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なぜJKJCに手を出さないと前に進めない男性が多いのか─青春留年の観点から─

JKJCに手を出して捕まる男性が後を絶たない

JKJCは魅惑の果実でありながら手を出せば男性用福祉施設(刑務所)に投獄される可能性が存在する
それにもかかわらずなぜ彼らは危険を冒してまでJKJCを犯すのか
彼らの心理を考えてみる


───消えない青春コンプレックス

日本では中高生時代の青春は人生で重要な経験として社会から認識されている

https://www.koukouseishinbun.jp/articles/-/7426


そして青春の中でも特に同世代との恋愛は貴重な青春の1ページとして語られることが多い
「きちんと青春を終えた大人たち」が中高時代の恋愛を甘酢っぱい体験として振り返って語るのはよくあることで

恋人と初めて手を繋いだとき、ハグしたとき、そしてキスやセックスをしたときのキラキラしつつも初々しく不器用な体験を時々振り返りつつ
人は大学生や社会人となって「大人の恋愛」へと移行していく

思春期に入って異性を意識し始めた頃にできる恋愛経験は様々な面で貴重な経験となって、次へとつながっていく重要な経験となる
大人になってからは痛々しい失敗もまだこの時期なら許される
たとえ苦い思い出になろうとも確実に経験値として糧になるので無駄ではない

あぶれる青春留年者

だがしかし、当然そのような青春をすべての人が送れるわけではない
思春期に入るということとは女子が女になりつつあるということであり、それはつまり負の性欲が女子たちに芽生え始めるということである
弱い男の子を庇い守っていた優しい女の子も初潮と同時にそのような弱いオスに不快感を感じるようになる
生理の開始とともにクラスの陽キャが女子を独占し、スクールカーストが生まれ始める
教室の隅でアニメやゲームの話をするチー牛弱者男子は女子からキモい存在ハラスメントとして透明化され、極力関わりを避けられるようになるのだ
ある意味で思春期とは人が動物に還るときであって、男子は強いオスと弱いオスに分かれ、女子はメスとして強いオスに群がり、そしてメスと強いオスは結託して弱いオスを群れから排斥しようとする
その結果、満足に同世代との恋愛経験を積めず身体だけ大きくなった男子は地縛霊のように中高生時代に囚われ、いつまでも青春の卒業ができない
言うなれば「青春留年」をしてしまうのだ

残酷なのは算数ができないと数学ができないように、中高生のときに恋愛ができていないと大人の恋愛はできない
それはテクニック的な意味でもそうだし、思春期のときに恋愛スイッチの入った魂の存在場所が最初の「同級生との恋愛」ステージに延々ととどまってしまって次のステージに行けないことでもある
中高生時代に同級生と恋愛できなかった男子は中高生から本当の意味で卒業ができない
しかし身体だけは成長してしまうので学校は卒業してしまう
その結果、中高生時代の恋愛という重要タスクを未消化のまま進学、就職していくハメになる
青春留年者にとって多感な中高生時代に同世代の女子中高生に相手にされなかったことは確実に青春コンプレックスとなって彼らの心身を蝕む
恋愛経験を積んだ同世代は大人の恋愛を楽しみ、結婚、出産、子育てとライフステージを進めていくのに、恋愛経験を積めなかったチー牛男子はいつまでも次のステージに進めない
中高生の頃に陽キャリア充でさえあったなら彼らは法を犯してまでJKJCを犯す必要もなく人並みに楽しく青春時代の思い出を振り返っていたであろうと思われる
そう考えると未成年に手を出す男を生み出しているのは、その男が中高生時代のJKJCであり、つまり未成年に手を出す男を批判している成人女の中高生時代の振る舞いがモンスターを生んだとも言える

遅れてでも「宿題」をヤろうとした結果

メディアでも世間的にも青春とその中でも恋愛というのはかけがえのない思い出として語られ煽られているし、大人の恋愛は中高生時代の恋愛を基礎としている以上、それが欠落した人間が青春コンプレックスを抱えるのは無理もない

その結果、抱えた青春コンプを埋め合わせ、青春から卒業するために一部の成人男性は未消化のタスクに取り掛かろうとする
つまりJKJCに手を出してしまうわけだ
末期の者はJSにさえ手出しをする
ただし、大人が数学をやる上で躓いた中高生時代の単元に戻るのとは違い、日本では女体組合による厳格な個体管理の下、未成年者に手を出すのは違法とされているので、遅れて女子中高生との恋愛を復習として履行するのは違法とされている

それでもJKJCと楽しい時間を過ごさなければ次に進めな

一般的にJKに手を出す者はJKを性的価値の最大値を取っているメス個体として考えているからだと言われる
もちろんそれもあるのだろうが、人が法を犯してまで違法まんこを犯そうとするのにはそれだけの理由がある
多感な思春期に異性から拒絶され男としてカースト下位に位置づけられたことは一生のトラウマとなる魂の殺人であって、魂の救済のためにはJKやJCの肉体に肯定される必要が生じる
あの頃バイキンのように扱われた自分の手がJKJCと手をつなぐこと
視界に入ることさえ許されなかった自らをJKJCの瞳に映すこと
JKJCの熱く締まったひだひだに己の童貞ちんぽを包み込まれることで自己肯定感を得て初めてほんとうの意味で人は大人になれる
JKJCの膣の肉壁にちんぽを撫でられることで男は自信を抱ける
JKJCの膣に挿れていないちんぽはいくら女を犯していようが童貞ちんぽ同然である(要出典)

青春留年者を救うためにできること

性の再分配に関しては(女性の)人権侵害であるとして否定的な見解が一般的であり実現できることは何もないのが現状
それを言い始めたら税の徴収と再分配にしたって財産権の侵害とかいう反論が可能になりそうなものだがそれはそれとして

これに対して、子宮課税学派としては子宮課税を未納のJKJCまたはJSの子宮を差し押さえるか、更には私有子宮の否定により女体を国家が再分配することを主張したい(女体再分配論)

リプロダクティブ・ヘルス/ライツという考えがあるが

これはいつ子供を何人作るか、結婚するかしないかは自分で決めていいという考えだ
ただそれはうっかりセックスしてしまう方の性別の話であって、ふるいに掛けられる方の性別である男性は、実際には青春留年者のようにあぶれてしまうオスがいる

このような男性でもリプロダクティブ・ヘルス/ライツを実現できるように、初潮以降の女に子宮課税を課し、または子宮の国有化によって子宮の再分配を可能にすることで遺伝子を残す権利を保証し、更には青春の埋め合わせを国家がお膳立てしてあげることは、少子化対策ひいては治安対策の面でも重要である

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