人は自由意志を持っているのか?

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こんにちは。
 今回のお題は「人は自由意志を持っているのか?」についてです。
皆さんどうでしょうか、自信をもって自由意志にもとづき日々生きられていますという方いらっしゃればコメントください。是非お話ししたいです。

1. なんで自由意志の話? 

 今回の上位トピックは「人工知能」です。今回このお題を選んだのは、人工知能の前提としてAIに自由意志を持たせる必要があるのか?という観点について考えていきたいからです。

2. 人工知能と自由意志の関係

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 そもそも、人工知能の前提とはどのようなものでしょうか?おそらく「人間と同様に動作する機械」であることといえます。この点について見ていくと人工知能と自由意志は密接な関係にあることが見えてきます。

 チューリングテストというものがあります。かの有名なチューリング先生によって提唱された人工知能の定義で、「機械にインプットを行い人間ぽい回答が来ればそれは人工知能じゃない?」といったものです。まあ一部否定されてもいますが、今回はわかりやすくこの前提を使います。
 こうした前提にたった場合、人が人工知能を人間らしいと思うのは「人工知能が自由意志を持ってある程度理性的に行動できているように見える」時だと考えられます。

 ここでいう理性的というのは言い換えれば論理的にという意味で書いています。また、Wikipedia先生によると自由意志の意味は下記の様に説明されています。

自由意志とは人間が自己の判断に対するコントロールを行うことができるという仮説である - Wikipediaより

 つまり、「人間との対話において、人工知能が自己の判断に対してコントロールをしつつ論理的にコミュニケーションが行うことができる」というのがゴールとなります。

 人工知能を考えていく場合はまずこの自由意志(人によっては「心」と呼ぶのかもしれませんが)をどのように実装するかを考える必要があります。

3. 本当に自由意志はあるのか?

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 しかし、本当に自由意志というものはあるのでしょうか?説明にも書いてある通り、「人が自由な意志を持って自己の判断に対してコントロールを下すことができる」というというのは仮説に過ぎません。この仮説は実証されることのないまま遠い昔から現代まで議論が続いています。

 自由意識などない!と主張する側の意見としては以下のようなものが考えられます。

・人間は腹が減れば食べ物を食べる。これは自己の判断にてある程度コントロールされているが実はそうではない。数億年かけて進化してきた遺伝子情報に「栄養が不足しているサインが出たら、何か食べ物を探して口に入れて嚥下しなさい」という命令が書き込まれているからだ。

 これについては実にコンピュータ的な考え方を当てはめることができ、プログラムなど書いたことがある人だとif文とかなんだろうな~など思うのかもしれません。現にプログラムで動いているSiriや、あるいはコンピュータ、電子案内板との対話においてある程度人間同様スムーズなやり取りが最近では行われています。

 人間がこのような条件と命令文の集まりで動いているのであるとすれば、そこに自由意志など介在する余地はなく、遺伝子で組み込まれた情報をもとに人は判断を下している(ように見えている)のではないでしょうか。今日食べたいと思って選んだラーメンだって直前に見たラーメン特集やチラシの影響かもしれません。記憶と判断には非常に密接な関係があることも一般に広く知られています。

 このような観点から考えていくと個人的には本当に自由意志なんてものがあるのか?と疑ってしまいます。

4. 結論

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 結論と書いていますが、ここで結論めいたことを書いてしまっては嘘になります。大昔から考えられているこの議論、は私一人でえいや!と答えを出せるようなものではありません。ですので、ここでは私見を述べて終わりとしようと思います。

 私個人の意見しては、人間の自由意志なんてそんなに素晴らしいものではなくヒトが進化していく過程で身についた選択の幅なのではないかと考えています。基本的な法則(三大欲求など)は共通ルールとしてあり、そのうえで個人の体験が積み重なっていきバックグラウンドをもった判断が行われているように見えるのではないかというのが私の考えです。

 もちろん、自由意志はあるのだ!と主張する人もいるかと思います。先述した通り、この議論の答えは出ていません。ですので、あると思う方は自由意志に基づいて自由意志はあるのだ!と主張してください。

 意外と自分が選択していると思っていても、知らないうちに選択させられていることは多くあります。本当かはさておきメンタリストDAIGO氏などはいい例じゃないでしょうか。最近のSNSやインターネット時代でも、自分に都合の良い情報ばかり見えてしまい、正しいと判断してしまう、それは自分の判断だと思い込むことなどもあり得ます。

 怖い話ではないですが、今一度自分自身の意思決定について考えてみるよいきっかけになればと思います。

 それでは次回また会いましょう。


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