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Kingo Hallaインタビュー「(トロントには)自由でとても寛大な精神があって、みんな自分がやっていること、その方法をシェアし合っている」

カナダのシンガーソングライター、Kingo Hallaが新作EP「Reflections」を先日リリースしました。

昨年リリースしたアルバムEmpty Handsではヒップホップ以降のグルーヴを備えた繊細なフォーキーソウルを聴かせていたKingo Halla。それ以前には本名のHenry Nozuka名義でよりフォーク色の強いアルバム「Ember of the Night」を2021年にリリースしていましたが、今回のEPではフォーク色はこれまでと比べて控えめです。「Empty Hands」の延長線上にあるようなローファイで優しい路線を軸にしたネオソウル寄りのサウンドで、BADBADNOTGOODのツアーメンバーであるFelix Foxなどコラボレーターも多く迎えた豊かな作品に仕上がっていました。そこにはBADBADNOTGOODやCharlotte Day Wilsonといった現行トロント勢と通じる部分もあり、かの地の面白さも同時に感じられます。

Nozukaという名字からも伺える通り、Kingo Hallaは日系人アーティストです。音楽一家に育ち、兄弟には来日公演を行ったこともあるJustin Nozukaや、Drakeとの共演曲も残しているGeorge Nozukaがいます。さらに「Empty Hands」に参加していたジャズレジェンドのMike Sternは伯父とのこと。しかし、そんな音楽に囲まれた存在ながらKingo Halla自身の作品はそこまで多くはなく、これまでどんな活動をしてきたのか非常に気になるアーティストでした。

そこで今回、Kingo Hallaにインタビューを依頼。これまでの経歴や影響源、メンター的な存在だというプロデューサーのRiver Tiberからの影響、BADBADNOTGOODとの関係などをたっぷりと聞きました。

取材・編集:アボかど|通訳・一部質問:奧田翔


家族から受けた影響と研究したアーティスト

――まずはプロフィールからしっかりと聞かせてください。

父親が日本人、母親がアメリカ人なんだ。NYで生まれて、カナダに移り住んで、母と兄弟と一緒に育った。兄弟は5人で、それからプラス1人を養子に迎えたね。兄弟も伯父も母もミュージシャンだから、たくさんの音楽に囲まれて育ったよ。でも小さい頃、兄弟はみんな本当に音楽が上手で、自分は全然ダメだった。だから、かなり大きくなるまでは音楽のキャリアを志すのは追求するのは照れ臭かったし不安だったよ。

それで、最初はダンスに夢中だったんだ。高校生の時、自分の情熱としてダンスを追求しようとしていた。Christian(Christian Bridges)を養子縁組して初めて、一緒に音楽を作り始めたんだ。彼が「音楽の道に進みたい」と言ったから、俺もそうしようと思った。「もしかしたら一緒にできるかもしれない」ってね。それで高校の時に一緒にバンドを始めて、たくさんの曲を作り始めた。自分のキャリアや情熱として音楽を追求しようと決めたのはその時だったね。

――音楽を始めた頃は、どんなジャンルをやっていましたか?

最初はダンス作品のために作曲していたんだよ。アンビエントなピアノ音楽を作っていた。リラックスできる、前衛的なピアノ音楽をね。曲を作り始めた頃は、兄弟と一緒にロックやソウル、それにレゲエもやっていた。最初はBob Marleyに夢中だったんだ。レゲエのムーブメントとチルな感じが好きでね。レコーディングをするようになって、なぜBob Marleyの初期の曲があんなに好きだったのかわかってきた。超オールド・スクールなんだよ。最高品質のテープ・マシンじゃなくてローファイで、それが大好きだった。今、テープ・マシンとかそういう世界にのめり込んでいるんだけど、彼の初期のレコーディングのローファイ的な要素にも惹かれていたんだって気づいた。

――ローファイな要素は当時ハマっていた音楽と今やっている音楽を繋ぐ要素ですよね。

そうだね。坂本龍一Fenneszというアーティストの「cendre」っていうアルバムがあるんだけど、それにも本当にハマった。とても美しいアルバムだよ。すごく印象的だったし、今も印象に残っている。それから、初期のBob Marleyのレコードももちろんだけど、R&Bやソウルもたくさん聴いて育った。レゲエにもR&Bの影響がたくさんあって、それが本当に面白かった。それから、Joni MitchellやSimon & Garfunkelみたいなフォークも聴いて育って、それが歌詞や曲のライティングに影響しているね。

