wasur_26enagusa

初めまして。 昨年、妊娠〜出産を経験し、可愛い天使が誕生しました。 山あり谷ありが…

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初めまして。 昨年、妊娠〜出産を経験し、可愛い天使が誕生しました。 山あり谷ありが濃い人生を送ってきましたが、 まだまだ波乱が続きそうな予感がします。 今までの人生、そして、これからの人生を 自分なりに綴っていこうと思います。

最近の記事

母と私、そして兄③

つづき 高校1年になり、すぐに事件が起きました。 同じクラスで仲良かった女の子が 「体操服がなくなった」と。 私は他の同級生と共に隅々まで探しましたが 見つかることはありませんでした。 次の日、一部の友達からの無視が始まりました。 何が起きたのか分からなかったが、直ぐに判明。 「体操服を盗んだ」と。 その子と私は背格好がとても似ていたのが理由。 持ち物は紛失防止に各家庭に呼びかけられ、裏に記名が徹底されていた。 周りは巻き込まれたくないと無視を通した。 流石に担任へ

    • 母と私、そして兄②

      つづき 学生時代は、親への書類も多く、 母や父からの「仕事で行けない」という言葉を何十回も聞いたが、その頃には、言われても動じない自分がいました。 中学生に上がり、両親は当たり前のように 入学式にも部活動の試合にも来ませんでした。 兄とは1年だけ、学生生活がかぶっていました。 頭も顔も良く、スポーツ万能、歌も上手くて習ってないピアノも弾ける、そして女の人にもモテて、周りからの信頼も強い 兄と比較され続けた1年間は 私にとっては倍に感じるほど長かった。 私の家族は毒親

      • 母と私、そして兄①

        児童養護施設から引き取られた後のお話です。 私と兄は管理の整った集合住宅(マンション)での 【家族】との生活が始まりました。 兄は溶け込み、母は笑顔、祖父は穏やか、 そんな環境にわたしだけが戸惑っていました。 当時4歳だった私には、 環境の変化についていく術はありませんでした。 すんなりと環境を受け止めた兄に困惑し、 尋ねました。 ……兄はかすかに母を覚えていたのです。 子どもを産んだ今なら分かります。 娘が私を認識するのに然程の時間はかからなかった、それなのに私は、母

        • わたしの家族②

          つづき 記憶も曖昧で幼かったわたしにとって、 その対面はとても酷であり、 母にとってもトラウマとなる出来事になってしまいました。 なぜなら、 母親の顔、声などに心当たりはなく 生みの親を覚えていなかったからです。 知らない人に呼ばれる恐怖で、大泣きし、施設の先生から離れなかった記憶が今も鮮明に刻まれています。 "記憶さえあれば、わたしが覚えていれば母はこの先、苦しむ事がなかったのでしょうか。" この日を境に私と母の間に大きな溝が出来てしまいました。 施設の先生の腕の

        母と私、そして兄③

          わたしの家族①

          おはようございます。 時刻、8時09分  生後9ヶ月の娘はNHK番組に夢中です。 早速ですが、実話を語りたいと思います。 東京生まれ、千葉県の田舎育ち 私は兄以外の【 家族 】を知りませんでした。 幼少期の記憶はほとんどありません。 あるとすれば、ところどころで親戚らしき人の家で過ごしたこと、 2歳上の兄と共に児童相談所へ預けられ、数年の間、養護施設にいたこと。 年齢別で分けられていた事もあり、施設の中では実兄ともあまり会えず、会えるのは施設行事だけだったように思えま

          わたしの家族①