思いますが私は『指導』には強制力が強い印象があります。なので私は伝え、選手自身で考え解釈しピッチで表現。が基本的な考え方です。

皆様の参考になるかは分かりませんが1つのモデルケースとしてとらえて頂けたらと思います。今ではこのクラブで9年やらせてもらってます。関わった子供たちの人数は計り知れず....
1年目に関わっていた子達は今では成人というと残酷な時の流れ(笑)

初めはジュニアユースを担当し今では高学年スクール(4~6年生)、ジュニア(小4~小6)、ジュニアユース(中1~中3)、ユース(高1~高3)、と関わる事になりました。

そして今年....

30歳を迎える

わけです。若い指導者と思われるかもしれませんが(実際若輩者ですが)自分は自信を持って現場に立つようにしています。

自信がない指導者の練習メニューを子供たちが没頭できるわけないですからね。(決して自分を大きく見せるわけではないです)

ここから新たな目標に向けて邁進していこうと思っています。

ここまでが藤井の自己紹介になります。

多少は分かっていただけたら幸いです。


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