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続・セクシュアリティの話がしたい

前回、自分のセクシュアリティについて書いたnoteを投稿した。

あれからしばらく時間が経ったわけだけど、少し冷静になった今改めて読み返してみると「何言ってんだこいつ」と思う(あくまで自分に対してであって、人のセクシュアリティを否定する意図はありません)。

だけど、このとき真剣に悩んで書いていたのは確かだ。当時はセクシュアリティのことで頭がいっぱいだった。どうにかして言語化することで気持ちを落ち着かせようとしていた。

投稿から約1週間後にカウンセリングがあって、カウンセラーの先生にも自分のセクシュアリティについて打ち明けた。他に話すことが思い浮かばなかったので思い切って話題にしたのだけど恥ずかしかった。顔が熱くなった。

先生は「今はセクシュアリティに関する概念は沢山出てきているけれど、とらわれすぎない方がいいと思う」といったことを仰っていた。自分も同意見だ。概念を知ったり当てはまるものを見つけて安心すること自体は良いけれど、概念からある程度心理的な距離を置くことも大事だと感じている。「もしかしたら当てはまるかもしれないな〜」くらいの気持ちでいるくらいが丁度いいと思う。

自分の中だけで渦巻いていた悩みを言語化して、さらに人に話したことでようやく気持ちが落ち着いた。ずいぶん恥ずかしいことをしたなと我ながら呆れてしまうけれど、自分なりの着地点が見つかったので結果オーライと言ったところか。

繰り返しになるけれど、個人的にセクシュアリティは自分の中でもフワッとさせとくくらいが丁度いいと思った。自分の場合だと「男女両性的であるかもしれない」「男性的な視点で女性が好きなのかもしれない」といった感じだろうか。だいぶ曖昧な表現になったけど、自分にはこっちの方が馴染みやすい。これくらいが気楽でいい。

多様な概念はあくまで自分を理解するための助けに過ぎない。揺るぎないアイデンティティとして扱うと、かえって窮屈な思いをすることになるだろう。

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