――Henry Nozuka名義で活動していた頃にリリースした作品「Ember of the Night」はフォークでしたよね。

Christianと一緒に組んでいたバンドでは、ロックやソウルをやっていた。それから実は音楽活動を休止して、3年くらいオレゴンのメディテーション・センターで暮らしたんだ。人生から離れてスピリチュアリティを追求し、もう少しの安定やバランスを見つけようとしていた。それまではパーティ三昧だったんだ。人生を真剣に捉えていなかったわけじゃないけど、ほら、若くて……。人生を楽しむ、それ自体は素晴らしいこと。何も間違いじゃない。ただ、もっと深いもの、もっと意味のあるものを求める内なる呼びかけがあったように思う。それでそこに集中する時間を取るようになったんだ。それから少しずつ音楽を再開した。実際、2年間くらいは音楽をやっていなかったんだ。そこでやっていたのはパン屋での仕事と、木工、それから瞑想。とてもシンプルな生活だったけど、そこではみんな本当に働き者だった。みんな驚くほど集中していて、そこで一生懸命働くことを学んだんだ。

でもまぁとにかく音楽を再開して、「よし、音楽のキャリアを追求しよう」と思った。より深く音楽を追求するためのツールを手に入れた気がしていたからね。トロントに戻ってからは音楽学校に通い、学士号を取るためにジャズを学んだ。その時最初にやったのがフォークだったんだ。オレゴンから戻ったばかりの頃、トロントのRiver Tiberという名前の友達と収録した曲があった。彼は今、サイケデリック、R&B、ソウル、ロックのプロデューサーだけど、俺らは「When the Sea is Quiet and Calm」という曲をレコードしたんだ。

その曲がアルバム全体に影響を与えたね。当時、影響を受けていた主なアーティストはNick DrakeJose Gonzalezで、この2人は本当に刺さった。そしてジャズを勉強し、色んなタイプの音楽にのめり込んでいく中で、じつは今やっている音楽とかなり似たR&Bの作品を制作したんだ。もうネットから削除したけどね。R&Bをやっていて、それからソロのアコースティック・フォークにのめり込んで。当時はそれが俺の作る最高の音楽だと思っていた。だから最初のアルバムではそれを追求することにしたんだ。


River TiberとMike Sternからの学び

――River Tiberと仕事をしたきっかけは?

昔からの友達なんだよ。今33歳なんだけど、出会ったのは16歳か17歳の時だね。俺が音楽を始めた頃、一緒に音楽をやって育った。高校時代にはよく家に遊びに来てくれた、長い付き合いなんだ。実はオレゴンに発つ前、一緒に音楽を作り始める予定だったんだ。彼は俺のソロ曲をいくつかプロデュースしたがっていた。だから帰ってきてから、そのことを思い出して彼に連絡を取って再会した。音楽以前に友達って感じだね。

――プレスリリースによると、River Tiberとの仕事はあなたにとって重要な学びの機会になったようですね。それについてもう少し詳しく教えてください。彼から具体的に何を学びましたか?

彼の家では4回くらいセッションしたかな。あまり多くはなかったけど、彼の仕事ぶりにはとても感心したし、ぶっ飛ばされたよ。彼はとても才能のある、素晴らしいミュージシャンだ。彼は色んな楽器を演奏するから、ある種の魔術師みたいなんだ。だから「ワーオ」って感じだった。彼はストリングスのアレンジを作り、曲をループさせ、チェロを弾いて、素晴らしいサウンドを作り出すんだ。彼はとてもクールな方法でテープ・マシンを使っている。曲と楽器を録音し、それを古いテープ・マシンに通すと、ヘンテコで面白くてクールな音になるんだ。それを見た時、「おぉ、こいつはなんか特別なことをやっている!」って思った。クールなガジェットも持っていて、古い機械を引っ張り出してきてはクールな音を作っていたんだよね。


それですごく影響を受けたんだ。その時、俺ができるのはギターと歌とピアノをちょっとだけだった。「彼のようになりたい」って思ったよ。マジでかっこよかったからね。当時の俺にとってアイドルみたいな存在だった。正直なところ、彼はずっと大きな影響源で、何年もの間、彼から多くの楽器を学ぼうとしてきた。誰かがテープ・マシンを使っているのを見たのはその時が初めてだったから。それですぐに買って試し始めたんだ。彼は色々教えてくれたよ。優しいんだ。「どうやってやるの?」って聞いたら「教えてあげるよ」って言ってくれるような人なんだ。もはやメンターだね。一緒に散歩に行っては彼に質問し、本当に助けてもらった。彼のおかげでプロデューサーになることができたし、自分なりのやり方を学ぶことができた。

――伯父様のMike Sternも有名なアーティストですよね。彼から何かアドバイスはありましたか?また、どのような影響を受けましたか?

