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DIC川村記念美術館の休館発表によせて

処暑|天地始粛
令和6年9月1日

2020年6月。新型コロナによる最初の緊急事態宣言が明けた直後、とにかく開放的なところにいきたいと、妻と二人でレンタカーに乗ってDIC川村記念美術館に行った。車の中でもマスクをしたまま運転したことを痛烈に覚えている。辿り着いた広大な美術館では、ロスコ・ルームでの過激なほどの静謐、サイ・トゥオンブリーの作品の一部のような木漏れ日など、緊急事態宣言中の息の詰まる数ヶ月間を吹き飛ばすかのような経験をした。アート作品は受け手のコンテキストによって、いかようにも変化する媒介なのだと改めて認識した。

そんなDIC川村記念美術館が、来年1月に休館することが決まったという。以前より赤字経営が続いていて、このままの運営では株主に対する説明責任がつかないという。総額112億円の作品という資産を抱えながら赤字運営となれば、普通の営利企業の論理で考えたら、資産をもっと運動させて資本を増大させたいと思う。それが社会的に良いか悪いかではなく、営利企業の資本論とはそういうものなのだ。

資本効率という言葉では切り捨てられない価値があるはずだ...と主張したいところだが、資本家が築いた財産で蒐集したコレクションならば、維持運営が危うくなれば売却されるのが筋であろう。営利企業が美術品を持ち続けるならば、資本効率の論理の中で戦わなければならない。であれば、アート市場の過熱に伴う資産価値の向上に反比例する形で、資本効率の低迷はなお悪目立ちするだろう。

それでも営利企業が直接美術品を持ち続ける理由とは何だろうか。ポーラ美術館もアーティゾン美術館(旧ブリジストン美術館)も、別で立ち上げた公益財団法人が運営している。今回の件にどんな背景があるのかはわからないが、「資本効率という言葉では切り捨てられない価値」を守るには、営利のレジームを外れる方向は考えていないのだろうか。アート作品に公益性があるのであれば、運営にも公益性を持たせるのが筋だろう。

-T.N.

天地始粛

テンチハジメテサムシ
処暑

今回のコヨムを書きながら、品川にあった原美術館のことを思い出していた。あの跡地は今どうなっているのだろう。コロナ前後で飛び飛びになっていた記憶の断片が、今回の件をきっかけに芋づる式に引っ張り出されてきて、新しい感情を紡いでいる。

参考文献

東京新聞, モネ「睡蓮」やピカソ作品はどうなる? DIC川村記念美術館が休館…背後に「物言う株主」がいた, 2024年8月31日, 閲覧2024年9月1日
Bloomberg, DIC川村記念美術館、25年1月下旬休館-資産見直しで運営中止も, 2024年8月27日, 閲覧2024年9月1日


カバー写真:
2020年6月20日 いまだ先の見えない世の中だったけれど


コヨムは、暦で読むニュースレターです。
七十二候に合わせて、時候のレターを配信します。

DIC川村記念美術館の休館発表によせて
https://coyomu-style.studio.site/letter/tenchi-hajimete-samushi-2024


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