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5つの隣国と地続き 多様な文化が流入し入り混じる国ミャンマー (1/2)

隣国との関係を二回に分けて聴いていきます。
今回の話題は
・ミャンマーの5つの隣国のうち、インドとバングラディシュとタイとの関係について。
・インドシナ半島(東南アジア)のなかでもインドと隣り合わせなのはミャンマーだけ。ミャンマーはインドシナ半島の中でも他の国とはすこし雰囲気が違っているのは、インドの影響を受けているから。そうみるとミャンマー料理も理解できる。
・そして東側に接しているのはタイ。ミャンマーのなかでもタイ国境の民族はタイとの関連がとても強い。ミャンマー料理はタイの影響も受けているので、タイとインドを掛け合わせた感もあり。
・そしてイスラムの国バングラディシュとの関係はイギリス統治が大きく影響。ロヒンギャの人たちの問題はバングラディシュとの国境で生じている。
・特に近年、何かにつけても大きく関係が生じている中国は次回でお話しましょう。

話す人:(T)チョウチョウソーさん
ミャンマーのヤンゴン出身 日本に難民として来日、現在は高田馬場でミャンマーレストラン「ルビー」を経営。NHK海外放送キャスター、在日ミャンマー人支援、大学教授と一緒に学生の社会活動協力、など多方面で活動
聞き手:(Y)山下 crafts of myanmar noteの管理人
 
(Y)お久しぶりです
(T)久しぶり。お元気でしたか。
(Y)前回から時間が空いてしまいましたが、また再開しますのでよろしくお願いします。
(T)そうですね。よろしくおねがいします。
 
(Y)昨年までは私がミャンマーのヤンゴンに旅行した時の記録をもとにミャンマーについて伺ってきました。現地を訪れてから時間も経ちミャンマーの社会状況が大きく変わり、ミャンマーという国について基礎から知りたいと思うようになりました。そこで今回からはミャンマーという国について広く教えてほしいと思っています。先ずは地図を見ながら、ミャンマーと周辺の国々との関係から伺いたいと思います。
 (T)承知しました。

(Y)ミャンマーは日本から4,000キロメートル、飛行機で約7時間離れたインドシナ半島の西側に位置し(注:2023年現在直行便はありません)、多くの国と国境を接しています。インド・バングラディシュ・中国・ラオス・タイ、の5ヶ国です。日本が陸続きに隣り合わせた国はないのに比べると、全く異なった環境であることが良く分かります。日本で育った私にはそれがどういう事なのか頭では分かっても実感としてはまったく分かりません。
 
(T)そうですね、日本は島国で何処とも陸続きではありませんから、私たちと日本人とはその点は全く感覚が違うと思います。そのあたりを意識しながらお話ししましょう。
 
インド
(Y)ではインドとの関係から教えてください。インドとはミャンマーの北西部で長い国境で接しています。インドは古代から続く大国ですが、東南アジアの国々の中では唯一ミャンマーだけが国境を接しています。
 
(T)インドと直接に接していることは他の東南アジアの国々とミャンマーとの大きな違いですね。ミャンマーはインドから大きく影響をうけています。
まずミャンマー料理。香辛料を多く使う事、油を多く使う事。ミャンマーのカレーはインドのカレーとよく似ています。その他の煮込み料理も香辛料を多く使ったカレーのようなものがほとんどです。

(Y)ミャンマー料理は同じインドシナ半島でもカラフルでさっぱりしたタイやベトナムの料理とは見た目も味も違いますね。カレーも見た目はインドカレーとよく似ています。でも食べるとなにかが違うんです。
 
(T)そこはあとで話しましょう
次に宗教です。仏陀が生まれた国インドから仏教がダイレクトに入ってきました。中国を経由して仏教が大乗仏教として伝わった日本とは大きな違いです(注:ミャンマーの仏教は輪廻の世界観に基いて善行と修行を大事にした上座部仏教)。今のミャンマー国民の8割以上は熱心な仏教徒で仏教が社会のあらゆる面に影響を与えています
 