子どもの頃、彼の演奏をよく観に行ったよ。ジャズ・フェスティバルとかで演奏していて、俺はいつも「うぉ、こいつはクレイジーだ」って思っていた。本当にすごいプレイヤーなんだ。すごく印象に残った。俺が本当に音楽にのめり込んだ時、特にオレゴンから帰ってきた時は、ジャズにのめり込んでいたんだけど、彼は相棒的存在だったし、今もそう。音楽がくっついているんじゃないかっていうくらい、いつも楽器を弾いている人だね。いつ見てもギターを持っているし、ワーク・エシックもヤバい。自分の作品に全てを捧げているんだ。

それに比べると自分は全然だね。健康のためにもバランスを大事にしているから。でも、そういう激しさに影響されて、俺も音楽に一生懸命取り組むようになり、常に成長し、発展し、自分の限界に挑戦し続けるようになったと思う。何度かレッスンしてもらったこともある。彼はすごく励ましてくれる、ポジティブな人なんだ。彼は、音楽というものは「ミュージシャンになりたいと思うのであれば、とにかくやらなきゃいけないもの」と捉えている。だからいつも「一生懸命やり続けろ」って言ってくれるんだ。影響を受けたし、助けられたよ。彼も優しいんだ。俺の曲で演奏してくれたけど、彼はジャズのレジェンドなんだから、そんなことする必要なかったのに(笑)。家族が音楽をやっていても必ずしもプロとしてコラボしたいとは限らないけれども、彼はいつもそばにいて助けてくれるし、サポートしようとしてくれる。そういう、周りの人を手助けするっていう哲学は、俺も持ち続けようとしているものだね。

――子どもの頃、ご家族のコンサートをよく観に行かれましたか? お母様もミュージシャンだということですが。

母親はどちらかというと趣味で音楽をやっていて、プロってわけじゃないよ。でも兄弟はミュージシャンなんだ。みんな音楽活動をしていた。だから幼い頃から兄弟の演奏を観に行ったし、特にJustinに関してはそうだった。それで色んな音楽フェスに行って、そうやって音楽に対する考え方を身につけたんだ。あと、Georgeもだね。R&Bポップスみたいなもの。よく観に行ったよ。兄弟の影響もすごく大きい。彼らはインスピレーションを与えてくれるし、一緒に仕事することもある。特にJustinとは今でもそうだね。何でもそうだけど、自分の周りにあるものにはやっぱ影響されるよね。もし兄弟がみんなガラス職人だったら、俺もガラス職人になっていたと思う。それと同じで、音楽を追求するのもごくごく自然だった。

――Justinは来日したことがありますよね?

うん。Georgeも来たと思う。Georgeはもうあまり音楽をやっていないけど、Justinはまだたくさんツアーをやっているし、最近も来ていると思う。去年は日本でショウをやったんじゃないかな? 福岡には親戚がたくさんいるんだ。だから俺も5回は日本に行ったことがあるよ。

――去年はJustinと一緒でしたか?

いや、今回は違った。彼とはもう何年も一緒に旅行していないな。でも、彼の音楽をプロデュースはしたよ。今は彼のプロデュースを手伝っている。でも、たぶん最初の2、3回は彼と一緒に来たと思う。妹も一度一緒に来たことがあったかな。家族全員で行ったこともある。Christianと一緒に行ったこともあるし、父と一緒に行ったこともある。家族に会いに行ったんだ。日本には完全に旅行で行くことが多かったけど、一度だけChristianと一緒に来て音楽をやったことがある。Justinと一緒に来たこともあったかな。彼がツアー中で一緒に行ったんだ。


オープンなトロントのコミュニティ

――BADBADNOTGOODのAlex Sowinskiともコラボしていますよね。その経緯は?彼との最初の出会いはどのようなものでしたか?

