目指すものは

生まれた時はもちろん、生きてきて、夢とか目標とか考える事ができなかった。
だけど、夢を持て、とか言われた。

夢って何だろ?

ずっとわかんなかった。

演劇や、脚本や、映像や、創作を始めて、夢というか目標というか、完成させること、発表すること、
誰かの喜びだったり救いだったり、暇つぶしだったりになればいいなぁ、と目指すものができた。

日常では女の子を口説いて裸にしたいなぁと目指したり、たくさん話したいなぁと望んだり、好きな時に好きなだけ、愛し愛されていたいと望んだり、でも1人でいたいんだよって望んだり。

そして家族になったよ。

妻と一緒に生活しようと思ったわけじゃなかったけど、なるべく一緒にいたいよ、と思った、たぶん。
というか、あまり人に褒めてもらうのが苦手なんですけど、褒めて欲しいと思ったのが、妻です。
妻も人を褒めたりするのが、得意じゃないのにね。

たぶん、お互いおんなじに求めたんだよ

そして子供達が生まれました。

子供達は、僕の先生。

僕が目指すものを教えてくれる。
愛情も野性も教えてくれる。
優しさもくれる。

おかげで、僕の創作はシンプルになった。
難解と言われる時もありますが、僕にとってはとてもシンプル。
先日、保育園の出し物として園児の父母達と劇を創作しました。
演技者を目指してはいない方々。

演技って何って伝えようと考えた時、僕はシンプルに大切な事が浮かびました。

人を信じる

言葉を、身体を、キャッチボールする

これだけで、作品は高まり完成する。

これを再確認できた、素晴らしき財産。

しかしこの達成には危険もある。
自分を愛することが人を愛するための重要な一歩である事を捉え方で誤解してしまうように、危険。

自分のために力を注いでくれるのは自分だけだってわからなきゃね、それは楽しく美しい孤独だからね、正しい呼吸だからね。

様々な克服のため、家族で挨拶の時にハグする事になった。
妻の提案である。
偶然にも僕もそうしたいと思っていた。

愛情表現を邪魔するものを日々溶かしている。

人を信じるって事が僕はとても簡単。
だから、いい役者。

昔、母親に、あんたはすぐに人を信じるから裏切られるんだ、だからダメだと叱られた事があったなぁ、当時思春期の僕は、それはそれは寂しくて、恋に飢えてたけど、女性を好きになれなくて、同性愛の映画ばかり見て、友達もいない。
母を信じようとして、勝手に裏切られたと思った。
ただ、寂しかっただけで、夜の街はそんな人ばかりだから、救われた。

優しくて寂しい女性ばかりで、傷を舐め合いましたなぁ。

あれ?

人を信じる話が、思い出になっちまった。

優しさってのは、信じ合う事とは違うんだよ、だから優しいのは、時に汚くて悪魔なんだ。

それ、ちゃんとわかるようになったな。

そして、今、現在、僕は高知県に移住計画に本気出すよ、ステキな小学校を目指すよ、僕は土と番うんだよ、楽しみ。
コヨーテも続けるよ。
どんなふうに発表していこうか、楽しみ。

目指すものは、目指す事があり続ける事。

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