見出し画像

アグネス・チャンは最強の教育ママである

1970年代に人気を博したアイドル歌手、アグネス・チャン。3人の息子全員が名門・スタンフォード大学に合格したのもあり、最近は何冊か育児本を書いている。

アグネスさんは、1970年代を代表するアイドル歌手として有名であるが、一方では教育心理学でスタンフォードで博士号を取った、日中英のトリリンガルでかなり優秀な方だ。

Twitterでは佐藤亮子ママと比べてあまり話題に出ないが、最強の教育ママだと個人的には考えている。彼女の教育に関する知識、情熱、入金力、全てにおいて、右に出るレベルの母親はいないといえる。

アグネスさんの経歴

1955年、香港生まれ。カトリック教徒であり、ボランティア活動で歌を歌っていたのを関係者の目に留まり、香港映画に出演するところから芸能のキャリアがスタート。17歳で来日。1972年、代表曲「ひなげしの花」が大ヒット。3年連続で紅白に出場するなど、1970年代を代表するトップ・アイドルの座を手にする。その後、上智大学国際学部に入学するが、芸能活動で落ち着いて勉強できないので、カナダのトロント大学へ編入し、児童心理学を専攻して卒業。

1986年、元マネージャーの男性と結婚し、長男をカナダで出産。翌年、生後間もない長男をスタジオに連れて行ったところ、林真理子が「仕事場に赤ちゃんを連れて行くな」等の批判をしたことから、週刊誌上で「子連れ出勤」に関する識者たちの論争が2年ほど続く。これはのちにアグネス論争(※)と呼ばれ、米TIMES誌でも日本の奇妙な論争として取り上げられる。

このTIMES誌の記事が、スタンフォード大学教授の目に留まり、「うちで研究してみないか?」と声がかかった経緯で、アグネスさんはスタンフォード大学大学院に留学することになる。5年間の留学生活で、研究をまとめ、教育学博士号(Ph.D.)を取得する。

(※ アグネス論争は、2020年代の現在の感覚からすると奇妙に思えるが、この頃、男女雇用機会均等法が成立した時代背景もあり、「女性が働くことの是非」も含めて騒がれたようである。)

1989年スタンフォード留学中にアメリカで次男を出産、1996年香港で三男を出産。この間にも歌手としての芸能活動やボランティア活動、大学教員として講演、執筆活動等をこなし、1998年にはユニセフ親善大使に就任している。

おそらくお手伝いさんを雇うなどもしただろうが、それを差し引いても、常人ではマネできないレベルの活動っぷりである。

三兄弟はいかにしてスタンフォード大に入ったか?

アグネスさんの3人の息子さんは、いずれも港区にあるインターナショナル・スクールを経て、アメリカの名門ボーディングスクールに留学し、スタンフォード大に入学している。

【小中】西町インターナショナル・スクール(学費:年間約300万円)

【高校】アメリカ・サッチャースクール(学費:年間約65,000ドル)

【大学】スタンフォード

高校のサッチャースクールは年間約700万円の学費がかかる、全米TOP10の名門校である。生徒一人一人に馬をあてがわれ、在学中はその世話をしつつ、大自然の中で寮生活を送るという、ワイルドな教育で知られている。

学費も、高校の特色も優れているが、三兄弟の高校での活動も並外れている。以下に引用しよう。(出典は『スタンフォード大に三人の息子を合格させた50の教育法』アグネス・チャン)

現在はベンチャーのCEOを務める長男。

長男は高校が指名した学校を代表をする「大使」(Ambassador)のタイトルを持ち、学校の裁判委員会(Judicial council)、の委員でした。また風紀委員も務め、下級生に慕われて、学校に多くの貢献をしました。アート面で、ミュージカルの主役を務めた他、ギターを弾き、サックスを吹き、焼き物と絵を趣味としていました。 社会貢献の面では、ユニセフ活動への協力をはじめ、地元の水害のときには、先頭に立ってボランティア活動を行いました。スポーツマンではないけれど、乗馬、キャンプ、釣りが大好きで、自然を守る活動もしていました。

音響エンジニアとして活躍する次男。

次男は音楽が大好きで、高校のミュージカルでは、2年続けて主役を務めました。自作の歌はインターネットで話題となり、ある音楽サイトでは、フォークソング部門でトップテンに入るほどの人気ぶりでした。 高校では「Spring Sing」という新しい音楽イベントを立ち上げ、学生全員で楽しめるこのイベントは、その後、毎年行われるようになりました。 次男も風紀委員を務め、下級生の面倒を見ました。ユニセフ活動のほか、単身でタイやカンボジアに行って、積極的にボランティアをやり、乗馬、キャンプなど、アウトドアの活動も行いました。

大学でAIの勉強をしている三男。

三男は、高校から頼まれて、学校の125周年記念の映画を製作しました。そのために学校の歴史をリサーチし、台本を書き、卒業生たちにインタビューをして、撮影から編集まで大変な作業をやり遂げました。その作品の上映会には、たくさんの卒業生が集まりましたが、感動して涙を流す人が出るほどの大好評を得ました。彼は学校のヘッドツアーガイドを務め、「Spring Sing」のプロデュースもしました。同じく風紀員を務め、学校のボランティア活動として、毎週、近所の幼稚園を訪ねて、子供たちの教育の手伝いもしていました。またティーチング・アシスタント(tutor)に任命され、下級生たちに文章の書き方を教えました。ロボット製作のクラスでは、アメリカの高校ロボット全国大会の出場権を獲得することに貢献。タイとカンボジアでボランティア活動をした他、ユニセフの活動や東日本大震災の復興支援活動にも参加しました。さらに夏休みを利用して、アメリカではマイクロソフトの子会社で、日本でも企業のデザイン部でインターンをしたりして、社会体験を積み重ねました。

また、3人ともに学業は優秀で、いずれも評点は4.0以上。(GPAは本来4.0満点だが、アメリカでは高校段階で大学レベルの単位を優秀な成績で取得すると5.0をもらえるため、4.0以上のスコアが出る。)特に、長男と三男は全米レベルでの学業優秀賞を受賞するレベルだったそうだ。

このように、優れた学業成績に加えて、学内外で個性を生かした優れた課外活動を行っていたわけだが、3人の活動歴からは、イベントでリーダーを任されるなどの周囲から信頼される人柄と、積極性も透けて見える。つまり、大学入試を見据えて、付け焼き刃的な課外活動をしたのではないことがうかがえる。

高い学費を払うだけでは得られないもの

三兄弟が通った小学校〜高校の学費は非常に高額である。周囲の友人に恵まれ、工夫を凝らした授業をしてくれる教師も多かっただろう。

だが、同じ環境に身をおく良家の子女に比較しても、三兄弟が際立った活躍ができたのは、単に教育費をかけただけではない

この記事の冒頭で、母親のアグネスさんの活躍について丁寧に紹介したが、やはり活躍する親の背中を見せるということは重要である。母親のユニセフでの活動に同行して途上国を訪れたり、イギリス大使と食事するという体験は、母親がその分野で頑張っているからこそ、できる体験である。

もちろん私のような凡人には、成し遂げられることに限りがある。が、努力はすべきだと思っている。

教育学を専攻したアグネスさんは、自己肯定感を高めるたり、学業成績を高めるために、様々な工夫をしている。それについては以下の次記事で述べる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?