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「親の脛はかじれるだけかじれ」

「アイオよ。親の脛はかじれるだけかじれ」

1月に90歳で亡くなった祖父は生前のある日、笑顔でそんなことを言ってきた。
それに対して自分は、

「いやぁ、いつまでもそういうわけにはいかないよ」

多分、こんな風に答えたんだろう。

自分は10代の頃から、色々あってうつ病を患っている。

大学は途中休学をしつつ何とか卒業したものの、就職できず。
障害者手帳を取得して、就労移行支援事業所に通ってみるも、自身を追い込みすぎてしまい、かえって病態が悪化してしまった。

家族を始めとした周囲のサポートのおかげで、メンタルの調子は以前よりも上向いてきた一方、体調には復調の兆しが見られないでいる。

祖父の家を訪れるのは、いつも通院やカウンセリングを終えた帰りだった。

病院やカウンセリングのことについて尋ねられ、今日はこんな感じだったよと話しているときだったと思う。
祖父の「親の脛はかじれるだけかじれ」発言は。

1月に祖父が亡くなり、両親は遺産の相続やら何やらで忙しそうにしていた。
祖母は故人なので、祖父の遺産はひとりっ子の父が全て相続することになった。

生前の祖父から話は聞いていた。
「親の脛はかじれるだけかじれ」とは、自分たちの代でそこそこの財産を築いたので、それを息子が受け継ぎ、ゆくゆくは孫のお前が受け継ぐことになるだろうから、先の心配をし過ぎるなという意味だった。

祖父のこの言葉は今も妙に心に残っている。

祖父は20年前から、癌の手術の後遺症で足を動かせず、ずっと車椅子生活をしていた。
人の介助なしでは外出もできない。
よく「いやだねぇこんな体」とぼやいていた。

けれども、祖父はふてくされることなく、最期まで自分にできることは積極的にやろうとする人だった。

一緒に外出したときも「自分で漕ぐ」と言って、車椅子の車輪を自力で回して走っていた。
これが地味に速かった。
小走りじゃないと置いていかれるくらいには速かった。

さすがに去年はすっかり体力が落ちたようで、「あー、全然駄目だわ」と笑っていた。
それでも、何度も何度も、自力で走ることを試していた。

デイサービスでも熱心にリハビリをしていたそうだ。
「運動してたら『昔何かスポーツやってらしたんですか?』って聞かれた〜」と嬉しそうに笑っていた。

20年も不自由な体で、祖父はよくやっていたと思う。
自分は精神の障害で体が動かなくて、まさに「いやだねぇこんな体」な心境だけど、祖父のことを想うと、嘆いてばかりじゃいられない。

当面は親の脛をかじり続けることになりそうだし、祖父が言ったとおり、いつかは祖父の財産を父から受け継いで生活の頼りにすることになるかもしれない。

それでも、自分でできることを少しでも増やしていきたい。上手くいかなくても簡単に諦めないようにしたい。

そう思わせてくれた祖父の生き様こそが、祖父が遺してくれた立派な財産だ。

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