どうにもスピリチュアルは認知機能を低下させる

スピリチュアルな世界の話を聞く機会が少しだけ多い
それは、肉丸さんという友達と、ゆらさんという友達が居るからです
この2人は(私から見て)面白い人生を歩んできたお友達なのです

肉丸さんは色々やってる人なのですが、その中に心理カウンセラーがあって
ゆらさんはアーティスト兼占い師

人様の事を勝手に話すのもあれなので
二人とも表舞台に立って活動している人だから、興味あったら是非本人等のTwitter等フォローすると良いです

肉丸さん→
http://twitter.com/029maru/
ゆらさん→
http://twitter.com/ayr0x0dgr/

仕事も性格も違う二人なのですが、一個共通点として
『スピリチュアルの知識があり、それを技術として昇華していて社会的に存在が認められている』ところがあるのです

というのも
私が知る限り大半のスピ関係の人(所謂幽霊や神様が見えている人や、自称占い師)は、その人自身がまず社会生活に干渉できていないのです


私は幽霊が見えないので、見えている人の言葉を素直に自分のものにする事はできない
ただ見えている人を嘘吐きだとは思っていない


数年前、自分に『色聴』というものが備わっていた事を知った

私は音楽や声に色を感じるのです
視覚的に色が見えるのではなく、後頭部辺りに色が浮かぶのです
「赤色を思い出せ」と言われたら多分赤色を思い出す事ができると思うのですが、その感覚が強制的に引き出される感じです

それは当たり前にすべての人が持っている感覚だと思っていた
みんなが言う『暗い歌』は『黒や群青やカビ色の歌』の事を指しているんだと思っていたし
『明るい声』は『黄色やピンクが見えている』と思っていた
「戸田恵子の声は明るいよね」と会話は成立していても、
相手は(色彩的にオレンジだから明るい)という認識では無かった

生まれた時から音楽に色がある世界が当たり前だったけど、周りが色でなく感覚の言葉で音を表現するので
同じように「明るい」「暗い」「優しい」「冷たい」の表現で生きてきたから周りとの違いに気づくことが出来なかった

なので今更この感覚を伝えた時に「私の声は何色?」と聞かれても上手く表現できない
(赤とか青とか言っているけど本当はもっと詳細に質感や材質が見えるから説明がすごく面倒
紫でも夜のネオンの紫だったり、木目のような茶色だったり、もっと形容し難い時がある)

同じ色聴持ちでも、全然違う色に見えたり
そもそも私の体調と相手の気分次第で同じ音でも色が変わる事があるから
結局この感覚を証明する事なんかできない

だから色聴の話は仲良い人にしかしない
「ちょっと人とは違うんだぜ?」って天才アピールしてると思われたくないし
クイズみたく試されるのもすごく嫌


ただ所謂特殊な感覚って、正直全員持っていると思う
私は作曲をするから、歌い手に楽曲を伝える作業の中で『色と音の連動性』が特異だと知る機会があった
なので特異感覚を持っている事自体に気付けていない人が沢山いた所で何もおかしくない

例えば人間関係の嗅覚が優れている人って、私とは違う何か別の感覚で「あいつはヤバい」「あの人は大丈夫」って振り分けていると思っていて
それがただ言語化されていない感覚なだけなんだと思っている

近くにいるだけで皮膚感覚に僅かな寒さを感じる相手に「あの人は冷たい人」と言っていたとしても、本人の中でその感覚が当たり前であればその感覚を持たない人にはその人の特殊性に気付かない
みたいな

結局他人の感覚と自分の感覚を照合する事は出来ない
私の見えている『青』が、他人にとっては『赤』かもしれない理論と同じ
私が寒色と呼ぶ、16進数の#0000FFが
他人の網膜を通して脳で処理されても果たして私が見ている『青』になるのかはわからない
私の脳では『赤』とされる色が「海のような青ね」と言われているのかもしれない


スピリチュアルを否定しないのはそういう理由で
人それぞれ見えている世界が色聴を通して本当に違うと知ったから

ただそれについて重要なのは
『自分にしか見えないものとどう共生して社会性を身につけるか』
だと思う


肉丸さんが言ってた言葉で、
「幽霊や神などスピリチュアルな存在の話をする前に、そもそも他人とのコミュニケーション能力・社会的自立性が無ければただのおかしな人と処理される」
が言い得て妙だと思った

私の色聴が生活に支障をきたす事なんて殆ど無いから何も問題無い
(一個言うなら私は色と音楽が連動しているので明るい色を見ながら暗い曲が書けない、夜に爽やかな曲が書けない)
ただこれを周りに私が言い触らしていたら「厨二病」と思われて友達を失う

当たり前のことを言うけど
『幽霊が見えます』
『神様が見えます』
は物理の世界で生きてる人は全くもって理解しない
最悪「統合失調症かもしれない」と距離を置かれることもある

往々にして自分の存在を承認してもらうためにスピリチュアルを口走る人は遠回りしている事に気付かない
「神様が見えるなんてすごい存在だ」「ありがたい存在だ」と思ってもらいたくても、実際そんな風には誰も思わない

「本当に神の声が聴こえているからこそ人々を救いたい」と思っている人は、
まず社会性を身につけないと誰も声を聞いてくれない
結果誰も救えない


この世界は物理が優先される世界なので
まず全員に見えていて全員が触れられるものを最優先に生きていかないと統合失調症だと思われてしまう

医者でない私は
幽霊や神様が見えている人と精神病の人をどこで見分けるかで言えば『他人と普通のコミュニケーションが取れているか否か』だし
その上で私に見えない世界については『否定はしないけど私の人生の中での優先度が低い世界』なのです
だって私に見えないから


