母が建てた父の家へ

2歳の息子と生後7か月の娘を連れて、夫と共に父の家へ行った。5歳まで私と母も住んでいた家だ。

総天然木で作られたリビングは裸足に気持ちよく、子供らは好きなように転がりまわっていた。父が、床は拭いておいたからと私に言った。それが唯一、父からの言葉であとは父の一軒家の別棟に住む叔母さんが子らと遊んでくれたり、夫と喋っていてくれた。

父と暮らしている父の恋人は、大学生の頃に学費を払って欲しいと嘆願しに来たとき以来会っていない。私と母の寝室だった日当たりのよい部屋に住んでいる彼女と父とは未だに結婚はしていない。父が学費を振り込んでくれないから大学に通い続けられなくなり、父に抗議しにきた時に会った彼女は腕時計をしていた。高級そうなそれは、父が買ったに間違いなかった。腕時計を触りながら、自分でバイトして払えばいいんじゃない?と言っていた。そんな事は無理だったので、父が大学くらい入れと言ったから行くはずだった専門をやめて大学受験したのに退学することになった。母もバブルで稼いだお金は尽きており、私は働かなくてはならなくなった。

昼ごはんは手巻き寿司だった。赤貝、イクラ、たらこ、まぐろのたたき、を父が用意してくれ、叔母さんが子らの為にポテトチーズ焼きを持ってきてくれた。息子は好物の納豆巻きを詰め込むように食べたら、行きに買ってもらったトミカのブルドーザーを手に持ち、リビングを走り回っていた。私は叔母さんの孫がいかに優秀かをふんふんと相槌して聞いていた。話題はあれば何でもいい。父はほとんど喋らない。あいさつすらあまり返さない。父の誕生日が近かったので、近所で有名なパティスリーで買ったチョコレートをあげた。お誕生日近いからどうぞと渡しても、ああと机に置いただけだった。息子は無邪気に、ジージ!遊んで!と話しかけている。おもちゃのビニールを開けさせたり、積極的だ。父も仕方なく会話をしている様子だった。下の娘の離乳食を夫があげてくれ、私が授乳すると娘は寝てしまった。授乳中に父が、苺を食べるか?と聞いてきたが、授乳中だから終わってからにして欲しいと言った。息子も走り回ってうつらうつらし出したので、ソファーで抱っこしてトントンすると寝てしまった。叔母さんが座布団を組み合わせて子らを上手く寝かせる場所を作ってくれて、ふと机を見ると父が居ない。

夫が、父が苺を食べるときに以前コンデンスミルクをかけていたから、切らしていて買いに行ったんじゃない?と推理した。叔母さんがそれにしても出かけるなら一言かけてゆけばいいものを、本当にお兄ちゃんは変な人よねと言った。

父はやはりコンデンスミルクを手に持って戻ってきた。子供は甘いもの、喜ぶんじゃないか、と言ったが子供には極力甘いものは与えないようにしている。それにもう起きないだろう。私もコンデンスミルクをかけて苺を食べる習慣はない。夫が気を使ってかけて食べてくれていた。私も少しかけたが、やはり甘過ぎて口がさっぱりしなかった。

今日来るきっかけは、父から2歳になった息子のお祝いをしようと言うメールだったので何か貰えると思ったら何もなかった。1歳のお祝いに欲しいものをリクエストしたが、高いからとくれなかった。娘の出産祝いは、頭を使って払わせた。息子の出産祝いもくれなかったから、夫の家族にもらったからお願いしますと頼んでもらった。

父からお金を貰うかどうかしか、もうコミュニケーションが残っていない。しかも初孫でも喜んでくれるわけでもない。小学生の頃から、父から生活費を貰う交渉をして学費を貰う交渉をして、結婚したら結婚祝い、出産祝い、当たり前に貰えるはずのものをずっと要求し続けている。

私を育ててくれた母は、貧乏でもお金を工面してお祝いをくれる。そして、父はお金があるし、もらって当然だと私に言う。当然だと聞いて、私は当然の権利を勝ちとる為に精神をぼろぼろにしてきた。愛情がないのなら、お金という形にして見せて欲しいと思っていた。

父の家からの帰り道に具合が悪くなって、途中でバスを降りた。懐かしい土地、2月の夕方のぴんとした空気の中を歩いていると気持ち悪さは和らいできて、私はもう父の家に行くのはやめようと思った。お金をせびることしか出来ない。愛して欲しかったと伝えるには遅すぎる。

子供の頃から父の家から帰ると具合が悪くなった。だいたい母がクッキーを焼いて待っていてくれて、もう夕飯を食べてきたからお腹はいっぱいなのにクッキーを食べて、父は父親として私に接してくれなかったことを話した。泣きたかったけど、母は私をもう大人のように対等に扱ってくれていたから我慢した。父親が自分に興味を示さないことにいつも悲しくて傷ついて泣き崩れてしまいたかったのに、出来なかった。

母に代わり、夫に辛かったと話した。夫はもう無理してお父さん家に行かなくてもいいんじゃない?と言ってくれた。私が父の家に行くのは、息子たちに遊びにいくおじいちゃんの家を作ってあげたいから。定期的に顔を出しておいて、遺産相続を全部父の彼女に持っていかれない為。いや、本当は母が設計したあの一軒家の景色を見たいからだ。大きな窓から移りゆく時間、日が暮れる様子。私が幼少期を過ごした場所。

でも、よく考えてみると父の家の階段を登ったり、夜中のトイレが怖くて母を起こしたり、上手く服が着れなくて泣いたり、子供たちを見ていて思い浮かぶそんな情景の記憶が私にはひとつもなかった。5歳まで住んでいたら普通、ひとつくらい覚えているのではないか。両親がいて幸せだったはずの幼少期は空っぽだった。どこにいってしまったのか。私は自分と向き合って治していかなくてはいけない部分があるのかもしれない。













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