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私はスタバの接客が怖くてたまらないんだ

1,はじめに

スターバックス、通称スタバ。おしゃれ系カフェの代名詞であり、休日には場所を問わず長蛇の列をなす、泣く子も黙る巨大飲食チェーンである。
その人気の秘訣は、なんといってもコーヒーやフラペチーノといったおいしい飲み物と素敵なケーキ類、そしてそれを作り出す店員さんのあたたかく、フレンドリーな接客である。

しかし、現在大学4年生にもなって社会で良しとされる価値観に適応しようとせず、貴重な若き日々をトイレットペーパーの如くカラカラと消費しては無為に水に流している私は、このスターバックスの接客が大の苦手なのである。

その理由を述べる前に一つ断っておくが、私はスタバの店員さんのことは嫌いではない。あんなに忙しそうなのに弱音の一つも吐かずに、せっせこ働く姿には頭が上がらない。
以下の文章には”全く”店員さん及びその接客を批判する意図はない。ほんとに。信じてください。


信じた?



信じてないね。



信じるまで待つからね。



2,なんでスタバの店員が怖いの?

私がなぜ、スタバの店員が怖いと思うのか。
端的に言うと「フレンドリーな接客に、その人自身の人格が全く見えてこないから」である。
プロの接客istである彼、彼女らは、笑顔であいさつをし、注文を聞き、時には客と他愛のない世間話を交えつつ、愛想よく、着実に仕事をこなしていく。

「素晴らしい!!!これぞ接客のprofessional!!!」

大多数の人はこのように感じることだろう。

しかし、斜に構えた姿勢でしか世の中に向き合えない、”泣く子をも黙らす”ひねくれ者である私は、以下のように感じる。
「なんか・・・こわ・・・」
「それがあんさんの”素”でおわしますのん?」

読者の皆様方、「性格わrrrrrrrるぅ!!!」と巻き舌交じりで私を罵倒したい気持ちはよくわかる。ただ少し待っていただきたい。

こわくないか???正体不明の「笑み」と「優しさ」を向けられるの。私は怖いよ。だって俺は店員さんに笑顔で接されるようなことは何もしてないからねぇ!俺が来ようが来るまいがあなた方の給料は変わらないし、にもかかわらずグダグダと長ったらしい商品名を読み上げて面倒な仕事を押し付けてきやがる。こんなのどう考えても来てくれない方がいい。多くの店員にとって客とは舌打ちをされて然るべき存在なのだ。

なのに!なのにだ!!スタバの店員さんはにこやかに「この店舗は初めて来られたんですか?😄」とか、「こちらのトッピングおすすめですよ😄」とか言う。
なんなんだ君たちは!自我を殺すな!舌打ちをしなさい舌打ちを!

……失礼。すこし熱くなってしまった。
交尾に励む奈良公園の鹿の写真を見て頭を冷やそう。

命は巡る


3,なんでそう思うようになったの?

さて、次に私がスタバの店員に対してこのような意識を持つに至ったきっかけを述べよう。

そう、あれは確か2022年の夏の午前。私は14時間半にも及ぶ夜勤のバイトを終え、枯れ葉のように力なく、フラフラと帰路に付いていた。一刻も早く家に帰りベッドにダイブしたい私の身体に反して、疲れ切った私の脳味噌は、「糖分をよこせ!」と喚き散らしていた。

私は甘味処としても名高いスターバックスに入店し、冷房のありがたみを一身に受けながら、注文の列に並んだ。

「お次の方、こちらでお伺いします!」

快活な若い女性の声が店内に響く。私の番だ。

「えーと、抹茶ティーラテの…アイスの…」

注文を終え、顔を上げると、そこには見知った顔があった。小学校の頃、4年間同じクラスだったAさんではないか!Aさんは小学校時代まあまあ気が強く、それでいて優しく、クラスの中心人物で皆から慕われている存在だった。幸い(?)、向こうは私に気づいた様子はない。

私の注文を聞き終えると、彼女は、とびきりの笑顔と愛想で言った。

「こちら季節のスイーツはもうお試しになりましたか?😊」
「おすすめなので是非食べてみてください!😊」
「お食事、是非お楽しみください!😄」

待ってくれ。あなたそんなキャラだったか???いや6、7年接点ないんだからキャラが変わってるのは当たり前なんだけど。
え?小生意気だった私をからかったり、給食の時間に眉間にしわを寄せながら険しい顔で「おいしい」と呟いていたあなたはいずこ?

色々な感情が渦巻いた後、その感情は「恐怖」という一点に吸い込まれるように収束していった。

「彼女の””店員としての人格””が彼女自身の、素の人格を吞み込んでいる…!」
「しかもその””店員としての人格””をあたかも””素の人格””であるかのようにふるまっている…!!」

私はそのような感想を抱いた。

「でも人が話す場や話す相手によって人格を使い分けるのは当たり前じゃん」

その点についてはごもっともである。誰だってTPOによって人格は使い分けている。だが、私が怖いのはそこではない。私が怖いのは、多様な人格が『あること』ではなく『ないように振る舞うこと』なのだ。
スタバ店員の””フレンドリーな接客””はまさにそれ。我々はフレンドではない。仕事なのだから、”素”風なドレスで心を着飾らないでおくれ。

4,なんでそんなことするんでしょうね

では、なぜ彼らは”素”であるかのように接客をするのか

答えはカンタン!それが一番ウケるからである。

そもそも世の大多数にとってスタバの接客は非常に好評であり、彼、彼女らの素晴らしい接客技術に対して、こんな失礼な感想を抱くのは私のようなひねくれた社会の鼻つまみ者だけである(命名:鼻ひねくれ者)。

そんな鼻ひねくれ者は、彼らの接客を受けると、
「こういう接客をすれば、あんさんは気持ちええんやろ~」
という心を勝手に感じ取ってしまう。
(これは我ながら人間性が終わっていると思う)
しかし大多数の人はその接客を店員の狙い通り「気持ちいい」と思っているし、だからウケているのだ。

スタバの接客だと少し共感しづらい人もいると思うので、これに近い例を一つ紹介しよう。
以下の2つのポストは、「傾聴と共感のテクニック」について述べたものである。
※「傾聴と共感」は心理カウンセリングなどで用いられる技術の一つ

同じである。
自分が注文してる時、店員が「客を気持ちよくする接客のテクニック」を使っていたら、「そういうテクニックみたいなのは使わずに接して!」と思ってしまう(思ってるだけなので許してほしい)。

5,おわりに

最初に言ったことを繰り返すようだが、私は本当に店員さんを非難するつもりはない。接客態度を改めてくれとも全く思っていない。ただただ店員さんの頑張りに脱帽するのみである。

このノートは社会への提言などという大それたことのためには書かれてはいない。ただ性格の悪い凡夫が思ったことをヘラヘラニヤニヤ気持ち悪い笑みを浮かべながら書いているだけ。

だからその拳を下ろしてほしい。


あっ

(おしまい)


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