ファン歴15年目にしてついに読めたテンシュテットの伝記
はじめて英文書籍に挑戦しました。
本の情報
著者: Georg Wübbolt
タイトル: Klaus Tennstedt - Possessed by Music
発刊年: 2023年
著者について: ハノーファー音楽演劇大学で音楽を学んだ後、ハンブルク国立歌劇場とドレスデンのゼンパー歌劇場で舞台共同演出家を務めた。その後、ドイツおよび国際的なテレビ放送の放送ディレクターとして、クラシックコンサート、オペラ、バレエ、演劇など、250以上の作品を手がけてきた。ヘルベルト・フォン・カラヤン、ゲオルグ・ショルティ、カルロス・クライバー、レナード・バーンスタインなどの指揮者を描いた作品は、数々の国際的な賞を受賞している。
概要
著者が10年をかけて取材したクラウス・テンシュテットの伝記。
本書では逆境と困難に満ちた彼の人生に関する新たな視点を提供し、これまで知られてこなかった出来事を明らかにする。
キーポイント
厳格な父親と甘やかす母親
ハレ市立劇場管弦楽団の第二ヴァイオリンのリーダーでもあった父ヘルマンの厳格な音楽教育(毎日何時間ものピアノとヴァイオリンの練習)と、母親アグネスの無条件な甘やかしは、後に厳しい音楽的欲求と自信のなさ、妻への依存体質の下地となったようだ。
本書では偉大な父親を持つカルロス・クライバーにも共通した部分が見られると分析している。ここはクライバーも研究していた著者らしい見解。
不合理、不器用、予測不可能で、やや子供っぽい性格
・音楽院で再会した4つ上の幼馴染アニタと交際し、彼女が在学中に妊娠したために駈け落ち結婚。
・20歳で父親になったが、神経節でヴァイオリンが弾けなくなったことで女遊びに走り離婚。
・指揮者転身後では、ゲヴァントハウスからの誘いを断って10年分の国際経験を逃す。
・その後、四階から「飛び降りる」と騒ぎを起こて楽しむ。
・選曲も言動も反抗的過ぎてGDR当局から常に睨まれ続ける。
・みんなで散歩中に岩を湖に転がすために2時間かける。
・釣りや卓球で負けると機嫌が中々治らない。
・過度なプレッシャーに弱く、ボストン響の時は初公演直前に「家に帰る」とインゲ夫人に泣きつき、成功したらその恐怖で数週間完全にドロップアウトした。
・語学スキルが上達せずに、オーケストラとのコミュニケーションに支障をきたし決裂すら起こす。
・基本的にネガティヴ気質で、レビューの批判的な一言だけで簡単に落ち込む。
・カラヤンが会談したいと申し入れただけでパニックに陥った。(オズボーンのカラヤン伝記によると会う前に一杯ひっかけてきたとか)
・煙草を辞められずに癌を悪化させる。
彼のこうした極端で直情的な性質は、演奏スタイルにも大いに反映されていると言えそうだ。
偉大な妻インゲ
こうした成長心や自立心が欠落し女遊びも辞めない男を献身的に支えた妻がインゲ夫人。
大学で研究している息子(連れ子)を東ドイツに置いたまま、亡命するシーンは忘れ難い場面。
彼女は料理人、オーガナイザー、ドライバー、財務監督者、秘書、全てを一気に引き受けた。
テンシュテット「妻の1〜10までの尺度で、彼女は12だった」
ジョン・ウィラン「すべての偉大な男性の背後には、さらに偉大な女性がいるというのが本当なら、インゲはその証拠です」
彼女がオーケストラとの仲裁役を担わなければ、テンシュテットは下積みからままならなかったはずだ。
彼女なくして、指揮者クラウス・テンシュテットは成立しない。
テンシュテットとマーラー
"テンシュテットと言えばマーラー"はファン以外でもよく目にする表現である。
彼はことある毎に『マーラーを指揮できるのは、苦しんだことのある人間だけだ』とマントルのように繰り返し唱えていた。
キャリア上に長い挫折をもつ指揮者、娘の死に対する自責の念、成功しても増大し続ける苦悩など、彼は様々な局面でマーラーに自分を重ね、その音楽に救われてきたようだ。
1番と8番の映像を見たカルロス・クライバーによるレビューに加えて、著者がyoutubeの動画に寄せられたコメントまで引っ張ってきたのは意表を突かれた。これからのこの業界の伝記はこういう引用も出てくるのか。
二極化する評価
喧嘩別れで有名なNDR交響楽団では、コミュニケーション力に加えてそのロマンティックな解釈が批判の対象になっていたようだ。
後に彼らがヴァントを選んだことも、この摩擦が明確に表れている。
カラヤンに甘やかされたベルリン・フィルとの関係も決して良好ではなかった。
『彼が自由になったのは、ドイツから解放された後だった━東西問わず』━演出家、劇作家ラインハルト・シャウ
それだけに英米圏とのギャップは凄まじい。
