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力と時間が欲しいです

最近はTHE BINARYの「神様ハラスメント」と90~00'sのブリットポップをよく聴いています。
あ、ZARDがサブスク来たね!「この愛に泳ぎ疲れても」がめっちゃ懐かしかったです。
Bank Bandの「東京協奏曲」を聴いたらサビで「鳴らせ〜」って歌っていてなんか自分の漫画を思い出して嬉しくなっちゃいました。へへへ。


最近はネームネームの日々です。
今日またネームが終わったので気分転換に別の漫画を描こうと思っています。
漫画の気分転換に漫画描くみたいな生活憧れてたので楽しいです。


でね、ずっと漫画描いてる方はいつ人の漫画読んでるのかなと時々思うわけです。
積読はたまる一方なのにたまに空いた時間で積読ではない漫画を開拓したりしちゃうし、
僕は漫画の新刊を読むときは話の流れを思い出したいので
前の巻か、前の前の巻ぐらいから読み返すうえに
読むのも遅いので積読を読んでいくのは非常に時間がかかってしまいます。

本当は子供の頃みたいに一つの作品を何度も何度も読み返したいのですが
そこまで時間が取れない。これはしょうがないのだろうなあ。
ジョジョの好きな話とかもっと何度も読み返していたい。


友達がうちに来て漫画を読んでいくことも無くなったなあとも思います。
本棚の漫画を僕が読めていなくても友達が読んでたりするとなんかいいじゃない。


そういえば最近地元の友達たちに会った時、
三人以上の中に居ると自分が黙りがちになってることに気づきました。

近年できた漫画仲間の方と話すときはめっちゃおしゃべりになっちゃうのですが
地元の友達は漫画に関係のない人たちなので漫画に関係ない話題がほとんどです。
その中でああ今まで自分は結構静かにしてたんだなあと気づいたのです。

前に比べると「シャイだから会話に混ざれない」っていうのは減ったけど。

なんでも興味を持って作家的には聞けた方がいいのでしょうけど、
車の話とかまだ興味持てない話題もあるなあと。だから全然車描けない!
なるべく門戸は閉めないようにしてたので最近サッカーとか野球とかは興味持ててきました。選手名とかは分かりませんが…。


名称未設定のアートワーク 3

漫画の話に戻ると
漫画表現の力の無さを感じています。

作画に宿るフォースという概念の話を去年講座で聞きましたが
それはコマ割りやその作家さんの持つ世界観、表現の着地点にもそういうのは
あるような気がしています。型というか。


例えばですが吉田聡先生の「荒くれKNIGHT」を読むと人情とコメディと暴力などの物語、
それを決まったページの中に表現されていくコマ割りやセリフ、
リズムやカメラワークなどには型のようなものを感じるというか…。
「お馴染み感」というか。
荒木先生の「ジョジョ」は読んだ後に自分で漫画を描こうと考えるとジョジョっぽいコマ割りやセリフにしちゃいそうになるというか。ああいうのを型と言えるかなあと。
絵柄だけでなく、物語やコマ割りなどの演出の仕方、その表現自体に強い魅力がある気がします。それを型っぽく思ったのです。
最近「ゴールデンカムイ」を読み返す事が多くてその型的なものに影響を受けそうになりその度違う違うとなるのです。

プロットができた時そこにいるキャラクターの想い、リアルな感情の揺れ動き
その流れを漫画として
「わかりやすく基本的なことを抑えて」
かつ「自分なりの型で」
読者に届けるためにはどうすればいいか。
そういう考えがまだまだ足りなかったなあと。
まだまだ惰性でコマ割ってたしカメラワークも真横から撮ったものが多かったなあと。

「自分なりの着地点」のイメージができていないというか。

そんな事を考えてさあネームを描くぞとなるとどうすればいいかわからないなとなったりしています。
っつっても描かなければ始まらないので「試しに」描いてみて人に見せて直すのを繰り返すという感じでやっています。
多分だけど「型」なんか100年早くてまず「基本」だろということなのだろうなあ。


僕は僕のプロット、キャラクターを前よりさらにすごく大事にしたいと思うようになりました。
「この作品は、このキャラクターはこう活かせばすごくいいものになる」がしたいのです。
力が…欲しい!!


名称未設定のアートワーク 1のコピー


あと今年もエッチな漫画やそれに近い漫画を描きました。
そしてそれを一般向け漫画とごちゃ混ぜでtwitterで宣伝するのが
どうにも心苦しさがもう無理となってきたので
新たに一般漫画向けのペンネームを作り
Twitterではアカウントを分ける事を考えています。
今年は去年に比べるとtwitterの動きが少ないですが実生活ではずーーーーーっっと漫画を描いていました。
どうぞ今後ともよろしくお願いします!

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