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10月26日は「茶の花忌」:八木重吉の詩と出会う

10月26日は詩人 八木重吉の命日(茶の花忌)です。
重吉に関する冊子「六甲のふもと 百年の詩人ー八木重吉の詩 神戸篇」を作ったことで、「どうして重吉が大切なの?」と聞かれることがあります。
ここにあらためて、八木重吉の詩との出会いを振り返りたいと思います。

*この内容は、縁あって寄稿させてもらえることになった、八木重吉の詩を愛好する会会報「とかす力」21号に掲載予定です(一部改変)。

重吉との出会いは、「名」の由来

八木重吉の詩は、子どものころから大切に読んできました。

私の名(梢)は、重吉のこの詩から両親がつけてくれました。

すべて
もののすえはいい
竹にしろ
けやきにしろ
そのすえが 空にきえるあたり
ひどくしづかだ

父母は八木重吉の詩を愛好しており、遠い昔の結婚挨拶状には

どこを
断ち切っても
うつくしくあればいいなあ

の詩を記したと聞いています。毎年の年賀状には重吉の詩がひとつ載せられるのが恒例でした。そのときどきの家族のようすにあう詩を父が選ぶのですが、物心つくころから「今年の詩はどんなだろう」と楽しみにしていたことを覚えています。

神戸で味わう重吉の詩

私は神戸で生まれ育ち、いまは石屋川の近くに住んでいます。かつて重吉の暮らした六甲のふもとの街です。

重吉の詩が神戸でつくられたと知ったのは、大人になって、重吉に関する本を読み始めてからでした。詩に描かれる山や海や木。以前は、心の風景の言葉として読んでいましたが、神戸を意識して読むと、身近な風景が目に浮かんできます。

たとえばこの詩、

松のある 岩山のいただき近く 仰げば
雲の湧く つかみ取れそうな 空の青さ

まさに目の前にある六甲山そのものです。

またこんな詩もあります。

そんなにひろくない路で
ずっと海の方へつづいてゐて
てんきぐあいもこんなにいいなら
こんなみちをいつまでもあるいてゐたい(略)

坂をのぼり山へ、坂をくだり海へ。私もよくそんな散歩をします。

本の中の詩人が、いきいきと自分に重なるようです。
重吉が眺めた六甲の山なみ。よく散歩したであろう石屋川のほとり。白い路。今はなき御影の浜。時には処女塚(おとめづか)の丘に寝そべり、また、酒蔵通りも歩いたかもしれない…。重吉の詩の言葉を借りると、いつもの景色もかがやいて見え、豊かな時間が流れます。

詩の「神戸らしさ」を冊子にまとめる

そんな詩の魅力を周囲の人に伝えたく、神戸の人に八木重吉の詩にふれてもらう機会になればと、小さな冊子「六甲のふもと 百年の詩人−八木重吉の詩 神戸篇−」を手づくりしました。

神戸在住期間(1921〜1925年)につくられた詩(「八木重吉全集第一巻(筑摩書房)」に収載されています)から「神戸らしさ」を感じられるものを自分なりに選ぶよう試み、詩22篇を収載しました。重吉を初めて知る人のために、重吉と神戸の関わりを年表と地図で紹介するページを加えました。表紙は水彩木版画(石屋川の風景)を自作しました。

この冊子の制作を機に、重吉の愛好者との交流が新しく生まれたことが何よりうれしいです。

おわりに

私はいま1歳の娘を育てています。重吉の子育ての詩に、自身を重ねて読んでいます。娘と石屋川公園を散歩していると、ふと、桃子ちゃん(註:重吉の娘、1歳)を連れた重吉がそばを通るような気がします。教師の仕事になじめず、世間を好まず、幼いふたり(註:桃子1歳と陽二0歳)の育児も大変だったかもしれません。それでもやはり、詩作に励み、家族と健康に恵まれた神戸生活は、重吉にとって、かけがえのない充実の日々だったでしょう。

重吉が神戸に暮らして、来年(2021年)でちょうど百年。重吉の詩を通して、百年前の神戸の風景と、ささやかな家族の暮らしを、これからもたくさん発見して味わいたいです。

(八木重吉の詩を愛好する会会報「とかす力」21号掲載予定。一部改変)

* * *

重吉トップ

わが兒と
すなを もり
砂を くづし
濱に あそぶ
つかれたれど
かなし けれど
うれひなき はつあきのひるさがり

百年前に、神戸・御影の浜で、重吉は娘の桃子ちゃんと遊んでいました。
今、私も娘と同じように遊んで、この詩を思い浮かべます。
御影の浜がなき百年後の、須磨の浜辺にて。


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