ヤンゴン シュエタゴン・パゴダにて


そしてインドからの人の流入があります。第二次世界大戦以前ミャンマーとインドは合わせて一つの国としてイギリス人に統治されていたんです。そこでインドから大勢の人たちが流入し主に金融を担っていました。その人たちは今ではインド系ミャンマー人になっています。ヤンゴンにはインド人街があり、そこには秋葉原のようにコンピューターの店がたくさん並んでいます。インド人はヒンズー教徒なのでヤンゴンにはヒンズー寺院がいくつもあります。
 
バングラディシュ
加えて以前はインドの一地方だったバングラディシュ、この国は低地でサイクロンが来るたびに大きな被害を受けています。それで大勢の人たちが水害を逃れて地面が比較的高いミャンマーに移動してきました。ロヒンギャと呼ばれている人達です。彼らはイギリス統治の時代にもイギリスの政策で大勢移住してきました。宗教はイスラム教です。ミャンマーにはイスラム寺院が多くあります。実はイスラム寺院にはヒンズー寺院よりも多くの人(インド系住民以外も含め)がお祈りに集まっているのですよ。
ご存知のようにロヒンギャの人たちとミャンマーの間には大きな問題が起きています。複雑な問題です。ぜひご自身で調べてみてください。
 
(Y)僕はミャンマー、タイ、ベトナムの順に移動してインドシナ半島を旅行したのですが、あとの二つの国にくらべて食べ物も建物などの色も、何か茶色いというか異なった感じを受けました。これはインドと接しているからなのですね。ヤンゴンのヒンズー教寺院は雰囲気が周囲の街並にくらべそこだけ異世界というか、どこか穏やかな仏教寺院に比べると強烈にパワフルで戸惑った覚えがあります。
隣国であるだけでなくイギリスの統治政策もありミャンマーはインドから大きな影響を受けた事が良くわかりました。
そして仏教の国と言われるミャンマーですが、実はそれだけでは括れない宗教の多様性があるということも分かってきました。
 
(Y)インドの隣は中国ですが長くなりそうなのでその前にタイとの関係を教えてください。
 
タイ
(T)ミャンマーの東側がタイです。こちらも長い国境を挟んで隣り合っています。18世紀コンバウン王朝の時代にはミャンマーは一時タイを属国にしていました。
(Y)ミャンマーは結構強い。
(T)そう、強いですね(笑)

(T)タイとミャンマーはいろいろと似ていることが多いです。どちらも上座部仏教で正月はタイもミャンマーも同じく4月中旬です。特にタイとの国境付近に広く居住しているシャン族の人たちはタイの影響を強く受けています。言葉も似ています。シャン族の料理はあっさりしていてタイの料理に似ています。日本人の舌に合うようで人気もありますね。
 
私の母はタイとの国境の近くの出身です。母はタイのことをタイと呼ばずにシアン(シヤン)と呼んでいました。シャン(族)という呼称と似ていますよね。そしてタイに行くことをシアンに行くと言っていました。私はこの呼称には関係があるのではと思っています。
タイから中国にかけての国境地帯は山岳地帯で多くの民族が住んでいます(ミャンマーには130の民族があると言われています)。この国境付近の民族抜きで国境地帯のことを語ることはできないのです。これは改めて国内の事としてお話ししましょう。
 
ミャンマーはインドとタイそれぞれの影響を受けていますが、顕著に分かるのは料理です。ミャンマーのビルマ族の料理はタイとインド両方の影響を受けています。食材はタイとほぼ同じです。

私が最初日本に来たときはミャンマーの食材屋さんはありませんでした。それでタイの食材を買っていました。魚醤を使う点も同じですね。でも味付けはインドと同じで香辛料を多く使います。油も多く使います。材料はタイ、味付けはインド、どちらも混ざっています。さっき話に出た同じカレーでもインドとは何かが違うというのはここですね。

チョーチョーソーさんの店ルビーのカレー

(Y)ありがとうございます。日本と違って国が拡大したり縮小したり違う国として扱われたり、隣り合う国の文化が交差し人も流入していろいろと常に流動的であることが良く分かりました。日本は常に他国と領土を取り合ったり多くの人が流れ込んだりする状態ではありません。ここまで日本とは異なった環境をみると国とはなにかと考えさせられます。

今回はここまでにして、次回はラオス、そして現在も強い影響のある中国との関係を教えてください。よろしくお願いします。

 (T)分かりました。ではまた次回。