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神功皇后の創作性とその背景 日本書紀の面白さについて思う(引用記事から)

神功皇后は創作されたような気がする。きっと7世紀の史実が影響しているんだろうな。

常々こんなことを考えてきたのですが、こちらの記事を読ませていただいて、ありがたいことに新鮮な発見がたくさんありましたし、見やすいデータもありました。

まずは「神功皇后と天照大神が正当化した出来事」が一覧にまとめられていて、とてもわかりやすいです。

さらに、僕にとっての発見は、

  • 欽明天皇の前後と応神天皇の前後の記述に共通点があること。

  • 継体死後に二系統の対立があったかもしれないこと。

  • タクハタチヂヒメとアメノオシホミミの結婚の記述によって皇族ではない民間の女子が皇后・妃になることを、日本書記は正当化したこと。

  • 上宮聖徳法王帝説における「右の五天皇は他人を雑えずに」という話。

  • 日本書記は雄略紀から始まった。

  • 日本書紀のβ群の記述は文武天皇が指示?

  • 倭王・多利思比孤は蘇我馬子ではないか

以上、たくさんの気づきがありました。ネットの関係情報は日々チェックしていますが、斬新な発見をこんなにたくさんいただける記事はなかなかありませんでした。ありがたいことです。

謎だから面白い

7世紀の歴史にはいろいろな可能性があります。
こちらの記事によって、可能性を絞ることができた部分があったし、可能性が広がってワクワクする部分も増えました。

僕は斉明天皇の記録に深刻な疑惑を持っているのですが、日本書紀における推古天皇と舒明天皇の部分がベータ群に分類される。つまり、編纂の後半で書き換えられた可能性が高いこと。
これを手掛かりにすると、推古天皇と舒明天皇、さらには天武天皇の時代の記述には<書き換えたい史実>があったと推察されます。
また、「推古天皇は本当に倭王だったのか?」という疑問を持っていた僕にとって、蘇我馬子が倭王であったという推察は、とても心強いお話でした。

日本書紀は文字数が多いし、具体的で真実味のある情報であるようにも見えてしまいますが、前半部分は伝承の寄せ集めか作り話であって、参考になるかなるかどうかもあてにならないといった認識でした。
具体的に雄略天皇を分岐点として眺めると、日本書紀の読み方がずいぶんすっきりとしたものになります。

日本書紀編纂者の心理を分析する

日本書紀の記述を<改ざんである>と言って容易に修正してしまうと、かえって信ぴょう性を失う懸念がありますが、すべてを真に受けることもできず、そのあたりが僕にとって<日本書紀の魅力>となっています。
僕は心理カウンセラーでもあり、コンプライアンスも専門テーマであり、<風営法世界における本音と建前>とも日々付き合っています。

少し話がずれますが、警察官僚の方々の文章(行政講話など)や関係法令などを分析すると、日本書紀と通じるところがあるような気がするのです。
役人の立場として、言っていいこと、言わなければならないこど、言えないこと、があります。
ここについては本音を察してよ~
という部分を発見して察するのが僕の仕事だと思うのですが、日本書紀を作った人も、そんな思いを込めているんじゃないかな、という気もするし、その逆に「全日本人を永遠にだましたる」と思っていたのかもしれない。
僕にとって古代史を考えることは、名探偵コナンになったような気分で「彼ら」と向き合うことでもあります。
生きているうちにどれくらい謎が解けるかな。一生このままかな。
そんなことを考えながらいつも古代史を楽しんでいます。

この記事は日本書紀の謎めいた部分に光を当てていて、その魅力を感じる材料にもなりえます。
この記事を書いてくださった方に感謝してます。
たくさんの方に読んでいただきたいです。
今後のご活躍に期待しております。



ありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 <(_ _)>