Christianと一緒にバンドを始めた頃、彼がドラマーだったんだ。BADBADNOTGOODを始める前のことだね。2010年、いや2009年だったかな。バンド名はDown by Riverside。高校生のバンドだったんだけど、家族が日本にいるから日本にも来たことがある。とにかく、その時初めてバンドを通じて知り合ったんだ。トロントで一緒に何度もショウをやったし、初期のバンド活動もたくさん一緒にやった。

本当に仲のいい友達だった。オレゴンから戻った時、友達にメッセージを送って「帰ってきたよ」って伝えたんだ。彼は最初に返事をくれた人で、とても優しかった。そして「Henry、スタジオに来て一緒に遊ぼう」って言ってくれたんだ。それでトロントのスタジオに行って、彼とぶらぶらしながら新曲を何曲か聴かせた。当時の俺はまだ駆け出しで、あまり上手くなかったけど、彼はとてもいい人だった。帰国してから音楽学校に通っている間も、彼とはいつも音楽を共有していた。あまり多くはなかったけど、毎年会って、彼に音楽を聴かせていた。そしてRiver Tiberとの曲を出した時、彼から「ワオ、これは素晴らしい。一緒に曲を作ろう」って連絡してくれたんだ。やっと彼と仕事を始めるのに十分なレベルにまで達したんだと思った(笑)。それが4年くらい前かな。彼は農場をやっていて、そこでたくさんのミュージシャンと仕事をしたり、作曲をしたりしている。最初の年は、合計で2ヶ月くらいそこにいたと思う。そして一緒にたくさん書くようになった。

ここ3、4年、アルバム制作に取り組んでいる。彼はとても忙しくて、ツアーやら何やらがあるんだけど、オフの時間があるといつも俺にメッセージをくれるんだ。彼は自分の経験やワークフローをたくさん共有してくれている。BADBADNOTGOODのレコーディングにも何度か招待してくれた。素晴らしいよ。制作面でも、彼らのやり方が大好きだ。一緒に書いた曲は全部、今自分で書くときにも本当に役立っている。彼は、歌詞にもっと集中して、曲作りをより深く掘り下げて、曲をできる限り素晴らしいものにするよう、本当に背中を押してくれる。作品に対して本当に辛抱強くて、時間をかけて物事を進めていくんだ。もう12曲ほど一緒に作ったけど、あと1曲作るつもりだよ。金銭面で助けになるように、彼は俺らをレコード・レーベルに繋げようとしてくれている。カナダ政府も助成金を出していて、このアルバムのレコーディングのためにもカナダ政府から助成金を貰った。今は、よりしっかり活動できるよう、より多くのサポートを得ようとしているところ。

――2か月っていうのは、ライティング・キャンプか何か?

いや、最初の1年は1週間か2週間くらい行って、帰ってきて、また戻ってきた。4、5回は行ったかな。彼のスケジュールが少し難しくなったので、今はあまり行っていない。彼には今、小さな女の子がいるけど、近いうちに会いに行って一緒に過ごすつもりだよ。(彼のところに行くと)彼とは一緒に暮らしているようなものなんだ。ご飯を作ったり、色々なことを手伝ったり、それから曲を書いたり。一緒に過ごすのは音楽だけじゃない。ぶらぶらすることも多いし、生活を共にする感じ。そうすることでより充実した体験になるし、音楽に戻ったときに書くことも増える。

――昨年リリースしたアルバム「Empty Hands」を聴いて、私はCharlotte Day WilsonやBADBADNOTGOODなどの作品と通じるフィーリングを感じました。トロントからこういった近いフィーリングを持つ音楽が生まれている理由は何だと思いますか?

いい質問だね。トロントは特別な音楽シーンで、その中でもBADBADNOTGOODとRiver Tiberはパイオニア的なアーティストだと思う。トロントにはオープンさがある。今はどうかわからないけど、彼らの周りの人たちが彼らにインスパイアされたことで、このようなトロント・サウンドが生まれたんだと思う。彼らはリスクを冒すことで知られている。ちょっと変わったサウンドに挑戦したり、メインストリームから外れたことをやってみたり。それがトロントのコミュニティにも影響を及ぼして、みんな自由にいろんな音を試しているんだと思う。彼らのことはよく知っているから、俺にとってもすごく刺激的なことだよ。彼らのことは尊敬している。それに、彼らからは色々学んでいるんだ。自由でとても寛大な精神があって、みんな自分がやっていること、その方法をシェアし合っている。そうやって特定の音が普及していくんだろうね。

