ハラスメント対策はパワハラ予防よりコミュニケーション
基本を確認:現実を正しく認識し最適の対応を行う
まず最初に、次のことを確認していただきたいです。
判断において基本的に重要なことは?
現実を正しく認識し最適な対応を行う。
これが基本ですよね。でもこれがおろそかになってしまう組織が多いのです。次に。
脳内にはリスク予想アプリがインストールされている
人にはリスクを予想する能力があります。そういうアプリが脳内にインストールされていると思ってください。
ひと昔前は命にかかわるリスクととなり合わせの人生が当たり前でしたから、人々の心配の多くは飢えや戦争や病気といった誰にとってもわかりやすいリスクでしたが、それらは現代日本人の意識からほとんど消えてしまいました。
それでも私たちの脳に埋め込まれているリスク予想アプリは相変わらずリスクを予想し、上位にあるリスクを解決しないと満足できない心理になるようにプログラムされていて、それが状況によっては命に関わるほどの衝動につながることもあります。
そのおかげで人類はリスクを徐々に克服し、豊かな生活を手に入れて来たとも言えます。
職場でのリスクが予想上位にランクイン
職場でもそうです。
現代の会社では、病気や失業したときの備えがあるし、労働時間はチェックされているし、昔のようなきつい暴言や暴力も見かけなくなりました。
それでもリスク予想アプリは発動されていて、何かしらのリスクを探知しようとします。
必然的に、残されたリスク、つまり、あまり重大ではないリスクやわかりにくいリスクもリスクとして探知されるようになりました。
A 仕事でミスしたくない。
B 同僚からバカにされたくない。
C 上司からもっと評価してほしい。
こういった感情は昔からありましたが、リスク予想ランキングの下位にあったか、そもそもランキングにさえ入っていませんでした。
逆に、かつて上位にあったリスクの多くは、現代人にとってはリスクとして認識されなくなりました。
このように、人間にとってのリスクは永遠に無くならないのですが、予想されるリスクのランキングは時代ともに入れ替わるのです。
そしてやっかいなことに、私たちの脳内には上位にあるリスクを解決しないと、いてもたってもいられなくさせるアプリがインストールされています。
現代人特有のリスク対策
人は上位のリスクを解決する衝動に駆られますが、現代人にとって気になるリスクは、承認欲求や羞恥心にからむものが多いようです。
人はそれぞれ、他者から自分への接し方に様々な期待をしていて、期待値を下回る接し方をされると自尊心を傷つけられ、これが生存の危機と感じられてしまいます。
怒鳴られた⇒自分は相手から尊重されていない⇒自分は危機的状況にある⇒防衛本能としての衝動
馬鹿にされた⇒自分に対する周囲からの評価が下がった⇒自分は危機的状況にある⇒防衛本能としての衝動
飢餓状態の国や、いま砲弾が飛び交っている戦場では、人間関係のストレスを気にする人は少ないでしょうが、豊かで平和な現代日本では、命に関わるほどの重要度で気になってしまい、これを解決しないではいられない衝動に駆られます。
A 仕事でミスをしたくないから
⇒ミスをしないで済む役割を選んだり、責任を他人に転嫁しようとする。
B 同僚からバカにされたくないから
⇒自分を実際以上に良く見せようとする。
C 上司から嫌われたくないから
⇒上司のご機嫌を取り、不満を心の中に封じ込める。
こんなことを続けていれば、相互理解ができないために仕事上のミスが多発し、責任を押しつけ合い、人間関係がおかしくなって心理的ストレスが蓄積され、組織は非効率な仕事を生むようになります。
容易に発動されるパワハラ被害者意識
そんなときによく発動されるのが「パワハラを受けた」という感情です。
「パワハラ」という言葉をニュースやネットでよく見かけるようなった私たちは、あまり深く考えずにパワハラに対するイメージを発展させ、そのイメージをもとにパワハラという言葉を使うことに慣れてゆきました。
そしていつの間にか、職場で心理的ストレスを受けている人々にとって「パワハラ」という言葉はとても便利な存在になりました。
「法律的な意味でのパワハラ」かどうかは考えず、自分がされたことをとにかくパワハラであったことにしたい。
それに成功すれば、自分は被害者として保護されるうえ、自分に心理的ストレスを与えている敵に対し、会社が自分に代わって打撃を与えてくれると期待するようになりました。
もし会社が敵を打撃してくれないときにはどうなるか。そのときは自分の期待が裏切られた⇒会社は敵と認識されます。
「この会社はパワハラを放置しているブラック企業だ。」
ということになり、絶望すれば退職し、復讐したければ会社の弱点を社外にさらけ出したり、行政機関に通報したりします。
こういう心理的な仕組みがあるとしたら、会社はパワハラトラブルをどのように予防したらよいですか?
