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クラシック音楽リスナー歴30年が独断と偏見で選ぶ"推し指揮者"7名

今回の選考基準は、同曲異演中のベスト演奏の多い順でも、所持音源数でもなく、直感的に"お世話になっている順"と思ってもらえればいい。かなり似たようなものなんだけれども・・・

1. クラウス・テンシュテット


自分が指揮者という職業に興味を持つきっかけとなったのが、彼とシカゴ響とのマーラー『交響曲第1番』を発端とするバーンスタインとの聴き比べだった。バーンスタインの熟練した設計力・陶酔に感心しつつ、テンシュテットの"一瞬先すら何が起こるか予測がつかない"体当たりなライヴ音源は、既にミュージックライフにロックを取り込んだ後の自分にはあまりにも魅惑的だった。ベートーヴェンもブルックナーもワーグナーも、とにかく"濃い"。彼の真価は多くのロマン主義者と違って"自分の曲"にすることなく、作曲家の苦悩を直に感じさせる点だろう。

2. ヴィルヘルム・フルトヴェングラー


昔の自分なら到底我慢ならない音質の問題をテンシュテットやフリッチャイで克服した後は、モノラル時代の開拓に乗り出した。その起点がフルトヴェングラーの戦中録音集『Furtwängler conducts Beethoven』。エロイカのシリアスなドラマ性も刺激的だったが、『ベルリンの第九』の迸るパッションはバイロイト盤が霞むほど圧倒的だった。ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』、シューベルトの『ザ・グレイト』、シューマンの4番などもお気に入り。

3. ヘルベルト・フォン・カラヤン


一部のヲタクに言わせればフルヴェンを推しつつカラヤンも推すのは捻くれ者らしいが、よくわからないしどうでも良い。"クラシック音楽を聴くスタイル"を多様化させる時代変化のニーズを一手に引き受けた彼は"万年70〜90点"の烙印を押されがちだが、チャイコフスキーの前期交響曲やメンデルスゾーンの交響曲などマイナーどころでも安定性を発揮するので同曲異演トップは未だ多い。60年代のベートーヴェン交響曲全集、シェーンベルク『浄夜』や、海賊盤のマーラーの5番(1978年盤)は名演。

4. アルトゥーロ・トスカニーニ


即物的なアプローチが後世に強い影響を与えた意味で現代の指揮者業界を語る上で最重要人物。一糸乱れぬ軍隊のように統率された鉄壁のアンサンブルはカリスマ的で、歯切れの良いリズム感は実にシャープだ。レスピーギ『ローマ三部作』や、ヴェルディ『椿姫』など作曲者との交流があった作品に名盤が多い。また、ベートーヴェンも得意なようで、中でもテアトロ・コロン劇場管弦楽団との第九の灼熱演奏は忘れ難い名演。

5. カルロス・クライバー


同業者にもこぞって推される問題児。スポーティな彼のベートーヴェンは好みが分かれやすいかもしれないが、芳醇な音色を引き出した端正なブラームスの4番はよりスタンダードな名盤だと思う。ドヴォルザーク『ピアノ協奏曲』やシューベルト『交響曲第3番&未完成』などマニアックな選曲も孤高だ。『カルメン』や『ばらの騎士』といったスリルと躍動に満ちたステージで"音浴"している彼の姿は、それだけで絵になる。

6. レナード・バーンスタイン


彼との出会いはハイドンの交響曲だったが、のめり込むきっかけとなったのはマーラーの2番と9番(共に新全集より)だった。過激なコントラストやデフォルメはついていくのも大変だったがそれ以上に感動的だった。あらゆる曲を"自分の曲"にしてしまう人のようだ。『ウエスト・サイド・ストーリー』が有名だが、個人的に最高傑作はストラヴィンスキー『春の祭典』、ついでガーシュイン『ラプソディ・イン・ブルー/パリのアメリカ人』と、ショスタコーヴィチの5番。

7. カール・ベーム


初めて聴いた音源が彼の追悼演奏会のモーツァルトという不思議なきっかけだが、続く彼の実演を聴くと前者の指揮台には確かにベームはいるんだなと幼心(6歳くらい?)に思ったものである。後期交響曲集、『レクイエム』、『フィガロの結婚』、『魔笛』など、彼のモーツァルトは私の育ちだ。他にもベートーヴェンの『田園』『皇帝』(ポリーニとの)、ワーグナーの『トリスタンとイゾルテ』(バイロイト1966)、ブルックナーの4番など、お気に入りの演奏は多い。

総括

因みにその後があるならフリッチャイ、クナッパーツブッシュ、ムラヴィンスキー、リヒターと続くが、キリがないので7人くらいに絞ってみた。ドイツ圏が多くなってしまったが、自分にとって解釈の多様性を楽しませてくれる作曲家がそこに集中していることの反映でもある。

上記7名のうち幼少時から馴染んでいるのは、カラヤン、バーンスタイン、ベームの3人。これはハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの順に開拓したことが絡んでいそうだ。親がCDを買ってくれる際はいつだって、安いコーナーに引っ張っていかれるのだから。

その後は、大学時代にテンシュテットを聴く→指揮者という仕事に本格的に興味を持つ→その歴史を少しずつ紐解いていく→歴史的な演奏を漁る、近年は曲目と演奏家を交互に広げながら現状に至っている感じだ。開拓をするのもそれなりにバイタリティを要することも自由時間が減るにつれて実感するようになってきたが、自分にとって心を打たれるような音楽は常にその起爆源であり続けるはずだ。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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