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こじれた利他

大寒|款冬華
令和6年1月20日

後ろめたい告白をすると私は寄付ができていない。

ロシアとウクライナで戦争が始まったときもそうだった。寄付をしたとしてその寄付金はどのように使われるのだろう。間接的にもウクライナからロシアに撃ち込まれる一発になるかもと考えると,戦争に加担しているような気持ちになってしまい,到底寄付などの支援は出来なかった。そして今回の能登半島での地震。悲惨な状況を伝える映像に心は傷んだ。それでも行動に移すことは出来なかった。禍々しいテレビ画面とは全くの対照的に,子どもたちは部屋中を走り回っていて,同じ世界とは思えないほど平和な一日であった。子どもたちが寝静まった夜,SNSを眺めているとぞくぞくと問いかけが押し寄せてきた。銀行の振込画面をスクリーンショットして被災地への思いを綴ったポスト。後ろめたい気持ちがじわじわと湧いてくる。偽善的とも感じ取ってしまう自分に対しても嫌な気持ちが湧いてくる。寄付できていない。できない。

前のレターでも語られた免罪符としての役割を感じ取ったからだろうか。寄付したら後ろめたさが精算されるようで,その潔さを持てないでいた。このお金はだれがどんな風に使うだろう。その長期的な責任を見守る自信もなかった。そして日本での被災者と,ウクライナの避難民と,ロシアの元同僚と,マラリアワクチンで救われる命と,その他数え切れないほどの社会課題とがあふれるこの世界で,あまりに無知でちっぽけな自分がそれらを天秤にかけることは憚られた。結局のところあらゆる決断を保留しておきたかっただけなのかもしれない。寄付した瞬間に決められてしまうポジションを避けなければならなかった。

これからも当事者ではなく傍観者としての後ろめたさを抱えて生きていくのだろうか。今も被災地では復旧作業が続いている。今日も子供はお気に入りのおもちゃと一緒に家中を走り回っている。コヨムは流れ続ける。

-S.F.

款冬華

フキノハナサク
大寒・初候

前のレターで敬遠していると書かれていた「効果的利他主義」のことが気になってTEDを観た。「効率」と「インパクト」を最大化するという目的関数はたしかにわかりやすい。でも世界には解決しなければならない問題がありすぎて,それらをその目的関数だけに沿って解決していくのにはさすがに違和感があった。あらゆる社会課題がランキングとして整列し,全ての社会課題は最優先課題に劣後するという構造はどうも落ち着かない。マラリアの問題も大事だし,家族が風邪を引いている問題も私にとっては重要だ。

就職活動の真っ最中に,進路に迷っていた東京の友人と話していたとき,「官僚の道は?」と聞いたときの返答が忘れられない。「俺は自分の身の周りの人の幸せすら考えられないのに,まして国家の幸せなんて考えられない。」彼がこのレターを読んでくれたらどんな返事をくれるだろうか。

小僧の神様 / 志賀直哉

鮨屋で金のない小僧に貴族院の男が鮨を奢る短編。見返りを求めない贈与が実は権力の萌芽になっているのかも。後味がざらっとする文末も好き。


参考文献

なし


カバー写真:2024年1月2日 京都烏丸五条付近で。年始のためか外を歩く人はまばら。京都の平熱。


コヨムは、暦で読むニュースレターです。
七十二候に合わせて、時候のレターを配信します。

こじれた利他
https://coyomu-style.studio.site/letter/fukino-hana-saku-2024


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