パワハラトラブルを防げるという幻想
様々なパワハラが起きているので、当然ながら全てがというわけではありませんが、昔の人が聞いたらあきれるようなささいなことでもパワハラだと感じる現代人が増えています。
感じ方や心の痛みは人によって違うという現実を軽視しないでいただきたいです。
現に、ハラスメントの影響で命を落とす人を私は見てきました。その人にとっては命に関わるほどの耐え難い痛みなのです。
しかし、パワハラクレームの多くは、実際には<法律的な意味でのパワハラ>ではないか、パワハラ事実を証明できる証拠を確保できないケースがほとんどです。
さて。
「パワハラをするな」と言う考えの人々や会社が多いですが、ここで冷静に考えていただきたいのです。
<上司が適切に対応していればパワハラは起きない>
会社がもしそういう考えであったなら、上司のリスク予想アプリはこんなリスクを予想しませんか。
<部下とささいなトラブルを起こしただけでパワハラ上司として無能と評価される>
その後の上司の判断は様々です。
バカバカしい。管理職なんてやってられるか。
トラブルが起きたら隠蔽しよう。
本音を言わず部下のご機嫌をとろう。会社の業績はどうでもいいや。
こうしてコミュニケーションがおろそかになった結果、ハラスメントトラブルが一見して少なくなったとしても、それは表面上のことで、実際は水面下で様々なリスクが発生し、心理ストレスが蓄積されてゆきます。
会社の利益を考える人材のゆくえ
コンプライアンスの相談に関わってきた私の<感想>ですが、悲しいことに、ハラスメントトラブルを適切に解決できない会社では<会社全体の利益>を考える人が少なくなる傾向があります。
なぜなら、会社にとって有能な人材が持つリスク予想アプリは、こんなダメな組織にいたら自分の能力を発揮できない、というリスクを予想するので、転職に自信のある有能な人材から先に退職するのです。
そして、
<会社なんてどうでもいい。無難に給料をもらえればそれでいい。>
と考える人材ばかりが残されます。
それでも、その会社はパワハラが予防されているホワイト企業に見えてしまうことがあります。
いつか大きな問題が顕在化するときまでは。
人間のコミュニケーションが不完全であることを知らない人々
人間のコミュニケーションは私たちが思うよりはるかに不完全で頼りないものです。
このことを甘く見ている人はハラスメント対策に関わらない方がよいです。
私も実際にカウンセリングをしてみるまでは気がつきませんでした。
心理の奥深くでは、人によって言葉の意味も価値観も、ずいぶん異なっているのです。
自分と他人の頭の中は、実はかなり違っている。
この認識がないから、
「先日も言ったのに・・・」
「何度言ったらわかるんだ・・・」
「こいつはバカだな・・・」
という感情が心のなかで頻繁に沸き上がるのです。
本当は自分の方が〇〇かもしれないのですが、そこに気がつくのは実に難しいことなのです。
そこに気がつきやすい人と、気がつきにくい人がいますが、往々にして、組織における上位者ほど、他者から届く情報が偏っているので、気がつくことが困難になります。
よって、そういう人には特殊な工夫が必要になりますが、私の少ない人生経験から推察すると、そういう工夫は実際のところ、あまり行われていないようです。
ハラスメント予防という合言葉
ハラスメントを予防する。
多くの人が真っ先に思いつく発想です。しかし、基本に立ち返って考えてみましょう。
現実を正しく認識し最適の対応を行う。
これが基本でしたよね。だとすると組織においては、所属員同士の相互理解が必要なはずです。
これはAI同士なら簡単に行えることですが、人間同士のコミュニケーションは実に不完全であやういので、コミュニケーションを行えば行うほどにバグ(誤解)が生じ、そこから負の感情(他責感情)が芽生え、さらなる不適切なコミュニケーションを発動させます。
それを未然に防止する?
