【#23】 名月や(義母との同居2)
昨年のスーパームーン
秋になると食べたくなるもの、それは月見バーガーです。今年は食べることができました。そして食べ終わると「もう、いいかな」と思ってしまうお年頃です。
昨年(2021年)5月26日(水)、月が最も地球に近づき、大きく見えるスーパームーンの皆既月食を、祈祷会が終わった後に近くの川の堤防から皆で見たことをよく覚えています。
この時は肉眼で見ても、それほどスーパームーンとは思えませんでした。そしておそらくT君が美しい写真を撮っているだろうと尋ねてみたら、やはり特別なカメラで撮影していて、それらを送ってくれました。このblogの一番上にある画像がそうです。さすがT君ですね。スマホではここまで撮れません。
今年の皆既月食
そして今年の11月8日の夜。日本では442年ぶり皆既月食中に惑星食が起こるということで、妻やお義母さんがしきりに美しい月を眺めておりました。北海道の空は澄んでいて、他の地域よりも美しく見えることでしょう。私は10月に月見バーガーを食べたからか(?)、「もう、いいかな」と思い、この時は特に興味を示しませんでした。
するとお義母さんがしばらくして、月を見ながら一句詠まれるのでした。
89歳のお義母さんは、月をしばらく眺めていたら、自分の母のことを想い出したそうです。山形から北海道の奥尻島に嫁いできた母は、他国の空で月を眺めながら故郷の山形を思っていたのかもしれないということ。そして奥尻島出身のお義母さんにとって、私たちと住む北見は他国となります。その他国・北見の空に静かに浮かぶ美しい月を見ながら、山形から出てきた母のことが想い出されて仕方がなかったようで、少し涙ぐみながら詠んでくれました。
普段は大相撲を見ながら「あの腹!」と大きな腹を見て喜んでいたり、土俵から力士が転げ落ちる様子をケタケタ笑いながら見ているお義母さんです。それでも百人一首が好きなこともあってか、美しいものを見ると詠んだり詠たったりしたくなるのでしょうね。
他国にありて
娘夫婦のところとは言え、お義母さんにとって北見は「他国」なんだなあと、少しだけ寂しく感じた「他国」という表現。「バビロンの流れのほとりに座り、シオンを思って、わたしたちは泣いた」(詩編137編)という詩篇の言葉を思い出しもしましたが、お義母さんの言う「他国」とは、決して「外国」や「異国」のことを指しているのではなく、故郷の地とは違うという意味合いでしょう。
おそらく終の棲家となる北見での生活。お義母さんが美しいもの、そしてかけがえのない「懐かしいもの」(三浦綾子の『泥流地帯』や『続泥流地帯』の一つの大きなテーマ)を想い起こす時、私たちとしてはその想いに寄り添っていければと願っています。
今日も主の恵みと慈しみが追いかけてくる1日でありますように。
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