『クラウスが私のお気に入りの指揮者であることは間違いありません。彼は私が今まで一緒に仕事をした中で最も難しい人かもしれませんが、その夜、私は彼にすべてを許します』━ロンドンフィル、チェロ奏者
一つ言えることは、テンシュテットが「自己破壊的」なまでに「頭の先から足のつま先まで音楽で出来ていた」人物なのは間違いない。
この二極化はその証左でもあるのだ。
ひょっとしたら、指揮台の上では神々しいカリスマでも降りると小市民になるという性質に対しても、ヨーロッパと英米の求める指揮者像の違いから印象が分かれたのかもしれない。
指揮活動を辞めた理由は病気だけじゃなかった
「自分の人生で一つ願いが叶うなら、(愛人との離別で自殺した)娘と5分間一緒にいたい。なぜ自殺をしたのか知りたいのです」とジョン・ウィランに語る場面からして、このマネージャーへの信頼が現れている。
親友であり芸術活動における腹心でもあったジョン・ウィランが1992年後半に解雇され、ロンドン・フィルにおけるコア・ミュージシャンが続々と脱退すると、テンシュテットは大いに憤慨・悲嘆し、2、3回公演したら引退してしまった。
ベルリン・フィルとの録音時に、好みのエンジニアを推すカラヤンに「ウィランと自分が選んだチームじゃなきゃやらない」と言って折れさせたように、テンシュテットにとって信頼できる"チーム"の存在は絶対必要条件だったのだ。
個人的な感想
10年もかけて取材してきただけにコンテンツも充実しており、著者のテンシュテット愛がすごく伝わってくる。
二人の妻も親友マズアも発刊までに亡くなっているだけにインタビューも実に貴重だ。よくぞここまで!
私自身かなりのテンシュテットファンで、海賊版もかなりの枚数を所持している。
NDRの『復活』、ミネソタのベト7&8、フィラデルフィアの『悲愴』、ロンドンフィルの1991第九、どれも家宝!
だから、これほどの"こんな本が欲しかった”感は久しく味わったことなかった。
もうワクワクしながら普段の5倍の時間をかけて読んだ。
ちょっと嬉しかったのが、貴重な音源投稿を行っているMark Hood氏のチャンネルから縁が発生しているという現代的な背景。
私もチャンネル登録しているのだが、実に重宝している。
ワシントン・ナショナル交響楽団とのベートーヴェンなんて素晴らしい!
本書を読みながら、まだネット上に新音源が出てこないかしら?と期待している自分がいる。
例えば、チャイコフスキーの5番を複数回振っていることには驚いた。
一つだけ難点を言うなら、"カルロス・クライバーは自殺"と言い切ってしまうのは控えた方が良い。
因みに私はKindleで購入したが、google翻訳も発達した昨今、日本版が出るのを待つまでもなくファンなら読むべし!と言っておきたい。
きっと、もっとテンのことを好きになるからだ。
ファン歴15年が選ぶテンシュテットの名演ランキング
1位 北ドイツ放送響とのマーラー『交響曲第2番』(1980/9/29Live)
2位 ロンドンフィルとのマーラー『交響曲第6番』(1991/11/4-7Live)
3位 ロンドンフィルとのマーラー『交響曲第7番』(1993/5/14-15Live)
4位 キールフィルとのベートーヴェン『交響曲第5番』(1980/3/20Live)
5位 ロンドンフィルとのベートーヴェン『交響曲第9番』(1991/8/31Live)
6位 シカゴ響とのマーラー『交響曲第1番』(1990/5/31-6/4Live)
7位 メトロポリタン歌劇場管弦楽団とのベートーヴェン『フィデリオ』(1984/1/7Live)
8位 ミネソタ管とのマーラー『交響曲第3番』(1981/02/13Live)
9位 ロンドンフィルとのブラームス『ピアノ協奏曲第1番』(ブレンデル)(1990/8/30Live)
10位 ミネソタ管とのベートーヴェン『交響曲第8番』(1982/1/28Live)
最後に
テンシュテットの癒えることのない自己不信、最強最悪の敵が自分自身という概念は、大なり小なり誰しもが持つ苦悩である。
そして、"どう演奏されてきたか"ではなく"どう演奏するべきか"という問いは、合理化の進む社会が我々現代人に課す試練と同様のモチーフではないか。
マズアは彼をいつだって"All or nothing"と表現していた。
テンシュテットはその芸風だけでなく、生き様そのものが"現代の棒振り機械"へのアンチテーゼだった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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