面白いことにさ、実は先日ドイツで絵を見ていて、「自分の音楽における次のステップは、自分の声を見つけることだ」って思ったんだ。アートっていうのはアーティストの成長過程を表すものだと思う。最初の段階では、例えば俺の場合、フォークのアルバムにはNick Drakeのサウンドをたくさん取り入れた。今はアーティストを研究して、その要素を取り入れている段階。Charlotte Day Wilsonも研究したし、BADBADNOTGOODも本当に追求したサウンド。俺はいつもたくさんのアーティストを聴くより、何人かのアーティストにのめり込んでよく聴くタイプなんだ。でも、今作っている次のアルバムや、Alexと一緒に作っている作品は、ある意味、自分自身のサウンドを見つけようとしているんだと思う。だから、彼らから影響を受けているけれど、もう少しユニークになるように、もっとインスピレーションを見つけることに挑戦しているよ。


ブラジル音楽とソウル、そしてヒップホップ

――今回のEPは60~70年代の偉大なレコードの音色を追及したとプレスリリースにはありました。具体的にはどんなレコードを意識しましたか?

60~70年代のブラジルの音楽にハマったんだ。Arthur Verocaiという人の「Arthur Verocai」という素晴らしいレコードがある。サイケデリックでクールなサウンドがたくさんあるし、ヴィンテージ機材、ヴィンテージ楽器やマイクを使ってテープに録音されているから、全体的な質感もいい。本当に素晴らしいサウンドだよ。ブラジリアン・ジャズというかサイケデリックというか。

この頃のアルバムはほかにもいくつかある。Gal CostaCaetano Veloso「Domingo」というアルバムとか、Joao Gilberto「Amorso」とか。もちろん俺の音楽はブラジルのものではないんだけど、少なくとも今出しているEPやアルバムには、ブラジリアン・ジャズにも通じる優しさがある。多くのコードに本当に影響された。質感とかサイケデリックな要素とかね。

Marvin Gayeの影響も大きいよ。「What's Going On」ね。あとAretha Franklin「Young, Gifted and Black」も素晴らしい。あのアルバムは、その音楽性から曲調、面白くてほかと違うことをしようとするスピリットまで全部気に入っているけど、とにかく素晴らしいソングライティングだね。今、そういうサウンドに回帰しているアーティストも多いと思う。Michael Kiwanukaのアルバム「KIWANUKA」は「Empty Hands」に大きな影響を与えた。Alexがそのアルバムを教えてくれたんだけど、すごく気に入ったよ。本当にクールなプロダクションだと思う。Menahan Street Bandも気に入っているんだけど、BADBADに似ているよね。彼らはオールド・スクールな曲をやっていて、でもどちらかといえばモダンなグループで。

それと、特に「Empty Hands」はMF DOOMに大きな影響を受けた。あのMF DOOMのビートと、彼がヒップホップとビートメイキングにジャズの精神を取り入れて、色々なものを継ぎ接ぎして自由にアプローチする様は、本当にクールで新鮮で面白い。彼のキックのパターンは本当に自由で表現力豊かだ。最近はオールド・スクールをもっと掘り下げて、アイデアをさらに深めている。この新しいEPもそうだけど、俺の最近の作品にはロックが少し入っている。Alexがいつも色んなことをするように、色んなジャンルに足を踏み入れるようにと背中を押してくれていて、それが俺にとってクールな次のステップになっている。表現力を高めるために少し違った歌い方も試していて、その点でも成長しようとしているんだ。あとそう、Radioheadにもずっと大きな影響を受けているよ。彼らはとても特別だ。

――ブラジルの音楽といえば、BADBADNOTGOODはArthur Verocaiとコラボしていましたよね。そういうブラジル音楽はトロントで人気があるんですか?トロントの人たちはそういう音楽をどう受け止めているんでしょう?

難しいけど……Alexを通じて彼のことを知ったんだ。俺が初めてトロントに来たとき、彼らはコラボレーションを始めていた。彼らはArthur Verocaiの大ファンになったんだ。それで彼の曲を送ってくれて、「ワーオ」って思った。トロントは多文化都市で、多様性に溢れていると思う。だから、人々は色々なものに対してすごくオープンなんだ。ブラジルの音楽がトロントで盛んかどうかは分からないけれども、そういうオープンネスはあると思う。

――なるほど。ヒップホップについても聞かせてください。「Growing Pains」のギターのフレーズやラップっぽい歌い方、「Hotel」のドラムなどには特にヒップホップの感覚を感じました。MF DOOM以外に影響を受けたヒップホップアーティストはいますか?

