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見えない学力の発見2!

 2021年01月26日から
小中学生への学習支援で得た知見を基に
色々書き始めて133回目になりました。
 また、2021年03月15日から
毎週連続投稿を始めて130回目です。

先日の学習支援会での出来事。

今日は新記録、初めて学習会が始まる前に会場登場!びっくりしました。
「ど ど どした??」
「夕飯の、ラップしたおにぎりがお粥みたいに柔らかくって、
食べづらいので、早く食事が終わった!」
「おなか空かない?」
「おかずはしっかり食べてきたので、あんまりお腹は空かない」
「ホントなの?」
「だいたいあんまり、ご飯を食べるほうじゃないし、
野菜と卵とごはんと煮しめなんかがあれば済んじゃう」
「あれまっ!典型的な祖母ちゃん食」
「お母さんは忙しいんで、だいたいこんなもの」
「我慢してない?」
「うん。でもね、内緒だけど中一の時体重が50㎏だったんだけど、
二年で48㎏になって、中三でも変わってない」
「だけど、身長は伸びてる?」
「うん」
「じゃあ大丈夫だね。
今の時期って、大人の体を作るために栄養が必要なんだけど、
人によって栄養の行き先が違うし」
と、微妙な自己開示があって、打ち解けた様子を見せてくれていました。

さて、今日はずっと書いている「小説」の続きを考えていました。

「小説」は、漫画の吹き出しを抜き書きしたような内容なので
本人の説明がないと、理解は難しい。
けれど、これは、学校で学ぶ「小説の形態」でないからで、
そうした既存の枠を超えてみると、
別の価値観を持った文体であることに気づきます。

私達は、既に教科書が示唆する定型的な表現に慣れ親しんでおり、
それ以外の表現に奇異感をもってしまいますが、
だからと言って、否定する理由はないという事です。

前回も書きましたが、学校教育で得られる学力で表現できるのは
その範疇でしかなく、こうした新たな表現に驚いてしまう。
でも、振り返って見ると、それはそれで本人の中には理由がある。

こうして、学校での学習外にある「表現としての学力」を
感じている日々です。

自分が興味を持っていることがあるのは、良いことで、
それを「小説」という形で纏めようとしている生徒の伴走では
せいぜい、劇作台本にあるト書きのように
他者に理解できるような手法を伝えたり、
時代背景を歴史的な現象と齟齬がないように助言する程度ですが
それでも、生徒にとって「認められている」
という安心感を醸造しているようです。

保護者の皆さんや 子どもたちの学習に関与している方々へ 

 一番生徒に近い存在で、関係性が成立しているはずの皆さんは、
生徒の嗜好や、どんなことに興味を持ちやすいかとか、
具体的な手段を見つけやすい立場にいます。

また、学校教科学力以外の学力を発見できる立場にもあります。

 良い相談相手として、また善き話し相手として
身近にいてくださることを願っております。


21.SEP.2023.ARAI