見出し画像

裁判の判例主義もほどほどにしないと、最悪の場合は国が亡ぶという話

 最近、刑事事件の有罪判決の量刑を見ると、罪に対して罰が軽すぎるのではないかと思うようになりました。
 凶悪事件でも初犯だから10年とか15年で世の中に解き放たれるのは、冷静に考えたらバランスがおかしいと思います。罪に対して罰が軽いと、罰を受けてもいいから罪をおかそうとする人が増えて、治安悪化させるだけです。

 昔は、有罪になったら地元には後ろめたくて住めないし、出所したところでかなり一般生活が制限されていたように思います。ですので罪が軽いというほどでもないと思っていたのですが、世の中も変わって、都市部やちょっとした市街地だと近所に誰が住んでいるか知らないという人も多く、場合によっては出所して戻ったところで、比較的まともに生活できている人もいるのではないかと思ってしまいます。

 あと、世の中の構造が変わってきているのに何十年前の裁判の判例をいまだに使っているのも問題です。判決内容は変わってきているという人もいますが、本質的にはほぼ変わっていません。そして年々被害者の(心理的・物理的)被害軽視の判決に傾いています。

 この状態が続くと、悪い奴ほど得をする世の中になります。さらに言えば、悪いことをしてもペナルティが小さいから、どんどん悪いことをするように仕向ける仕組み・世の中を作り上げているということです。
 このような状況を作り上げているのは判例に沿った判決しか出せない裁判官と、法律自体を変更しない政治家です。

 あと、心神喪失で責任能力を問えないことがあるのも、根本的に考え直す必要があります。酒をわざと大量に飲んだり、薬物を摂取したりしたうえでの判断能力の欠如は、そのような状況にわざとした本人の責任なので、責任能力はあり、としないと今の時代の常識に沿っていないのです。
 また、犯人の更生の機会を与える、という理由で刑が軽くなっていることがありますが、これは被害者(の被害)や市民(生活上の危険の増加)を著しく軽視していると思います。
 まずは「本当に更生したいのであれば、減刑なぞしないから受刑期間中、出所後ともに行動で示せ」ということだと思います。

 ただ、現実的には量刑をどのようにするのかは、一様に語ることはできないと思っています。
 例えば、被害者が重い病気の治療費とリハビリ期間の生活費として必死にためた資金を盗んだ場合、それは場合によっては殺人と同じ意味を持つことになりかねません。この場合、検察が何の容疑で立件するのか、裁判官は犯人にどのような判決を下すのか、興味があります。

 あと、常にまともな判断ができる人が犯罪を犯さざるを得ない状況にまで追い込まれた場合、それこそが情状酌量の余地があるのであって、普段生活がまともだけど特定の状況になると毎回我を忘れて暴れる人が、周りの人に障害を負わせたりした場合は、何の情状酌量の余地もないと思います。

 判決文を見るとわかるのですが、比較的まともな裁判官もいる一方、とんでもない判断能力がゼロ、もしくは害悪にしかなっていない裁判官もいます。特に、新しい事例ではトンデモ判決がしばしば下されます。代表例はWinnyの開発者の裁判ですが、第一審の判決文を見ると「この人に裁判官をさせてはだめだろう」との感想を持つと思います。ちなみに、この判例が適用されると現在のほとんどの動画配信サービスは違法の判決が下ることになります。

 いずれにしても、過去の判例が世の中の動きに合わなくなってきている、しかも被害者軽視の方向に働いている以上、この状況を放置すると今の政治家たちが無職になる日は近づいている、ということだと思います。
 もっと極端に言えば、真っ当な国民が怒りを覚えるような法律や裁判での判断基準を死守する政府や政治家、裁判官は、国民から見て不要なので、最後の手段として新しいルールが確立される(=現在の国が亡ぶ)、ということになるのだと思います。
 まずは、日本の議員たちに、「本来議員しかできない仕事、職制としてやるべき仕事、つまり立法に本気で取り組め」と言いたいのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?