いい質問だね。ヒップホップで影響を受けたアーティストは、もちろん1人じゃない。俺はヒップホップのドラムの大ファンなんだ。そう、ヒップホップの大ファン。正直に言うと、最近はほかのジャンルほどヒップホップを聴いているわけじゃない。でも、De La Soulなんかも大好き。彼らはヒップホップのパイオニアだと思う。J Dillaも凄いよ。すごく影響を受けた。Nasも大好きなラッパーだ。彼をよく聴いて育ったのを覚えている。ヒップホップが世界を席巻したのは自然なことだと思う。ヒップホップは世界に大きな影響を与えたし、特別で正直で自由で解放的な感覚がある。だからたくさんの人に刺さっているんじゃないかな。ヒップホップももっと研究して、もっと深く掘り下げていくことができるかもしれない。

ヒップホップの性質ってものがあると思うんだ。多くの曲で古い曲をサンプルして、古い音色を取り入れて、新しくてクールなビートを加えている。ローファイ的な要素もある。サイケデリックで面白く、自由な要素もある。そういう精神性は、俺自身の音楽にも影響を及ぼしているよ。

――ヒップホップの曲のように楽器を演奏したり、サンプルしてループさせたりすることはありますか?

サンプリングはあまりしなくて、曲を作ってから楽器を演奏したりっていうワークフローが多いかな。でも、やったことはあるよ。特に作曲している時は、そういうことから始めることが多い。多くの場合、何かをループさせて何かに取りかかったりする。どの曲もちょっとずつ違うけどね。最終的な段階になると、調整したり、何かを追加して変えたりするんだ。でも、いずれはそういうのもやるかもね。


内省をテーマにした最新作「Reflections」と生演奏の追及

――今回の作品は内省がテーマだそうですね。このテーマで作ろうと思ったきっかけとなるような出来事があったのでしょうか?

スピリチュアルな取り組みの一部って感じかな。時間をかけて自分が今どのような状態にあるのかを観察してきた。「今日はどうだったかな?」「誰かの気持ちを傷つけるようなことをしたかな?」「今、自分はちゃんと物事を経験できているかな?それともエゴやプライドのために、とらえどころのないものを追いかけているかな?」ってな具合に。だから、これは俺にとってほとんど常にあるテーマだし、習慣として心がけていることでもあるんだ。だから、このEPに収録されているアイデアの多くはスピリチュアリティに繋がるものだと思う。自分の魂と繋がる旅のようなもの。それはEPを通して一貫したテーマだと感じた。自分自身を見つめ直すことだよ。自分自身を見つめ直す、スピリチュアルな旅。我々は皆、それぞれ違うかたちではあるけれども、同じように旅をしていると思うんだ。

――「Hotel」を聴いた時、自ら命を絶つことや人生の終わりについて考えているように感じました。でも、楽観的とまでは言わないけれども、それほど悲観的には聞こえませんでした。それは魂が永遠に生きるっていう認識からくるものなんだろうなと思いました。その理解で合っていますか?

なるほど、面白いね。でも、実際に命を絶つことについての曲ではないよ。それよりも、人生そのものについて考え、そのより大きな意味を理解しようとすることがテーマかな。

人生って不思議なものだよね。「僕らはここで何をしているのだろう?」とか「どうやってここに来たのか?」「どこから来たのか?」「どこへ行くのか?」とか考える。これらの疑問は俺にとってすごく大きなもので、しばしば音楽のインスピレーションにもなる。この人生経験や旅を解き明かそうとしているんだ。「Hotel」はまさにそれについて歌っているね。この人生はあっという間に過ぎ去ってしまう。いつかは死んでしまうけれども、君が言ったように、永遠に生き続けるのは魂なんだ。何か続いているものがある。我々はそのつながりを感じられるんだ。だから、「よし、どうすれば死ぬ時に何か強いものと繋がっているために、どうやってその魂と繋がれるだろう?」っていう曲なんだ。