できるわけがないのです。人は不完全なのですから。
だから、バグ(誤解)は必ず発生することを前提にして、それへの備え、つまりは<仕組み>を組織内に設置する必要があるのです。
システムに不具合が起きたらどうする?
システムに不具合が生じて、AI同士で情報が同期できなくなったときにはどうしますか?
不具合の原因を調べて修繕しますよね。
ところが人間同士のコミュニケーションで不具合が生じた場合は、
「俺は正しい、お前は間違っている」
という負の感情が、それぞれの人間の生存本能として、つまり脳にインストールされているアプリによって発動されるのです。
人間同士のトラブルが発生したとき、負の感情の発動を避けるためには、インストールされている脳内アプリのメカニズムを解明して、不要なアプリの起動を止めたり、不具合箇所を修繕したりして、正常に機能させる必要がありますね。
これは見方を変えれば人間教育ということです。心の成長を促すと言うことでもあります。
「そんなこと昔はやらなかったのに、どうして必要なんだ?」
そうですよね、昔は飢えや戦争や病気がリスクランキングの上位にありましたからね。職場での人間関係トラブルは予想リスクランキングの上位には存在しないし、我慢さえしていれば給料も地位も上昇すると予想されたので、職場では脳内アプリへの対処なんて考える必要がなかったのです。
しかし、現代人にとっては職場での様々な人間関係ストレスが重大リスクとして予想されている一方で、ストレスを我慢するメリットもないので、些細な心理的ストレスにさえ耐え切れず、自己保存のために、仕事においても本能的な感情アプリを発動させてしまうのです。
予防よりも成長を目指しましょう
<ハラスメント予防>
そう言っておけば無難だからそういう。
その結末がどうであっても、会社にとって無駄であろうとも、そんなことは自分にとってどうでもいい。
だから、とりあえず「ハラスメント予防」と唱えておけばよい。
そういう意識状態の人が多いのであろうと私は分析しています。
効率的な組織としてのハラスメント対策をしたいなら、「トラブルの予防」ではなく、「トラブル発生は当然だから、いちいち対処(不具合の修繕)をしよう。」と考えた方がいいですよ。
と私は伝えます。
ここで言うところの対処とは、心のメカニズムを認識して冷静に対処し、相互理解を深めることです。
それは自分と他者との違いを受け止め、自分らしさに気がつくことでもあり、人として成長することでもあります。
これを促進すれば、人材が定着し、組織間の信頼関係が高まり、コンプライアンスリスクが減少し、会社は業務効率が高まって無駄なく利益をあげられ、結果として関係者全員がより幸せになると予想しています。
意味のあるコンプライアンスを
私はもともと、コンプライアンスの専門家です。
ルールを守っても、会社の価値や従業員とその家族を守れなければ無駄なコンプライアンスです。
しかし、現代日本の企業コンプライアンスのほとんどはきれいごとで役に立たない無駄なコンプライアンスです。
コンプライアンスは本来、どうあるべきか。
適切な法令遵守によって社会的評価が高まり、そこで働く人々がストレスを抱えずに能力を発揮して社会の役に立ち、結果として家庭が穏やかになって、自殺や犯罪が減少する。
それを目指すことが私が理想とするコンプライアンスです。
歴史や文化や心理学も含めて考え続けた結果、ハラスメント対策では、法律的な正しさやトラブルの責任や善悪などを気にしない対処をした方が、この社会においてはよりよい効果を生むという結論にとりあえず至りました。
その考え方を表現するにあたって、
ハラスメント対策では予防を意識しないでください。トラブルを恐れないで相互理解を深めてください。私たちは常に成長し、理解し合えるのです。
と皆様に伝えています。
これは私の妄想かもしれませんから、これからも私は考え続けます。
皆さんも一度でいいから、ご自分のこころでハラスメント対策について考えてみませんか?
ありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 <(_ _)>