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さていつから学習しようか?

 
学習支援で得た知見を基に色々書き始めて12回目です。
今回は 学齢期以前まで遡りいつから学習を始めたらいいのかです。
主に保護者の皆さん宛の文です。

最近10年ぶりに年中さん年齢の子ども達と触れ合う機会があり
色々と考えることができました。その途中経過です。

子どもは最も身近な社会単位である保護者から多くを学び始めます。

私の育った時代は まだ第二次世界大戦の傷跡が残っていて
電車の中には白衣を纏った傷痍軍人の姿があったり
上野駅の地下道には孤児が寝起きしていました。
言ってみれば 日本中が中の下の経済だった時代です。
私の育った家庭も同様で家の中にあったのはラジオだけでした。
それでも新聞をとり 週末に銀座でニュース映画を見ていました。
今になって振り返ると そうした事が文字を読む訓練だったり
映像を通じて 見知らぬ世界に興味を持つ機会を得られました。
私の両親はこうして私達兄妹に見えない教育をしていたようです。
学校教育開始前に与えられた刺激は 後にとても役に立ちました。
こうした個人的体験から一般論を引き出すのはちょっと危険ですが
それでも 何かの示唆が得られそうです。

現代はメディアの力が圧倒的に膨らみ 直接的な訴求性と成果を求め
音声伝達が中心で 殆ど書き文字に触れる機会が無いようです。
そのため 前回でも書きましたが
文字を読み意味を理解する事が不得手な子供が増えています。
実際の事例だと 日本語より英語が大切と言う保護者に育てられたり
母語が日本語でない家庭で育ち 日本語で学習する機会が無いままで
いたため学習内容を理解できない子どもがいました。
言語は それが意味する文化を通して知識を得るものです。
つまり 言語活動は意思疎通だけではないということです。

そしてこうした言語活動を 程よく体験できるのが家庭です。
子どもは 経験的に言葉をしゃべり始めます。
その時に 一つ一つの語り掛けに答えてあげることが
学習の始まりと言う気がします。

その際 こどもとの共通体験があると より効果的なようです。
子どもの様子で「ごっこ遊び」や「工作」を選んだり「絵本」の読み聞かせ
を選んだりと体験手段は多いほうが 飽きません。
子どもが興味を持ち危険の無い範囲で自力でできる手段を持ちましょう。
保護者は 子どもがしそうな危険を予知する事が必要です。
不用意に 走り回ったり ものを口に入れたり 汚したりは日常です。
こうした出来事は 予め予知できるし 予防も出来ます。
子どもの行動は予見もできますので 積極的な観察をしましょう。
そうすることで子ども達が「学習」向かう機会を見つけてあげてください。
いつから「学習」を始めるかは 子ども達次第です。

26 MAY.2021.ARAI