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尖りは禁物

「俺、京大に行きたい」

と母親に伝えると、懐疑的な表情をされた。高校時代とびきり勉強ができず、テストでは一ケタ台の点数を連発していたこの僕がいきなりこんなことを言い出したのだから無理もない。現役時代は受験勉強が間に合わず、浪人が確定した息子からこんなことを言い出されたのだからやはり無理もない。

だけど、どうせ浪人するなら壁は高い方がいいと思い、その熱意により京大受験生となった。晴れて京大受験生となった僕は1日12時間勉強を目標に遮二無二に勉強した。

そんな生活を続けてくると、受験生あるあるかもしれないが、偏差値こそ正義でありいい大学に行ってない奴はクズという井の中の蛙思考になってしまった。予備校に通う道中ですれ違う一人一人を蔑み、心の中で舌打ちをしていた。今思えば本当にやばい奴だ。浪人生という社会的立場も低く、人を蔑むことでしか自分を肯定できなかったのであろう。


1年間の受験勉強も虚しく、京大には落ちてしまい滑り止めで受けていた大学に進学した。受験勉強に対する悔いは残っていなかったが、学歴至上主義は根強く残っていたので、入学当初の尖りようはすごかったと思う。

新学期は学内の至るところでサークル勧誘が行われ、そんな人たちに舌打ち(心の中で)をしていたから、勧誘のチラシは1枚も貰えなかった。そんな調子だから友達も一向に増えず、ぼっち飯の日々は続いた。

だが、そんな日々が続く訳もなく次第にサークルや学部など様々な人との繋がりができた。可愛い人、カッコいい人、お洒落な人、面白い人、お金持ちの人、高学歴に胡坐をかいて何も考えていない人、ビジョンを明確に持ち行動している人、人生に迷走している人、恋人に夢中の人、、、、学歴至上主義の自分の枠を超えたたくさんの人に出会うことができた。

一つの物差しで測れるほど人間は退屈なものではないと思う。大学生活は人に対する偏見的な物差しを無くしてくれた。かつての僕は自分の世界に閉じこもり、周りの人を知ろうとも思わなかった。そして、今いろんな人を知りたい思う。知りたいとは全員違うと思うことだ。

受験生の僕に伝えたい  ”尖りは禁物”


最後まで読んでいただきありがとうございます!! 東海道中膝栗毛の膝栗毛って「徒歩で旅する」って意味らしいですよ