昔、不特定多数のパーティーに呼ばれた時
道中何故だか倒れるほどの頭痛が起こり引き返し結果参加をしなかった
そのパーティーがのちにマルチ商法の勧誘用パーティーだと知った事があって
その時に(何かの力が護ってくれたんだなあ)と思った

生きていれば不思議な偶然はあるし
それが絶対に偶然で起こったとは証明できないので、超常現象はシュレディンガーの猫だと思う
『物理的な偶然』と『精神的な操作』が同時に存在していて、結局どちらも否定出来ない

守護霊が護ってくれた
のかもしれない
潜在意識の中でそのパーティーがヤバいパーティーだと認識していて、それが元で体調に変化を来した
のかもしれない

正解がわからないのであれば、私以外の意思が干渉して救われた場合の事を考えて守護霊さんにありがとうと言う
ただ最終的には神様や守護霊より自分の意思を優先して生きていく
そうしてしまえば誰も否定せず損も無い

スピリチュアルの話ってやっぱり面白くて
例えばお友達のゆらさんが言っていた
「猫にも守護霊猫が憑いていて、猫の上に猫が乗っかってる時がある」
って話とか、公園で野良猫を見てはそれを思い出し「かわいいなあ」となっている

そうやって見えない精神世界を想像して覗き見するのは楽しい
だけどこの世界の住人にはなりたくない


脳の思い込みってすごく脅威で
見えていないものを信じ込めば簡単に幻聴が聴こえたり幻覚が見えたりする
網膜から入った視覚情報を脳のフィルターに掛けてんだから
その視覚経路にエラーがあったら頭の中の創作物が実際隣に居るように見えてもおかしくない

正常に入力処理ができない脳になったら物理の世界と精神の世界の違いを見分ける事はすごく難しい
『自分の意思』を『神の意思』と思い込んでいるだけでも、その誤りを自分自身で見抜く事はほぼ不可能
「何故自分の見えている世界こそが本物だと言い切れる?」と自問自答出来ない体になれば終わりだと思う


精神が強い人は自身の意思より他の意思を優先する事が無い
スピリチュアルやマルチ商法が、どれだけ精神が傷付いている人の癒しになってしまうかは見てきた

お友達の肉丸さんとゆらさんは、精神世界に触れても全く自分という軸がブレない人達で
そんな人じゃないとスピリチュアルはとても扱える代物じゃないと思っている

肉丸さんは専ら物理次元の仕事をしているので、商売としてスピリチュアルを扱う事はほぼ無いけど理解と知識は備わってる
ゆらさんは占い師として精神世界を広く見ていて、それが社会的に認知されているからこそ立派に商売として生活が為されている

どちらの話も「まず物理次元で出来ることを最低限解決させようよ」から始まる
結局メンタルの不調・体調不良は運動不足が由来する事が殆どなので、とりあえず運動しようとか外の空気吸おうから始まる


スピリチュアルに深く足を踏み込む時、
現実を受け入れる精神力が備わっていないと簡単に精神世界に飲み込まれてしまう
赤の他人はその人を見て『精神病だ』と処理をする

占いやスピリチュアルを自分の行動のきっかけにするのは良い事だと思う
でも「占い結果でこう出たから」とか「神様がそう言ったから」をアテにしていると必ず自分の意思が見えなくなる

自分の意思を簡単に守護霊だとか神様だとかに握らせるのは、楽かもしれないけど緩やかに地獄に落ちる

星占いをエンタメとして楽しむくらいの人達を除いて
スピリチュアルに明確に理解がある人ってめちゃめちゃマイノリティで
精神世界を優先すると自ずと友達は減るし孤独になっていくと思う
そうすると数少ない理解者に自ずと依存する事になる
その時点で神様や守護霊だけでなく『依存相手』に対しても自分の意思決定能力を押し付ける事になり
相手としてはそんなのたまったもんじゃないので避けていくし
または、それを利用して相手の都合良く自分の人生を操作されてしまう

どちらにせよ自分の人生を自分でコントロール出来ない事態に陥るので、スピリチュアルの世界と共存するのであれば本当に最低限社会の一員になる義務があると思う
まずはスピリチュアルを1ミリも信じていない相手と、幽霊や神様が見えることを伝えた上で友好関係を結べるかどうかとか


幽霊や神様が見えていて
その人達の言葉が聴こえても
家族や友達や病院の先生の言葉を忘れてしまうなら
精神世界なんか全部消してしまって良い

その為の学術だって存在してる
見えているもの聴こえている声が本当に現実世界の自分の人生を豊かにしているのか判断しないといけない
満たしてるのは心だけになっていないか
スピリチュアルに出会う前と比べてお金は無くなっていないか
友達と遊んだ日々より精神世界での暮らしの方が幸せだったか
「精神病だ」と言われても「そう見えるのが正常だ」と他人の目と現実世界の自分の立ち位置を素直に受け入れられるのか


私は『本当に』幽霊や神様が見える人が否定される世界は好きじゃない
だからそういう人には現実社会を全うして、一般社会のコミュニケーション能力を高めていってほしい
ただもうそれで偏見が消える世界が訪れる事は無いと思っている
どうにも本当に見えているのか怪しい人達は往々にして物理次元の努力が嫌いな印象があるから

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