自ら命を絶つことを考えている人がいるなら、心から祈るし、そうしないことを願う。人生はかけがえのない贈り物であって、この世界にいる全員に、美しく深い目的があると信じている。俺らはみな成長し、お互いを高め合い、スピリットを高められる、大きな可能性を有している。みんな人間という経験をしているスピリチュアルな存在だから、スピリットや魂を大切にし、ポジティブな方向に成長しようとすることが大事だと思う。自殺が前向きな行動だとは思わないし、魂にとってポジティブなものに繋がるとも思わない。

俺も人生でとても暗い場所にいて、自分の状況に怒りや動揺を覚えたことがあるんだ。そんな時、他人に助けを求めたり、光を求めて己と向き合ったり、宇宙に助けを求めたりすることで、その暗い場所から抜け出し、超越することができた。俺らはみな自分の内に闇と光を抱えているから、どちらに餌をやるかに注意する必要があると思う。もし闇が優位になってしまったら、できるだけ光に餌をやるようにして、宇宙の高い周波数からの助けを求めたり祈ったりする(その方法は人それぞれだけれども)ことが助けになると思う。光に餌をやり続けるかぎり、そちらのほうが大きくなっていく。長い時間がかかることもあるし、自分を超越した何かに手を伸ばす必要があるくらい沈むことが重要な場面もあるけどね。そうやって超越し、成長し、自分の魂や宇宙と繋がれるんだ。

――ありがとうございます。このEPを制作する過程で、新しく身につけたことや学んだことは何ですか?

コラボレーションの価値だね。このEPでは、それがより顕著に表れていると思う。アルバムでは特に友達のFelix Foxと一緒に仕事をしたし、他にもコラボはあったけど、ほぼ自分一人で取り組んだ作品だった。このEPではもっとコラボしている。もっと多くの人たちが参加しているんだ。もう少しオープンにした。ほかの人たちと一緒に仕事をしたい、もっと多くのミュージシャンに参加してもらいたいという気持ちがあったからね。それがすごくよかった。たくさんのミュージシャンに参加して欲しいと思うときもあれば、自分のやりたいことをやって、それをどこまで表現できるかを試したいときもあるから、必ずしも良いとか悪いとかじゃないけど、今回に関してはよかったと思う。

「Growing Pains」はトロントのプロデューサーDan Onlyとの共同プロデュースで、彼がサウンド作りに大きく関わっている。最後の2曲にはドラマーが参加しているんだ。「Said So」も友人のDavid Steinmetzが共同プロデュースした。その曲にはFelixも参加しているね。そして「Portrait」には友達のベンが参加している。彼はBenjaって名前でやっているんだけど。彼がベースで、Felixがピアノ、Daveがドラムを叩いている。だから、このアルバムはより生演奏っぽくて、本物のドラムを取り入れたんだ。それを探求するのは楽しかった。

――今後やってみたいことは何かありますか?

もっと生演奏をやりたいね。これまでやってきた音楽のほとんどはメトロノームに合わせていた。特にヒップホップやプログラムされたドラムでは、メトロノームが常にワークフローの一部だった。でも、Alexと一緒にやっている曲とか新しい曲では、そこから離れて、時間を伸ばすためのツールみたいに時間を使って遊んでいる。面白いよ。メトロノームをずっと使ってきたから。それだけ大きなツールなんだ。でも、特にクラシック音楽なんかだと、時間というのは、間を取ったり少し速い部分を作ったりして、少し遅くしたり開いたりするものなんだ。全部をメトロノームに合わせると音の配置はしやすいよね。でも、それはちょっと違うんだ。即興性が乏しくなって、アーティスト同士、ミュージシャン同士のフィーリングやコミュニケーションが希薄になる。だから、これから追求したいと思っているのは、時間を操作することやライブ・バンドでの演奏、少なくともドラマーとは一緒にレコーディングしてその音をツールとして活用することなんだ。

Alexが教えてくれた素晴らしい曲があってね、ニュー・アルバムのためにずっと聴いているんだ。Terry Callier「Dancing Girl」「What Color Is Love」っていうアルバムの曲だね。彼はこのアルバムで本当に素晴らしい方法で時間と遊んでいるんだ。

70年代の素晴らしいジャズ・アルバムだよ。彼は素晴らしいシンガーだ。彼は間違いなく、俺が新しくハマっているアーティストだよ。このアルバムは美しい。本当に、旅に連れて行ってくれる感じ。テンポや時間との駆け引きがたくさんあってクールなんだ。

――貴重なお話、ありがとうございました。 今後の活動も楽しみにしております!


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